思い出はどこへ行くのか? ― 2004.10.23 ―
時間
時間はどこでも過去から未来へと一直線に時を刻んでいるわけではない。農耕民の社会では円環的に時がめぐっていることはよく知られているし、そのほうがよほど人間の生理にもかなっている。時間が誰にもひとしく、あともどりのできない時を刻むようになったのは近年の話である。
時の観念は現代人のいだく人生観にも影響する。私たちは、自分ひとりのかけがえのない人生を、たよるべき手本もなしに徒手空拳で戦っているようなものだ。だから、情報・通信メディアの発達がもたらした最大の恩恵は、時間や空間のしきりが人間同士のつながりにとってさほど大きな障害ではなくなったこと。私を私ならしめている経験が、時空間をこえて誰とでも共有できる未来――たしかに個人の人生は一回きりだとしても、そうしてつくられる人格は、いつもどこかにひそんで、私たちのまえにひょっこりと姿をあらわすにちがいない。人間はふたたび生きる意味を見いだしたのかもしれない。でも、よくよく考えればなんのことはない。昔の人はみんなそうやって先人の経験をわかちあって生きてきたのではないか。