思い出はどこへ行くのか? ― 2004.07.26 ―
物と家庭にまつわるひとつのエピソード
2002年ソウルスタイル
佐藤浩司(国立民族学博物館)
もともと私は東南アジアの民家の研究などをしている人間なんですね。それがなぜユビキタスに突然引っ張り出されることになったかというと、私も予期しなかったことですが、この2002年に民博で行ったソウルスタイルという展覧会の、これも予期せぬ成果でそういうことになったんです。それでそこから話を始めるのが一番よいということで今日のレジュメを用意しているんですけれども、実はこのレジュメはつい1ヶ月ほど前に韓国の建築史学会というところに呼ばれて講演をしたときに作ったものの一部です。何回かその後も似たような講演会を行っているので、この話の一部はすでにお聞きになった方もいるかもしれませんけどその辺はご勘弁ください。
レジュメの1ページに建築物ウクレレ化保存計画というのが載っていますね。これはアーティストの伊達伸明さんという方が「建築物ウクレレ化保存計画」という、ちょっと人を食ったような、建築物保存のプロジェクトをやっているんですね。なぜ人を食っているかといえば、この保存計画がめざすのは、建物の保存ではなくて、建物が壊されることを前提に、壊される建物の部材を使ってウクレレを作ってしまうという、いわばアートをやっているんですね。要するに、建築家は建物の保存プロジェクトをいくつもやっていますが、そうした保存運動では住んでいた人にとっての建物の意味がすくい上げられていないというのです。それをある意味皮肉るということもあるんでしょうし、建築と人間の関係の本質をついているともいえる。
そのウクレレというのが変わっていて、建物の中に残された思い出ですね、たとえば子供の時に刻んだ柱の刻み目とか、椅子に貼り付けたシールのあととか、火事になったあとに残った痕跡とかそういうことを家族の人たちにインタビューして、どこがこの家に一番その家族が思いを込めているかというところをすくい上げて、その部材でウクレレを作るんですね。建物は壊されてしまうけれど、ウクレレとしてその建物の思い出が残っていくという、そういうプロジェクトでウクレレを作っているんです。で、作ったウクレレをその建物の持ち主だった人に返す。返すっていうか、売ることでアートをしているんですけれども。彼がいうには、建築家というのは建物の保存運動をやっていて、建物が壊されるとなるとたくさん来るんだけど、いったん建物がそれで壊されると決まったとたんにもう建築の人間はみんないなくなってしまうと。で、彼自身の仕事はそこから始まるんだと言うことをいっているんですね。我々は文化財の保存とかいうことをやる、私も建築史の人間ですから無関係ではないんですけれども、でもその建築物の保存によってはやっぱりそこに生きた個人の人生とか時間は救えないんだ、だからこそそういう自分の思い出というか、思い出のこもった部分を何とかして形に残していくことが必要なんだということだろうと思うんです。それが「思い出」というタイトルをこの研究会に付けた大きな理由でして、今まで我々は研究ということでたいていは社会の思い出を対象にしているんですね。歴史とか伝承といった。少なくとも個人の思い出じゃなくて、社会がどういう風に社会としての記憶をもっていたかということをずっと研究対象にしていたわけですけれども、そのような歴史、つまり社会的な記憶をいくら追いかけていっても、その中では個人の歴史が救えないというか、個人の時間がやっぱり回収できないという気持を皆が持ち始めているのだろう。ではそういう、本来あまり賞賛されることのない個人の思い出というものをもう少し正面切って取り上げるような研究がたぶん必要なんだろうというのがこのタイトルのベースにあります。人類学者はそういうことを考えてみてくれ、ということを私は言いたいと思っています。
この先の話は野島さんがやることですけど、この2002年にやったソウルスタイル、ご覧になった方もいるかもしれませんけれど、ちょっとその紹介からしておきたいと思います。これがその展示場の全景でして、ソウルの3LDKのアパートの持ち物を全部持ってきて。全部というのは本当に全部で、下着からなにから、ほとんどゴミくずのような物まで、使っていた物を全部を持ってきて展示場に並べました。そして、展示場の住宅を囲んで、家族5人いるんですけれども、5人の家族がそれぞれに過ごしている生活空間をちりばめる。展示場の2階にはソウルの人たちの一生を、生まれたときから死ぬまでのステージに分けて展示するということをやりました。時間と空間でソウルを切ってやろう、韓国の人を切ってやろうというような発想ですね。
展示場のイントロのところにまず家族5人の身ぐるみはいだ服。これ中には下着も全部実はいっているんですけれども、服と、それから身につけていた持ち物一切合切をケースに入れて展示しました。今でこそ韓国ブームですけれども、韓国を紹介するというので、まったく政治的なものとか美術的なものを除いて、こういう形で展示したのはたぶん初めてだろうと思います。
これがアパートの入口、玄関のところの味噌等を入れておく甕です。甕と自転車ですね。この玄関からなかに入りますと、まぁ実際に靴を脱いではいることになるんですけれども、奥に食堂、ダイニングとリビングが見えています。
食堂はまぁ比較的物が少ないですけれども、カレンダーもありますし時計もあります。台所は、今キムチのチゲを作っている最中という設定で展示は構成されています。冷蔵庫の中の物も、一応再現ですけれどもされています。勿論家財道具と一緒に収集した物ではなくて、私が別途買いに行ってもってきた物を突っ込んでるわけですけれども。
夫婦の寝室は、奥さんの使っている化粧品類とか、引出の中は下着も入っています。結婚したときの写真等々も全部並べています。これが夫婦の寝室に置いてある衣装ダンス。布団も入れてあるタンスですけど、旦那さんの持ち物が初めてタンスの中で出てくる。背広とかネクタイとかですね。
お風呂場には洗濯物が干してあります。暖房が入っていて空気が乾燥しているので、ここに洗濯物を並べておくとよく乾くんですね。逆に、冬は外に干すと洗濯物が凍ってしまいますから。トイレの便器や浴槽は、韓国で買ってきた新品です。実際に持って行ってよいと言われましたが工事がたいへんそうだったので。
リビングにはピアノが置いてあります。そうすると、日本のお客さんが来てこのピアノ弾いていたりとか、まるで自分の家であるかのようにしていました。修学旅行の学生が来てリビングに腰掛けて見ているのは、韓国の新聞だったり、読めるはずはないんですが、テレビで上映している家族のホームビデオだったりします。おばあさんの古稀かなにかの儀式の様子を撮ったビデオでした。
リビングの壁には家族写真が貼ってあって、お父さんが買ってきたお土産類がいろいろ飾ってあると。日本でも同じですね。それから先ほどのピアノの上にはお母さんが集めている世界の人形が飾ってあるとか。まぁ、やっていることは日本とそんなに変わらないと思いますけど。
おばあさんと子供二人がいるのは一番広い部屋ですね。タンスを開けると、韓国でしか見られないような色合いの布団が置いてあります。
子供の勉強部屋にも家族写真が貼ってあって、日本地図じゃない韓国地図、朝鮮半島の地図が貼ってあると。それで子供のちょうど宿題をやっていたときの、宿題じゃないな、問題集をやっているところをそのまま再現していましたので、問題集がおいてあったりとかしています。で、子供が小さいときの写真がいろいろ部屋に飾り立ててある。家の外、部屋の外ですけど、子供が小学校の課題としていろんな自由研究をやりますね。日本でもそうだと思うんですけど、ほとんどはお母さんが手伝っているわけですけれども、そういう研究のパネル、今日は何をしてどうしたっていうイベントの説明と写真を貼ったようなパネルがたくさんありまして、それを全部、家の外壁に貼ってある。たぶんそんなものの内容については、韓国語ですからほとんど読めないはずですけれども、たくさんのお客さんがそれを見て喜んでいる。
家の周りにはテレビのモニタが4つおいてあります。家族5人ですけれども子供は二人一緒で、家族5人のインタビューをそれぞれのモニタで流しています。この展示についてのメッセージとか、将来何になりたいとか、好物は何とか、そういうようなたぐいのインタビューです。あと自分の家族についての紹介。つまり子供が思っているお父さんと、お父さん自身が思っているお父さんとはどのくらい違うかっていうのがずっと見ていくとわかるという、そういう仕掛けになっています。
それから展示場の上に写真がたくさん貼られていますけれども、これは実はこのような展示が実現するにあたって、突然全部の物をくれたわけではありませんで、一つ一つの物について全部デジタルカメラにとって、その物が家族にとってどういう意味があるかというのを聞き取りをしているわけです。その写真があわせて3200枚その当時ありまして、その写真を全部貼り付けてあります。その後の調査の結果、資料は10000点を超えるものになってしまっていますが、この調査の段階では3200というアイテム数がカウントされています。この聞き取りをほぼすべて奥さんに対してやったんですけれども、それをやることによって、つまり、彼女は家族の誰も知らないようなことをすべて調査者である私に話すわけですね。一種のカウンセラー的な役割。旦那さんも知らないような家族と物をむすぶ物語を全部私が聞き取りして書いているのです。そういう調査を通してはじめてある種の共感を得られてこのような展示が可能になったとおもいます。そういう意味もあって、この調査の時の写真を全て並べています。
それからモニタの横にガラスケースがいくつかありますけれども、これには様々な家族を紹介するためのアイテムが入れられています。きれいに飾られている中身はどんなものかといいますと、たとえば、そのうちのひとつには、子供の小学校の通信簿やテストの答案、それから作文といったものが入っています。また別のケースには、幼稚園の時の卒園アルバム。日本ではちょっと信じられないと思いますけれども、幼稚園の卒園アルバムはすべて家族写真ですね。いかに家族が大切かということを示していると思います。また家族新聞といいまして、韓国では家族を紹介するための新聞作りというのがあります。韓国の著名な家族新聞もあって、そうした家族新聞と自分のところで作った家族新聞を交換するとか、ホームページにもよい家族新聞の作り方というものが出ていたりしますし、実際子供の学校で家族新聞を作るという課題も出ます。そうした課題に即して、どの家庭でも必ず家族新聞を作った経験がある。ケースの中には、交換で得た韓国で有名な家族新聞もあります。右下のは李さんの、この家の家族新聞。それから左にあるのは家族新聞コンテストで優秀賞を取って、それを市役所だったかなにかで賞をもらったときの表彰状です。それを見て日本の学生たちが、学校の課題でしょうか、みんなで座ってしきりにノートをとっている。
奥さんが財テクしている通帳類全てとか、それから家計簿、旦那さんの所得の証明書とか、アパートの様々な電気の支払とかそういった類のものもガラスケースに入れて並べています。それからまた、家族それぞれに「自分にとって一番大切な物は何か」というのを展示場で聞きましてその物を並べています。奥さんが指摘したのは儀礼の時に使う食器類というということで出しています。夫の親族のために儀式を手伝うのはよき主婦のつとめというわけでしょう。アパートの住宅部分がそういう形で展示されていまして、展示場では、その周りに家族5人それぞれの生きている世界を表現していこうというので、お父さんの会社の部屋や行きつけの屋台の酒場を再現したり。
この調査の前提にあった基本的なコンセプトは、韓国を前提に、それをどう表現しようかと考えるのではなくて、というのも、韓国を表現するために家族はいるわけではないので、韓国展の素材としてこの李さん一家を使うのではなくて、展示では李さん一家をまず徹底的に表現しましょうと。その李さんの一家を表現することによって韓国が像をむすぶのでなければ意味がないと考えていたんですね。同時に、ということは李さんの家族さえも5人一緒の共同体ではなくて、それぞれ違う人間たちの集まりですから、日本でも同じだと思いますけど、子供の世界をお父さんは知らないでしょうし、反対に、今お父さんが何やっているかをたいていの家庭の子供たちはあまり知らないんですね。それは日本と韓国の違いとかいう以前に、家族の内部でさえ世代間の違いはありますし、夫婦だってお互いにいない間何しているかわからない。それなら、家族も前提にできない。だから家族のメンバーはそれぞれまったく独自の人格と考えて、めいめいの生活空間・世界を表現していこうというのでスタートさせたプロジェクトなんです。
映像取材もおこなっています。展示場にはお父さん行きつけの飲み屋さんも再現されましたが、そこでは大きなお父さんの映像、一日それぞれの人を追いかけて取材してきた映像をみることができます。お父さんがいっている会社の事務室もあります。机まわりの細々したものは全てオリジナル、本人からもらった物です。
おばあさんの故郷の家も再現しています。展示場の階段の下なのであまりスペースがなくて変な形になってしまっていますけれども小さな部屋です。入口には韓国の伝統的な靴が置いてあって、この小部屋の中には、李さんの家の中の物からお婆さんの所持品をここにアレンジして、お婆さんの世界を表現しようとしています。左側にミシンがあって、これは何十年来使っているお婆さん愛用のミシンです。今でも使っています。もうおじいさんは亡くなっているんですけれども、おじいさんのお墓までいって、その墓を展示場に再現しています。背後に映っている映像はおばあさんの一日を追った映像ですね。
子供の小学校も再現しています。小学校の中では子供たちの一日を追いかける映像が流れていて、時々ボランティアのかたが実際に韓国語の授業を行っていました。後ろの黒板に貼られているのは全て実際に小学校からもらってきた子供たちの作品です。習字があったり図画があったり工作があったりしていますね。
お母さんの世界ということで、市場も再現しています。背後にお母さんの一日の映像を流しています。市場の中にお風呂、サウナと床屋さんが一緒になっているんですけれども、これも再現しています。アパートの中に実際にお風呂があるんですけれども、韓国ではあまりそのお風呂を使いませんで、毎日お風呂にはいるという習慣がないんですね。その代わりにサウナで、毎週サウナに行って汗を流すということをしているというので、日本以上にサウナが生活の中にとけ込んでいます。このようなものを展示場の中に再現しています。
展示場の2階のことはあまり話しませんが、このような形で2階がコーナーに分かれて、誕生から死までのトピックを追いかけている。ここにも李さんの家の、この家族の子供の時からの思い出のグッズをそれぞれのステージに合わせて並べています。2階の展示場から今通ってきた1階の世界を見ると、たったこれだけの世界で人生が完結していくのかと、ちょっとガッカリするような気持になります。実際に1階の展示場を見ている間は2階から見られているということはまったく意識しないんですね。それだけ展示の密度が濃いからでしょうか。2階に来てはじめて、こうして俯瞰するとすごく不思議な気がします。我々の生きている娑婆の世界を天上から見下しているような、そのような印象を与えるような展示でした。[40'29]
実際日本のお客さんがたくさん来て、冷蔵庫の中を覗いたりとか、子供の赤点のついたテストや問題集を見たりとか、台所の上に置いてある物を覗きこんだりしているわけですね。子供たちが二段ベッドに乗っかったりとか、李家のおもちゃで遊んだりとかしているし。日本では絶対ありえないんですけど、夫婦のベッドに潜り込んでみんなで遊んでるとか。韓国とはなにかという以前にこのような形でまるごと韓国に飛び込んでしまえるような、不思議な、たぶん広い大きな意味を持った展示だったと思います。
この展示の結果、こうして研究会まですることになったんですけれども、そもそもどうしてこんな展示をやろうとする、というか、どうしてこういう展示が実現できたかということをお話ししないといけないでしょう。
2002年に日韓共催のワールドカップがありまして、日本中で様々な形の韓国展が行われようとしていたんですが、そのときにうちの博物館ではどんなことをやるかということが議論されまして、いわゆる李朝の文化の物とか伝統芸能とか、そういういろいろなアプローチの仕方はあるけれど、もっと民博らしく現代韓国を紹介したいというので、アパートの調査をすることになりました。結果として、調査した家庭の物を全部展示することが決まったんですけど、それで広報も最初からパンツで行こうというので、調査家屋の旦那さんの持ち物全てをアレンジして並べた資料をつくりました。これは第1回目の広報で使われました。
もう一つこの写真を使いましたが、これは李さんの家の冷蔵庫の中の写真です。日本とあまり変わらないんですけど。キムチの入れ物がたくさんあるという。このとき、冷蔵庫の中の物を1点1点全部写真に撮ってるうちに、はじめはまったくばかげたことに思われていたと思うんですけど、ともかくひたすら物を取り出しては写真にとって、その物の名前とか値段とかどうして入手したかといったことを聞くことを繰り返していったんです。全部で122点の物が冷蔵庫の中にあります。キムチはおばあさんのところから送ってくるとかね、いろいろな物語を聞くことができました。
先ほどちょっとお話ししましたけど、調査の時3200点あった物が今10000点超えているというのはどういうことかといいますと、調査の時にはお風呂場にタオルが17枚ありましたとか、そういう調査だったんです。資料としてはそれで1件ですね。ところがその後わかったのは、実はタオルといっても、それぞれに文字が書いてあるんですね。大体タオルを買うことなんて滅多にないわけで、ほとんどがもらい物です。ところが、タオルに書いてある文句を聞いていくと、「これは知事さんが婦人会にやってきて金一封置いていった。そのとき記念に自分の名前の入ったタオルを置いていったんだよ」という話とか、「これはおばあさんの還暦の時に作ってお返しにあげたタオル」とか、「これはどこそこの焼き肉屋さんがオープンしたときに、みんなで行って食べてもらったタオル」とか、そういう家族の思い出が一つ一つ出てくるのです。資料1件で済んでいた物がこういう形でそれぞれにアイデンティファイされ、別の意味をもつようになると、どんどん資料件数が増えてしまった。というので今10000点を超える物が最終的に記録されています。
最初の広報にも使ったお父さんのパンツにはキングコングの絵が描かれています。お父さんは伝統的な文化の研究をしている研究所にいる方で、地方に行っては韓国の伝統文化をいかにエンカレッジして観光に結びつけるかという講演をしているのですけど、そのお父さんがはいているパンツはキングコングだというので[笑]、建前と本音の違いを示すよい例になっていました。
実際のものの調査は、調査シートを作って、それに聞き取りした内容を韓国語で記録してもらい、日本にもどってから日本語に翻訳しているわけです。パンツの調査シートには、「トランクスより着用感がよいためブリーフを愛用。昔は白を履いたが3年前から妻が色物を購入するようになったので、そのまま履いている。ブランド品」と書いてあります。それと値段と、いつ買ったかという情報が記してあります。このパンツは9000ウォンですから900円。
展示場に再現されていた台所は建築紹介風に写真を撮ればこういう感じになりますけど、これをこうやって全部開けてしまう。この写真が調査の様子をよく示していると思うんですけど、3200点の資料写真の中から台所にあった物を抜き出すと大体800点ぐらいのアイテムになります。
リビングは内輪の世界じゃなくて、かなり外向けの世界ですね。韓国でもお客さんを招き入れるのがリビングですので、そうすると大体飾り物が多いんですけど、資料の点数はずっと少なくて117点。夫婦の寝室はおよそ600点ぐらいで、タンスにしてもベッドにしても全部奥さんの嫁入り道具でして、家の中に旦那さんの物というのは実はあまりない。旦那さんの持ち物は寝室の洋服ダンスの中に入っているネクタイとか背広とかその類だけという結果がでました。
お婆さんのいる部屋はアパートで一番おおきな部屋で、本来はここが夫婦の寝室であるらしい。子どもたちの二段ベッドも置かれていて、お婆さんはこの部屋で縫い物をしたり、洗濯物を干したりしている。この部屋は壁一面タンスになっています。お婆さんの部屋の中の物は全部で700点近くあります。これが先ほどからいっているお風呂場ですね。洗濯物が干してある。お風呂場の物は、このときにはタオルなんていうのも1点分にしか数えていませんのでかなり少ないです。これは子供の勉強部屋で。ここは若干本がたくさん置いてありますのでたくさんになりますけど、こんな感じでやっぱり800点ぐらいの物が置いてある。こういうことをやった。
それから、これはお父さんの。お父さんの世界は実は会社と、家にはあまりないんですけど、会社と車です。車の中をやっぱり全部調査しまして。まぁこういう物も出てきた。それだけじゃなくて、各人に全部洋服を、これ2回調査やっているんですけど、冬バージョンと夏バージョンがあって、これ夏バージョン。着ていた物全部脱いでもらって。これは展示に使ったものですね。持ち物も全部出して。これをまた1点1点撮るんですけど。
それでお父さんの一日を追いかける。会社までついていって。お昼焼き肉食べている様子。そのときお母さんは何しているかというとジムに通ってダイエットに励んでいると。夜は夜で飲み屋さんまでついていって、映像取材をして、飲み屋さんにいったら、こちらはこれ日本に持ってくるというので全部1点1点の写真をやっぱり撮って。だから飲み屋さんでもトイレットペーパーもあったし雑巾もあったし、あらゆる物全部持ってきておいてあるんですね。
これはお母さんの着ていた物です。これも夏バージョンですね。ハンドバッグの中身全部。自分の奥さんのハンドバッグの中身を知らない、私は知らないですね。人の家の奥さんのを知っていると。これは買い物に一緒について行きまして、おばあさんと一緒に行っているんですけれども。買い物したときに、また全部買った物を記録して、値段はいくらだったかというのを書いているわけですね。
これは男の子の持ち物。ランドセルの中身。ランドセルじゃないか。リュックの中身。で、学校が終わると塾に行ってまして、これ塾の貼り紙ですね。いたずら書きがしてある。これ女の子の持ち物。女の子は可愛い物をいろいろ持っていまして。ピカチューのマスクとかね。この辺全部展示場に出てましたね。
で、学校まで追いかけていって、学校の様子を撮影して。これは展示のあとだったんですけど、学校行ったら給食食べさせてもらって、1回食べたらこれが本当においしいんですね。日本の給食はすごく貧しくチープだったんですけど、韓国のお昼はすごく豪華で、最初に食べたのはカニのチゲとももの缶詰とかで。これは毎日続くのか、嘘だろうと思ったので、じゃぁ1週間越させてくださいといって5日分全部通って食べた。さすが、でも5日間全部すごいメニューで、必ずキムチは付いているし、なかなか豪華でした。
学校だけじゃなくて勿論家の方もやるんですけれども、家も1週間カメラ渡しておいて「朝昼晩全部写真撮ってください」って言って、これは1週間分です。宅配ピザがあって、これ調査の時なので宅配ピザをとってもらったりとか、焼き肉屋さんに食べに行ったりとか、ちょっと外食も入ってますけど。これは完全にカメラ渡して撮ってもらった別バージョンですけど、カメラ渡したので、きれいにレースの敷物をひいたりしてかえってわかりにくくなってしまいました。これが1週間分の食事です。これの料理の名前とか、どういう物を材料に使っているかとか、それを全部聞き取りをして。もう忘れちゃいましたけど全部。
これはおばあさんですね。おばあさんだけやっぱり特殊なんですね。消費財じゃなくて、全部自分で作っちゃうんです。このブラジャーとかも全部自分で手作りなんです。これは娘たちの家を巡り歩いていることが多いので、この小さなハンドバッグの中にほとんど旅行道具一式、いろんな物が入っている。スプーンが入っていたりとかね。これはアパートのリビングの部屋を使って祖先祭祀を行うんですが、そのときの様子です。[51'33] 完全に別世界になってしまいます。伝統的な服を着て出てくるので。これでおじいさんの祖先祭祀を行っていました。そのときに来た人。これが家族全員の。一番上の列が、実はおばあさんで、家族じゃないんですけど、おばあさんとその親戚たち。その下から、子供が7人いるんですね。左が一人、次女が来れませんでしたけど、その旦那さんが来ています。ずーっと追っていって、この家の主人公である李さん。李・ウォンティさんという方は下から3番目の男、長男ですけど。その下に弟がいて、あと全部女という兄弟です。実はよく見ると白黒とカラーと分かれていると思いますけど、このカラーが李さん姓なんですね。それ以外は全部李さん以外の姓の人たちです。つまり韓国の家というのは夫婦別姓ですよね。そうすると家長の夫は李源台(イ・ウォンティ)さんですが、李さんの家の家族で、おばあさんは全然違う名前、子供二人は李さんですが、奥さんもまた違う名前なんですね。そうすると3つの姓が少なくとも入っている。李さんのお姉さんの家は、お姉さんだけが李さんで、それ以外の子供も旦那さんも全然違う名前という、そういう家族関係になっています。
これはおばあさんの家。おばあさんの姓は張さんというんですけど、張さんの実家までいって、実家の親戚のおばあさんの食事風景。食事をしていたら、台所も開けてみようと。冷蔵庫も開けてみようとか、そういう習慣になってしまいまして。それで日本でも小学校の宿題でやりますけど、1週間の日課、朝何時に起きて何をして何をしてって全部家族4人にお願いして書いてもらって、1週間。これ旦那さんの物で、ちょっとわからないですけど。これ子供のとか。
そういう感じで。そういう調査をやって、じゃぁこれ全部民博に収集させてあげると言うことになって、それで今のような調査をやったんですけれど、実際にだけどそれが本当に話が動くとどういうことになるかというと、それは大変なことですね。いうは易し行うは難しというか。
これは12月の20何日かですけど、引っ越しの日です。おばあさんなんかまだ訳がわからないというか、あれよあれよという間に引っ越し屋さんが10何人も来て梱包してしまっているんですね。どんどんどんどん段ボールに詰め込まれて。韓国の引っ越しはダイナミックですから、これ10階なんですけど、上から外でそのままクレーンでおろしてしまう。クレーンというか、次々とおろしてしまう。で、引っ越し屋さんが去ったあとです。2日間掛けて引っ越して去ったあとほとんどもう何もなくて、新品のキムチ冷蔵庫が直ぐ届いて、食べ物なんかはその中に保管していました。そんな形で展示ができたんですね。
それであとちょっとだけですけど、じゃぁなんでそんなことをやろうとしたかということを話しておかないといけないんですが。これは私はボルネオでも調査をした、半年ぐらいですけど、経験があります。関根先生もやられたことがある。昔やっていたはずですけど、これはボルネオのイバン族という人たちのロングハウスの様子です。一種のアパートなんですが、屋根がトタンになってますけど縦に線がブロックごとに分かれていると思います。これは何かといいますと、ロングハウスの中というのはこういう風に広い通路というか広場みたいなものがあって、その背後に家、個室が続いているんです。ところが広場と家の個室を合わせて、実はそれは一つの家族が造るものなんです。つまり最初にある家族が自分の持ち分を作ると、次から次へとその家族の持ち分にさしかけるような形で家を継ぎ足していくんですね。だから、たとえたくさんの人が同時に使用するような広場であっても、それを作っている人はいるんです。作っている所有者はいるんです。だから自分のところの屋根だけ変えたりするのでああいう筋ができるんですね。それぞれまったくプライベートに作っていく、パブリックな空間を。そういう風になっています。それでそうやってできた空間が、このように非常に豊かな共有空間になっていまして、日中は、いろんなものを編んだりとかいう作業をしていたり、お客さんが来ると大体ここに泊まることができるので、非常に開かれた空間ができています。個室はどうなっているかといいますと、今の広場からちょっと奥にはいるとこういう個室空間がありまして、今おばあさんが寝ていますけれども。これが台所の様子。ちょっとわからないですね。暗くて見えない。
[野島] もう少し明るくなります。
[佐藤浩司] こっちはならなくても。暗くするとわかる。見えますか?左側に台所の、今ガスにプロパンガスが入っているので、もともとは薪だったんですけど、かなりこれでもモダンになっているんですね。それがもっとモダンになるとどうなるかといいますと、これと同じ構造なんです。構造は全然変えてないんですけど、ビニルシートを貼るんですね。そうすると壁も合板類を貼るんですが、そうするとこれが今のロングハウスの台所です。こんな感じになってます。ビニルシート一枚でずいぶんイメージチェンジしていきます。空間も豊かです。先ほどのリビング的なところはこういう感じで変わっていくんですね。個室が。それで、なんでそんな話をしたかというと、実は我々のアパートとこのロングハウスの違いを考えてみる必要がありまして、ロングハウスというのは前提としてまず家族があるわけですね。[57'46] 家族がいて、その家族が自分の意志でアパートメントの個室を作る。個室というか、自分の空間を作っていくっていうプロセスがあるんです。
それに対して、我々の住んでいるアパートはすでにアパートというものがあって、そこに人が入っていくわけですね。そうするとたとえばロングハウスの社会というものを調査しようとしたときに、それはかなり共有制の、なんていうか、ある家族を調べればロングハウス全体がわかるような社会だと思うんですね。それに対して、たとえば我々のアパートの社会を、その建物から追っていこうとすると実はそこに入っている人間は全部違っていたりするわけです。隣に韓国の人が来て住んでいるかもしれないし、隣は全然違う地方から来ているとかね。違う家族関係にある人がいるかもしれないということで、別にアパートの空間はある社会を前提にしているわけではないんですね。
とすると少なくとも私が伝統的な村落を調査していた時には、その建物の構造を追って、そこの構造がどういう風に作られたかというのを調べていくと、何となくその社会全体のイメージというのがつかめたんですが、ソウルのアパートを調査しろといわれたときに、じゃあアパートの構造を調べたら何かそこから、最終的にそこに住んでいる人間まで落とし込めるような成果が得られるかというとどうもそういう気がしなかったんです。それは単にアパートの構造の変遷史であって、それは決して韓国の人間性を示すものでもなんでもないと思った。じゃあ逆に、そこの中の人間をどうやって調べるか、その人間一人一人が抱えている問題にどうやって到達するか考えたときに、空間じゃなくて物にいってみようと。少なくとも空間は外来的な要因でいろんな経済的な条件もあれば、職場に近いとかいう条件もあるでしょうけど、そういう外来的な条件で選択せざるをえなかったかもしれないけれど、その中に置かれた物については少なくとも自分の意思で買った物、自分の意思で使っている物だから、その物を調べていけばその個人に到達できるのではないかということを考えたんです。それがソウルスタイルという展示の調査をしようとした経緯、きっかけですね。考えたきっかけです。
で、これはその前史が更にありまして、これは野島さんも最近よく紹介されてますね、「地球家族」という本。ユネスコから出た本の第1ページ目を飾っている家です。これはアフリカのものです。世界には持ち物100以下で過ごしている、それで満足して生活できている民族もあります、もちろん。それに対してこの本の最後を飾っていたのは、実は日本なんですね。日本の家族はこれだけの物を持っていないと満足できない。つまり、いくら物があってもたぶん自分が生きているという実感をえられない。っていうか満足した生き方をできない。結果これだけ多くの物に囲まれているのであろう。だとすれば、物を調べれば、その生きている意味というのに到達できるのではないかという思いですね。おそらく初めに見せたこのアフリカの例ですと、家の物を調べたからといってそれほど多くの意味がたぶんえられないと私は思います。というか、これを調べることによって、たぶんこの社会全体の縮図が見えてくるんだろうと思いますが、逆にこちらの方の物を調べていくことによって社会の縮図が見えるというよりも、むしろ個人の縮図が見えてくるんじゃないか。むしろその個人の縮図が見えることが重要で、最初にお話ししましたけど、たとえ社会の縮図が見えた、社会の歴史がわかったと感じても、そこから個人が出てこない、あぶり出されないなら、その調査はいったいなんだったのか。そうした危機感をたぶんわれわれが抱えているから個人の歴史に着目するんでしょうし、個人の思い出に着目するんでしょう。それは、こういう物が増えていく原因にもなってるんだろうと、そういう見通しですね。[62'08]
これは宮崎勤、連続幼女殺人事件の家の様子ですが、この部屋の写真が1989年ぐらいだったと思いますけど、この部屋の写真が公開されたとき、多くの人は「こんな部屋に住んでいるからあんな残虐な殺人を起こしたのだ」と思って、いってみれば安心した。つまり反社会的な人間の証拠として彼の部屋を取り上げた、理解したんだと思います。ところが、その後都築響一さんという方が「東京スタイル」という本を出して、東京に住んでいる、単身者が多かったんですけど、部屋の様子を写真集にしています。そうしたところ、もう犯罪者と間違えるような部屋が実にたくさんあることがわかった。多かれ少なかれ、それが常態といってもよい。こんな人もいるし、こんな人もいるし。部屋は皆さんたぶんワンルームで、ワンルームというと均質な社会イメージをもつわけですが、その部屋の中の物を調べるとユニバーサルなというか、画一化されたステレオタイプな人間イメージとはまったく違うことがわかる。[63'33]
[安村先生到着]
[野島] 暗くて大丈夫かな。
[安村] あぁ、大丈夫。大丈夫です。見えます。すみません。
[佐藤浩司] もう大丈夫です、つけて。
[野島] じゃあすみません、つけてください。
[佐藤浩司] どこまで話したっけ。これも都築さんのですね。今は空間は一致していても、その中に住んでいる人間はまったくバラバラ。まったく違う人間である可能性があるということに気がついて、その当時、私は非常勤をいくつかの大学でやっていましたので、その授業の中で学生にカメラを渡して、自分の部屋の様子を撮って自分というものをそれによってプレゼンテーションしてくれという課題をだしました。これはその一つ、女子大の学生が出してきた自分の部屋の様子なんですけど。その学生さんの台所。全然片づいてない。すばらしく個性的ですよね。これ、調べてきたのを発表してもらったんですけど、僕はよくここまでって感心して、女子大生のイメージとのギャップに私は驚きましたけど。まあイメージの方が悪いんでしょうけれどね。
その後、建築科の大学でもやりまして、これは建築学科の学生の部屋です。男の学生ですけど、建築家の玉子ってみんなきれいな図面を描いてくるんですよ。このときは課題に写真とあわせて図面も描かせているんですが、レポート自体はものすごくきれいなんですけど、中に映っている、写り込んでいる部屋はものすごく汚くて。これはある一人。もう一人別な人。大体みんな似たり寄ったりで、ほとんどみな汚い。汚いというのはちょっと言い過ぎ、可哀想かもしれません。空間がワンルームで狭いのにもかかわらず、物の数が圧倒的に多いんですね。だからどうしたって住み場のないほど物があふれるという状況になっています。これは私のかつての研究室です。他人のことをとやかく言えません。
ということで、発表自体はこれだけなんですけど、ユビキタスにちょっと話を続けないといけないんですが。[66'16] ユビキタスということで、思い描かれている社会が、私には、ある意味ユニバーサルなというか、均質なステレオタイプ化された家族とか人間像に基づいているような気がするんです。それには困ったなと思っているところがあって、実は物について調べれば調べるほど、ユニバーサルなものから遠ざかっていく。ますます人間はバラバラというか、個性が出てくる。たぶんユビキタスが目指していく社会ってそういう社会なんだろうという気がちょっとしているんです。それはインターネットが普及することによって、何か一つのジェネラルな社会ができるのではなくて。確かに皆さんが同じ状況にアクセスできるようになったけれど、その結果としてみんなが自分の情報を発信するようになって、一つの歴史がどんどん崩されていく。多様な歴史、社会になっていくという。それとたぶん近いようなことが、もしユビキタス住宅とかユビキタス社会というのをイメージするときにできてくるんじゃないかと思うんです。今までユビキタス研究者の中で当然のように思われている社会イメージ、家族がいて、家庭があって、その延長にステレオタイプな住宅があるといった、そういう規格化されたものに対して、じつはユビキタスはそれを打ち壊していくような、それを抜けていくような可能性を与えるものなんじゃないかと逆に思っているんです。それができるシステムだとも思っているし、少しでも豊かな人間生活を送れるような形にユビキタスの方向を持って行けたらと思ったのがこの研究会をやってもいいなと思ったきっかけです。そのきっかけを作ってくれたのは野島さんですので、話は続けて野島さんにお願いしたいと思うんですけどよろしいでしょうか?