思い出はどこへ行くのか? ― 2004.07.26 ―

[みんぱく共同研究会第1回]
[東京・機械振興会館 664会議室 2004年7月26日 13:00-17:00]
[参加]
内田直子, 大谷裕子, 加藤ゆうこ, 國頭吾郎, 久保隅綾, 佐藤浩司, 佐藤優香, 須永剛司, 関根康正, 長浜宏和, 野島久雄, 南保輔, 安村通晃, 山本貴代, 山本泰則

全記録

それではそろそろ

[佐藤浩司] それではそろそろ始めたいと思います。この会議室の時間が1時から5時までしかとっておりませんので、出来るだけ早く終わらせたいと思います。今日のメニューなんですけれども、初めにこのみんぱくの共同研究会っていうのと、今日出席の場合共同研究じゃなく機関研究となっているんですけど、そういう内輪の制度的な話をちょっとだけしておかないといけないので。突然委嘱状が送られてきたっていって慌てふためいていた方がいらっしゃると思うのでそのことについてちょっとお話ししたいのと、研究会の成果がどういう風な形になるかということも見通しを立てておかなければいけませんので、そのようなみんぱくの制度の中におけるこの共同研究会のことをちょっとお話しして、それから私が、佐藤ですけれども、私が。何をするんだったっけ。[笑]

[野島] え?

[佐藤浩司] 何かをしろって書いてあったよね、今日の僕。

[野島] たくさんありますよ、やることは。

[佐藤浩司] はい。それでなんかしなければいけないんですけれども。実は影の仕掛け人は野島さんなんですが、なんで私はもともとこんな研究してなかったのになんでこんなことに引っ張り込まれたかというもとになったお話をちょっとします。それから野島さんにその後、この研究会の目標とするところですかね。お話しして頂いて、たぶんそれで3時半ぐらいになるんじゃないかと思います。それから安村先生が今日3時半ぐらいにいらっしゃるということなので、それから皆さんの自己紹介と何をやっているかを。たぶん初めて顔を合わせる方も多いと思いますのでそれについてお話ししてもらって、それから次回の研究会の予定と、今後の研究会の予定について時間があれば話して、今日がたぶん終わるんじゃないかと思います。で、その後どっかとってある?

[野島] いや、とってないですよ。人数がわからなかったので。

[佐藤浩司] 時間があればどこかでなんでしょう。お酒飲めないんですよね、野島さん。会食か何かをしたいと思います。ということで暑いところいらして頂いてありがとうございました。[2'26]

今回はちょっと特殊なんですけど、普段は大阪の国立民族博物館でやります。ここよりもっと暑くてもっと不便なところですので夏はちょっと大変かもしれませんけど。それでこの研究会は突然企画することになって、皆さんに電話だけしか、顔を合わせたことのない方もいるし、野島さんを通してだと私は全然面識のない方もいらっしゃるんですけど、するということになって、なんのこっちゃ?と思われるかもしれないんですけど、国立民族博物館というのは大学共同利用機関で、今までも共同研究会というのを毎年何本も走らせているんですね。で、大体は研究者、大学の研究者を集めて、特に人類学の研究者を集めてあるテーマで2~3年共同研究会を行って、その後で成果を出す。何らかの成果を出すということです。今回の場合も3年間で企画して出しているんですが、実は今年の4月から民博は独立行政法人化されまして、そのごたごたで予算の執行が遅れています。それで予算の執行が遅れて今年に関しては10月以降でないと予算が執行されないということで、3年間でなくて2年半ということになっています。

それで大体1年間に4~5回ぐらいの研究会を行う予定です。少なくとも今年に関しては10月以降で4回ぐらいか5回ぐらいやるつもりで、ほとんど毎月のようにやる感じになると思います。それで今考えているのは、今年に関しては毎回二人ぐらいずつゲストを招いて、その話を聞こう。我々が何か発表するのではなくて、とりあえずそういうベースを確認しようということで毎回人類学の研究者とそれからもうちょっとコンピュータよりの面白いことをやっている人に来てもらって、二人ずつでセッションしてその記録を残していこうとしています。[4'45]

来年度以降についてはちょっとまたあとで話をします。別なことをちょっと考えていますので。で、この共同研究会なんですけれども、民博でやるにあたって旅費と宿泊費。まぁ宿泊まで必要な場合には宿泊費が支給されます。で、それが全部国民の税金ということですので、やはりやったことに関しては何らかの報告とか成果を求められています。そのために、たとえば会社、特に会社のことですね。企業の方は企業の許可を得ないで来ると、たぶん給与をもらいつつ、かつ民博からお金を、旅費と日当が出ますので多少なりとも、支給されるということで、一応会社の方に委嘱状というのを送らせて頂いています。それは大学関係者も一緒なんですけれども、突然会社の上司に委嘱状が来たとかいうことになって、説明がちょっと至らない点もあってご迷惑をおかけしたかもしれませんけれども、委嘱されたからといって何か特別に大変な義務を負うということはこの分野に関してはありませんで。発明発見もたぶんないし、青色ダイオードもたぶん発見発明できないと思いますし。

[野島] その可能性は、この分野は今結構ある。

[佐藤浩司] そうするとね、発明された物の成果をどこに帰属するかということの契約をしないといけなくなるんですよ。

[野島] そうか。

[佐藤浩司] それができない。

[野島] そうか。特許はナシとしておかないといけない。

[佐藤浩司] とりあえず最終的に成果としては、普通は報告書を出すんですね。で、報告書も責任を負っているのは実は代表者である私だけなんです。だから誰もみんなそっぽを向いて書かないっていわれてしまうと一人で何かしなくてはいけなくて、それができないとどういうことになるかというと、次回以降研究会を企画できないというそういう制裁を受けることになります。それで普通は皆さんの協力をめでたく得て、何らかの形で報告、館内の報告書か、今回の場合はちょっと外部出版も考えてますけど、そういうものを作ると。で、それに寄稿して頂けるのが一番ベストです。でも会社でやるから、こんなことは相ならんというようでしたら、勿論書かなくてもべつにそれはなんのおとがめもありませんので、その辺はあまり負担に感じないでください。むしろ自分のやっていたことを外部に発表できる機会ととらえて頂けたらよいと思います。

それから研究会自体も何か情報を、まぁいろんな企業の方がいらっしゃいますので、情報を盗むとか盗んだとかそういう話じゃなくて、やっぱり今まで普通には出会うことのない人たちと情報交換して、自分のところの仕事にも役立てて頂ければ一番いいと思いますし、そういう情報をむしろ流して頂けたら皆さんで共有できるのでいいのではないかと思っています。それから、テーマについてはまたあとでやりますね。それからもう一つ。いろんな書類が民博から送られてきてちょっと当惑されたかもしれないんですけど、実は今お話ししたのは共同研究会というシステムなんですね。で、それについては今日お配りした資料の初めの3ページまでが民博のホームページからとったものですので。

[野島] すみません。これ一つ足りないんですけど。

[佐藤浩司] さっき「あまってる」とか。

[野島] いや、それはみんな配って、南さんのところだけいってない。

[佐藤浩司] 9,10,11,12,13,14,15。15用意してきたと思った。

[野島] それとも山本さんはナシ?

[佐藤浩司] 山本さんは。いや、そんなことない。

[野島] そんなことない?

[佐藤浩司] そんなことないです。

[野島] いやいや、そんなことないそうですけど。

[佐藤浩司] じゃあこれは差し上げます。

[野島] じゃぁこれをシェアしましょう。

[佐藤浩司] で、ホームページ見て頂ければわかるようなことが書いてありますが。今は公募も受けていたりしますので、今年から若干変わっていますけれども。昨年度までの研究が17本走っているとかですね。あと地域研究企画交流センターっていうのが民博にありまして、ちょっとまた別組織ですのであれなんですけど、そういうことをやっていると。それで先ほどもお話ししましたけれども10月以降でないと今年度の予算が出ないということで、実は機関研究という民博の中のカテゴリなんですけど、そういうのにもこれを、まったく同じメンバーでまったく同じテーマで応募しています。その機関研究に応募するとどういうメリットがあるかといいますと、共同研究会ではできないようなシンポジウムを企画したりとか、成果を報告するためのお金が出たりとか。今回の場合には外部の識者を招くための費用をそこから出そうとしているんです。それの一環として、今日の研究会に関しては、その機関研究という予算のカテゴリで支出してもらっています。それでややこしいことに機関研究と共同研究というのを担当する部署が民博で違いまして、両方違う部署から皆さんのところに銀行の振込だなんだとか書類がいってると思うんです。それで二重にたぶんいっているんですが、二重に出して頂かないと「来てない」とかいわれてしまうわけですね、今日の場合。そういうややこしい話になっています。それで機関研究もやることは一緒で、成果がやっぱり出れば同じなので、申請どくという感じだと私は理解しているんですけど、民博には機関研究として今4つのカテゴリがあげられていまして、ちょうど私が応募していたのは文化人類学の社会的活用というカテゴリで入っています。[10'22]

ちなみに今日のお配りしたプリントの5枚目ですけれども、その社会的適応のカテゴリには、日本における応用人類学の展開のための基礎研究・災害対話プロセスに関する人類学的研究・人類学的知識の活用という3つと並んで「思い出はどこに行くのか」と、これだけなんか特別おかしな研究が並んでいるという状況なんです。民博がいかに普段は学問的な堅いことをやっているかということ、その中でどれだけこの研究会が変わった人材を集めて変わったことをやろうとしているかということをご理解頂けるといいかと思います。それで制度的な説明はこれでおしまい。何か今まででご質問とかありますか?特にないですよね。問題ありませんね。じゃどうしましょう。この研究会の見通しについては、実は3時半以降にしようと思いますので、じゃぁとりあえず私の報告でもしましょうか。[11'30]

[野島] 細かい自己紹介は別として名前ぐらいは一通り。

[佐藤浩司] 簡単な。そうですね。

[野島] いっておかないと、一体誰に向かって喋っているのかわからないので。

[佐藤浩司] 安村先生が3時半以降になるということですので、詳しい自己紹介は後ほどとして、簡単に所属と名前ぐらいは。

[野島] それから今名簿をお配りしましたので、もしも間違いとかなにかがありましたら修正しますのでちょっとご確認頂きたい。

[佐藤浩司] じゃぁ私から行きます。国立民族学博物館の佐藤と申します。一応建築人類学というようなことを専門にしております。

[野島] じゃぁ私、その補佐役をやっております野島です。NTTマイクロシステムインテグレーション研究所というところにおります。また詳しい話は後ほどということで。

[関根] 日本女子大学の関根といいます。文化人類学が専門で、インドを特にやっております。

[野島] それから、今そこのところで記録係をやってもらう、我々のところの鈴木さんという方に今日手伝ってもらいました。

[大谷] フリーランスのライターの大谷と申します。よろしくお願いします。

[山本泰則] 国立民族学博物館の山本です。専門は情報処理。情報工学の方です。それからこの共同研究会では一応表の副代行をやらせて頂きます。どうぞよろしくお願いします。

[加藤] 京都にあります民間の会社ですが、シィー・ディー・アイというところにおります加藤ゆうこと申します。よろしくお願いします。

[山本貴代] 博報堂生活総合研究所の山本でございます。よろしくお願い致します。

[久保隅] コニカミノルタテクノロジーセンターのイメージング文化研究所というところにおります久保隅と申します。よろしくお願い致します。

[内田] 内田直子と申します。夙川学院短大の家政学科という、一応ファッション専攻なんですけれども、分野的には生活学全般を研究してます。

[南] 成城大学の南といいます。社会心理学と書いて頂いていますが、まぁワッチャーなり数量的なことはやらない、コミュニケーションとかそういうことをやっています。

[須永] はい。須永剛司と申します。私は多摩美術大学で情報デザインという分野をやっております。

[佐藤優香] 佐藤優香です。3月まで民博に所属していました。専門は教育学です。よろしくお願いします。

[長浜] 大和ハウス総合技術研究所生活ソフト研究室に所属しております長浜と申します。よろしくお願いします。

[國頭] NTTドコモのネットワーク研究所の國頭吾郎と申します。ユビキタス関係の研究をしておりまして、物から今どういう状況なのかなというのを見せようとしている研究をしています。よろしくお願いします。[14'49]

[佐藤浩司] それで今日いらしてない方が3人います。一人は、名簿順で行きますと、黒石いずみさん。彼女は今和次郎の研究。建築を出て今和次郎の研究で学位を取られた方です。それから清水郁郎さん。清水さんはもともと民博、うちの大学院で博士をとっています。専門はタイのアカ族の建物の住まいの研究をされています。世界で数人というアカ語を話せる研究者の一人です。それから久保正敏さん。やはり民博のコンピュータ民族学。オーストラリアアボリジニなどをやっている先生です。その3名の方が今日いらしていないということと、一つ残念なんですけど、隣の隣にいらっしゃる関根先生は民博の制度上、研究会をいくつも掛け持ちしすぎているというので、これには参加できなくなりましたので、正式メンバーからははずれています。ゲストで一度お話を聞く機会を設けたいと思いますし、今日はオブザーバーとしていらしてくださってますけれども。ということで、この研究会からは一応人類学者という名の方が一人もいなくなりましたので。不思議な。民博でやるにしてはすごく不思議な研究会ということになりましたね。そのようなメンバーでこれから3年ぐらいやらせて頂きます。それでいいでしょうかね。

[野島] ええ。あと安村先生はあとで、今ちょうど試験の監督をされているそうなので、終わり次第駆けつけられるということです。安村先生は慶応大学のSFC、湘南藤沢キャンパスでヒューマンインターフェースの方では非常によく知られた先生です。

[佐藤浩司] それで、緊張していますので、ちょっと[笑] 。共同研究会のテーマが「思い出はどこへ行くのか」「どこに行くのか」。なんでそんなタイトルが付いて、しかもそれとなんでユビキタス。物と家庭。なんかこの研究会をやるにあたって、民博で審査を受けたんですけど、思い出とユビキタスはどこが関係してるのかとか、家と、物と家庭とどんな関係があるのかと突っ込まれまして説明するのに往生しましたけれど、これは、この研究会を始めるに至った経緯をたぶんそのまま表している名付けだと思いますし、それなりに面白いと私は思ってますけど。なんでこのような研究会ができるに至ったかの話をしたいと思います。しておきたいと思います。それが私の発表なんです。[17'57]

で、お配りした資料の中に、閉じられた物と別に、5枚のレジュメとそれからこのもう一つ「昨日よりワクワクしてきた」というのが入っていると思います。レジュメは今日これからお話しする内容です。物と家庭にまつわる一つのエピソードとして、2002年ソウルスタイルと書いてあります。それから忘れてしまうといけないのでちょっとお話ししておきますけど、この「昨日よりワクワクしてきた」というのは、実は来年の3~6月までの特別展を私は企画しておりまして、これがそのタイトルです。やるものが「物」なんですね、やっぱり。で、物とその意味に関わることをもうちょっと考え直してみようという企画ですので、たぶんこの研究会ともかなりオーバーラップするところがあると思います。それで今年の最期の研究会かあるいは来年度の最初の研究会で、これが見られるような機会を設けたいと思いますので、旅費の心配なくいらして頂けるように一度企画します。そういう宣伝、ご紹介です。で、レジュメの方に入りたいと思いますけど。これ、

[野島] 閉めますか?

[佐藤浩司] 閉めないとわからないんじゃないかな。

[野島] あかり消す?

[佐藤浩司] あかりを消せばいい。

[野島] とりあえず。[カーテンを閉めている] 灯りを消すと寝ちゃう人がいるから。

[佐藤浩司] 灯りを消すと。このぐらいでいいです。

[野島] このぐらいでいいですか。




物と家庭にまつわるエピソード

[佐藤浩司] もともと私は東南アジアの民家の研究などをしている人間なんですね。[20'00] それがなぜユビキタスに突然引っ張り出されることになったかというと、私も予期しなかったことですが、この2002年に民博で行ったソウルスタイルという展覧会の、これも予期せぬ成果でそういうことになったんです。それでそこから話を始めるのが一番よいということで今日のレジュメを用意しているんですけれども、実はこのレジュメはつい1ヶ月ほど前に韓国の建築史学会というところに呼ばれて講演をしたんです。私は韓国語話せないんですけど。そのときに作ったレジュメの一部です。一部を、建築史関係の話については全部はしょって、今日の話に特化したことだけを集めたレジュメを用意しています。それで何回かその後講演会も行っているのでお聞きになった方も、この話の一部はすでにお聞きになった方もいるかもしれませんけどその辺はご勘弁ください。

それでレジュメの、この絵を見られるより、まずレジュメの方なんですけど、レジュメに建築物ウクレレ化保存計画という1ページに載っていますね。これはアーティストの伊達さん。伊達のぶあきさんという方が建築物ウクレレ化保存化計画という、ちょっと人を食ったような、建築物の保存のプロジェクトをやっているんですね。これはなんで人を食っているかというと、要するに建築家は建築物の保存プロジェクトをいくつもやって保存運動をしていますが、その建築物の保存運動では全然住んでいた人の意味というのがすくい上げられていないというので、彼はそれをある意味ちゃかすということもあるんでしょうし、彼自身が注目したことでもあるんですけど、建築物、その壊される建築物の中の具材を使ってウクレレを作るというアートをやっているんですね。

で、そのウクレレというのが変わっていて、その建物の中に残された思い出ですね、たとえば子供の時に刻んだ柱の刻み目とか、椅子に貼り付けたシールのあととか、火事になったあとに残った痕跡とかそういうことを家族の人たちにインタビューして、どこがこの家に私たちが一番、その家族が思いを込めているかというところをすくい上げて、その部分でウクレレを作るんですね。建物は壊されてしまうけれど、ウクレレとしてその建物の思い出が残っていくという、そういうプロジェクトでウクレレを作っているんです。で、作ったウクレレをその建物の持ち主だった人に返す。返すっていうか売るんですね、要するに。ことでアートしているんですけれども。彼がいうには、建築家というのは建物の保存運動をやっていて、建物が壊されるとなるとたくさん来るんだけど、いったん建物がそれで壊されると決まったとたんにもう建築の人間はみんないなくなってしまうと。で、彼自身の仕事はそこから始まるんだと言うことをいっているんですね。要するに、我々は文化財の保存とかいうことをやる、私も建築士ですからやるわけですけれども、でもその建築物の、文化財の保存によってはやっぱり個人の生き様とか時間は救いえないんだ、だからこそそういう自分の思い出というか、自分が思い出のこもった部分を何とかして形に残していくことが必要なんだということだろうと思うんです。それが「思い出」というタイトルをこの研究会に付けた大きな理由でして、今まで我々は研究ということでたいていは社会の思い出を対象にしているんですね。歴史とか伝承とか。少なくとも個人の思い出じゃなくて、社会がどういう風に社会としての記憶をもっていたかということをずっと研究対象にしていたわけですけれども、そのような歴史、社会的な記憶をいくら追いかけていっても、その中で個人の歴史が救えないというか、個人の時間がやっぱり回収できないという気持を皆さんがたぶん持ち始めているんだろう。ではそういう、本来あまり賞賛されることのない個人の思い出というものをもう少し正面切って取り上げるような研究がたぶん必要なんだろうというのがものすごくこのタイトルのベースにある、人類学者に訴えるための発想です。そういうことを考えてみてくれということを私はいおうと思っています。

それで、その先は野島さんがやることですけど、この2002年にやったソウルスタイル、ご覧になった方もいるかもしれませんけれど、ちょっとその紹介からしておきたいと思います。これがその展示場の全景でして、ソウルの3LDKのアパートの持ち物を全部持ってきて。全部というのは本当に全部で、まぁあとで出てきますけど、ほとんどゴミくずのような物まで。下着とかね。使った物全部を持ってきて展示場に並べました。で、住宅を囲んで家族5人いるんですけれども、5人の家族がそれぞれ過ごしている生活空間をちりばめる。それでその2階にはソウルの人たちの一生を、生まれたときから死ぬまでのステージに分けて展示するということをやっています。[25'51] まぁ時間と空間でソウルを切ってやろう。韓国の人を切ってやろうというような発想ですね。

で、イントロのところにまず家族5人の身ぐるみはいだ服。これ下着も全部実は入っているんですけれども、服。それから持ち物一切合切をケースに入れて展示しました。今でこそ韓国ブームですけれども、韓国を紹介するというので、まったく政治的なものとか美術的なものを除いてこういう形で始めたのはたぶん初めてだろうと思います。これがアパートの部分ですね。入口、玄関の入口のところの味噌等を入れておく瓶です。瓶と自転車ですね。部分ですが。で、この玄関から入りますと、まぁ靴を脱いではいることになるんですけれども、奥に食堂、ダイニングとリビングが見えています。

これが食堂部分ですね。このような形です。食堂はまぁ比較的物が少ないですけれども。カレンダーもありますし時計もありますし。台所です。今キムチのチゲを作っている最中という形で展示は構成されていますが。冷蔵庫の中の物も、一応再現ですけれどもされています。勿論収集した物ではなくて、私が別途買いに行って買ってきた物を突っ込んでるわけですけれども。これは夫婦の寝室ですね。奥さんの使っている化粧品類とか、引出の中は下着も入っていますし。結婚したときの写真等々も全部並べています。これが夫婦の寝室に置いてある衣装棚。布団も入れてあるタンスですけど。旦那さんの持ち物が初めてこの中で出てくる。背広とかネクタイとかですね。

これはお風呂場です。お風呂場に洗濯物を干していたりするのとか。なぜかというと暖房が入っていて結構空気が乾燥しているので、ここに洗濯物を並べておくと乾くんですね。トイレ。これは韓国で買った物、新品です。お風呂。これはリビングですね。で、リビングにはピアノが置いてあると、日本のお客さんが来てピアノ弾いていたりとか。まるで自分の家であるかのように修学旅行の学生が来てリビングで腰掛けて、何を見ているか。韓国の新聞を見ていたりとか、読めるはずがないんですが。見ていたり、テレビ、ビデオ見ているんですけど、これは家族のホームビデオを見ているところです。おばあさんの古稀かなにかの儀式の様子を撮ったビデオでした。

で、リビングの前には家族写真が貼ってあって、お父さんが買ってきたお土産類がいろいろ飾ってあると。日本でも同じですね。それから先ほどのピアノの上にはお母さんが集めている世界の人形が飾ってあるとか。まぁ日本とそんなに変わらないと思いますけど、やっていることは。これはおばあさんと子供二人がいる部屋です。一番広い部屋ですね。タンスを開けると、韓国でしか見られないような色合いの布団が置いてあると。

これは子供の勉強部屋です。勉強部屋にも家族写真が貼ってあって、日本地図じゃない韓国地図、朝鮮半島地図が貼ってあると。あ、これはそれで子供のちょうど宿題をやっていたときの、宿題じゃないな。問題集をやっているところをそのまま再現していましたので、問題集がおいてあったりとかしています。で、子供が小さいときの写真がいろいろ部屋に飾り立ててある。で、家の外、部屋の外ですけど、これは展示のパネルですけど、子供が小学校の課題としていろんな自由研究をやりますね。日本でもそうだと思うんですけど。そのほとんどはお母さんが手伝っているわけですけれども、そういう研究のパネル、今日は何をしてどうしたっていうイベントの説明と写真が貼ったようなパネルがたくさんありまして、それを全部貼ってある。で、たぶんそんなものの内容については、韓国語ですから読めないはずですけれどもたくさんのお客さんがそれを見て喜んでいる。

これはその家の周りの様子ですけれども、家の周りにテレビのモニタを4つおいて、家族5人ですけれども子供は二人一緒なんですが、家族5人のインタビューを流しています。この展示についてのメッセージとか、自分の家族について自己紹介とか他人紹介ですね。つまり子供が思っているお父さんと、お父さんが思っているお父さんとどのくらい違うかっていうのがこれをずっと見ていくとわかるというそういう仕掛けになっています。

それからその上に写真がたくさん貼られていますけれども、これは実はこのような展示が実現するにあたって、突然全部物をくれたわけではありませんで、一つ一つの物について全部写真に、デジタルカメラにとってその物が家族にとってどういう意味があるかというのを聞き取りをしているわけです。その写真が3200枚その当時ありまして、その写真を全部貼り付けてあります。今はそのご調査の結果10000点を超えるものになってしまっていますが、この調査の段階では3200というアイテム数がカウントされています。この聞き取りをほとんど実は奥さんに対してやったんですけれども、それをやることによって、つまり、彼女は家族の誰にも知らないようなことをすべて調査者である私に話す。一種のカウンセラー的な役割。旦那さんも知らないような物語を全部私が聞き取りして書いているわけですね。そういう調査を通して初めてある種の共感を得られてこのような展示が可能になったんです。そういう意味もあって、この調査の時の写真を全て並べています。

それからモニタの横にガラスケースがいくつかありますけれども、これには様々な家族を紹介するためのアイテムが入れられています。きれいに飾られている。どんなものかといいますと、これは違う。これはインタビューの様子ですね。それを日本の学生たちがみんなで座って一生懸命インタビューの様子を書いている。将来何になりたいとか、好物は何とかそういうようなたぐいのインタビューだと思いますけど、記録していました。これはそのガラスケースの中の一つです。子供の小学校の通信簿。テストの答案、それから作文といったものが入っていますね。これはまた別なケースですけれども、幼稚園の時の卒園アルバムです。これは、日本ではちょっと信じられないと思いますけれども、全て幼稚園の卒園アルバムは家族写真ですね。いかに家族が大切かということを示していると思いますけれども。これは家族新聞といいまして、韓国では家族を紹介するための新聞作りというのがあります。韓国の著名な家族新聞もあって、その家族新聞、自分のところで作った家族新聞を交換するとか、ホームページにもよい家族新聞の作り方というものが出ていたりしますし。実際子供の学校で家族新聞を作るという課題が出ます。その課題に即してたくさん、どの家庭でも必ず家族新聞を作った経験がある。ここに並べられているのは、韓国で有名な家族新聞というのが左上にあります。右下の方は李さんの、この家族の家族新聞。それから左側は家族新聞で優秀賞を取って、それを市庁だったかなにかで賞をもらったときの表彰状です。コンテストですね。[34'29]

これは奥さんが財テクしている通帳類全てと、それから家計簿、それから旦那さんの所得の証明書とか、アパートの様々な電気の支払とかそういったものをガラスケースに入れて並べて出しています。それからこれは、家族それぞれに「自分にとって一番大切な物は何か」というのを展示場で聞きましてその物を並べています。これは奥さんが指摘したものですね。儀礼の時に使う器類というということで出しています。家の部分がそういう形で展示されていまして、その周りに家族5人それぞれの生きている世界を表現していこうというので、ちょっと暗いですけど、これはお父さんの行きつけの屋台の酒場を再現したものなんです。再現というか持ってきたものです。

この調査の前提には、韓国というのではなくて、まず、韓国を表現するために家族はいるわけではないので、韓国展のためにこの李さんの一家を使うのではなくて、李さんの一家をまず表現するという基本的なコンセプトがあったんですね。その李さんの一家を表現することによって韓国というものを何か表すことにしようと。同時に、ということは李さんの家族さえも5人一緒の共同体ではなくて、それぞれ違う人間たちの集まりですから、日本でも同じだと思いますけど、子供の世界をお父さんは知らないでしょうし、今お父さんが何やっているかをたいていの家族の子供たちはあまり知らないんですね。それは日本と韓国の違いとかいう以前に、家族の内部でさえ世代間の違いはありますし、夫婦だってお互いにいない間何しているかわからない。じゃぁそれぞれの家族のはまったく独自の人間と考えて、それぞれの生活空間・世界を表現していこうというので始めたプロジェクトなんですけど、取材も行っていますけれども、これはお父さんの行っている行きつけの飲み屋さん。このような感じ。皆さんが飲み屋に座って見ているのは、大きなお父さんの映像ですけれども、一日それぞれの人を追いかけて映像をとっているんですね。その映像の様子をまとめて流しています。ここではお父さん。これはお父さんがいっている会社の事務室の中です。机のものは全てオリジナル、本人からもらった物です。こんなものですね。ほとんど暗くて見えない。これもあまりよく見えませんね。ここでは見えるんだ。

これはおばあさんの故郷の家というのを一応再現して。ちょっといろいろな事情があって、階段の下なのであまりスペースがなくて変な形になってしまっていますけれども小さな部屋です。これがその中の様子なんですけど。この隣に韓国の伝統的な靴が置いてあって。これは部屋の中の様子ですね。この部屋の中の物は実際にはおばあさんの家から持ってきた物ではなくて、李さんの家の中の物をここにアレンジしているんですけれども、こういう形でおばあさんの世界を表現しようとしている。左側にミシンがあって、これは何十年来使っているおばあさんの愛用しているミシンです。今でも使っている。これは、もうおじいさんは亡くなっているんですけれども、おじいさんのお墓までいって、これはおじいさんのお墓を再現しています。背後に映っている映像はおばあさんの一日を追った映像ですね。

これは子供の小学校を再現したものです。小学校の中では子供たちの一日を追いかける映像が流れていて、時々韓国語の授業を行っていました。真ん中に前の館長さんだった石毛さんが映ってますけれども。後の黒板に貼られているのは全て実際に小学校からもらってきた子供たちの作品です。習字があったり図画があったり工作があったりしていますね。これはお母さんの世界ということで、市場を再現したものですが。背後にお母さんの一日を流しています。市場の様子。市場の中にお風呂。サウナと床屋さんが一緒になっているんですけれども、も再現しています。アパートの中に実際にお風呂があるんですけれども、韓国ではあまりそのお風呂を使いませんで、毎日お風呂はいるということがないんですね。その代わりにサウナで、毎週サウナに行って汗を流すということをしているというので、日本以上にサウナが生活の中にとけ込んでいます。このようなものを展示場の中に再現しています。

2階にいく途中ですけれども、2階のことはあまりいいませんが、このような形で2階がコーナーに分かれて、誕生から死までを追いかけている。右側の方に李さんの家の、この家族の子供の時から大人の時の思い出のグッズをそれぞれのステージに合わせて並べている。このような形で2階が並べられて、それで2階から今生きてきた1階の世界を見ると、たったこれだけの世界で人生が完結していくのかというような、ちょっとガッカリするような気持がするんですけど、実際に1階の展示場見ている間は2階から見られているということはまったく意識がないんですね。それだけ密度が濃いから、1階が。初めて2階に来て、こういう風に鳥瞰するとすごく不思議な気がしますね、我々の生きている世界というのは。そのような印象を与えるような展示でした。[40'29]

実際日本のお客さんがたくさん来て、冷蔵庫の中を覗いたりとか、子供のテキスト、問題集を見たりとか、赤点がついてる。台所の上に置いてある物を見たりして覗き見をしているわけですね。子供たちが二段ベッドに乗っかったりとか、子供が使っているおもちゃで遊んだりとかしているし。たぶん日本では絶対できないんですけど、夫婦のベッドに潜り込んでみんなで遊んでるとか。韓国はなにかとかいう以前にこのような形で飛び込んでしまえるような、不思議なというか、たぶん広い大きな意味を持った展示だったと思うんです。

この展示の結果、こういう研究会をやることになったんですけれども、そもそもどうしてこんな展示をやろうとする、あ、違うな、まだ。どうしてこういう展示が実現できたかということをお話ししないといけないんですが、これは展示の最初の広報に使ったものです。韓国展、いわゆる2002年ですのでワールドカップがありまして日本中で様々な形の韓国展が行われていたんですが、そのときにうちの博物館ではどんなことをやるかということを議論されまして、いわゆる李朝の文化の物とか伝統芸能とかそういういろいろなアクセスの仕方はあるけれど、もっともっと民博らしいことをやりたいというので結局アパートの調査をして、こういうアパートの物を全部出すことが決まったんですけど、それで広報も最初からパンツで行こうというので、これを旦那さんの持ち物全てをアレンジして並べたものです。これが第1回目の広報で使われた。[42'27]

これも写真を、もう一つこれを使いましたが、これは冷蔵庫の中。李さんの家の冷蔵庫というので、冷蔵庫の中の写真です。日本とあまり変わらないんですけど。キムチの入れ物がたくさんあるという、そういうやつでした。このときに冷蔵庫の中1点1点全部出して写真に撮ってるうちに、まったくばかげたことに思われていたと思うんですけど、初めのうちは。ともかくひたすら取り出しては写真にとって、その物の名前とか値段とかどうしたかとか聞くということを繰り返していったんです。これ122点冷蔵庫の中にありました。キムチはおばあさんのところから送ってくるとかね、いろいろな物語を聞くことができました。

これ先ほどちょっとお話ししましたけど、調査の時3200点あった物が今10000点超えているというのはどういうことかといいますと、調査の時にはお風呂場にタオルが17本ありましたとか、そういう調査だったんです。それで1点ですね。ところがその後、実はタオルといっても、この名が全部書いてあるんですね。大体タオルなんて買うことが滅多になくて、ほとんどもらう物ですね。そうすると、たとえばここに書いてあるものを読むと「これは知事さんが婦人会にやってきて金一封置いていった。そのとき記念に自分の名前の入ったタオルを置いていったんだよ」という話とか、「これはおばあさんの還暦の時に作ってお返しにあげたタオル」とかね。「これはどこそこの焼き肉屋さんがオープンしたときに、みんなで行って食べてもらったタオル」とかそういう家族の思い出が一つ一つ出てくるというので、3200点だった物がこういう形でばらしていくとどんどん増えてしまうというので今10000点超える物が最終的に記録されています。

これは最初の広報にも使ったパンツです。お父さんのパンツって。お父さんは実は伝統的な文化の研究をしている研究者で、研究所にいる方で、地方に行っては伝統文化をいかにエンカレッジして観光に結びつけるかという講義をする人なんですけど、そのお父さんがはいているパンツはキングコングのパンツだというので[笑]、いかに建前と本音が違うというのを示すよい例だったんですが。これもこういう形で調査のシートを作って、それに韓国語で記録したものを日本に翻訳しているわけです。このシートに書いてあることは、「トランクスより着用感がよいためブリーフを愛用。昔は白を履いたが3年前から妻が色物を購入するようになったので、そのまま履いている。ブランド品」と書いてあります。それと値段と、いつ買ったかというのが書いてあるわけですね。9000ウォンですから900円。

これは調査の様子ですけど、先ほどあった台所がこういう感じなんですね、もともとは。これは台所の、まぁ建築家がとるとこういう写真になるんですけど、これをこう全部開けてしまう。これが調査の様子を示していると思うんですけど。台所の中の物全部を、3200点の写真の中から分けると大体800点ぐらいの物が台所から出てくる。

これはリビングです。リビングは内輪の世界じゃなくて、外向けの世界ですね。韓国でもお客さんを入れるのがリビングですので。そうすると大体飾ってあるものが多いんですけど、物の数はずっと少なくてこれだけ。これは夫婦の寝室なんですけれども、先ほど、これオリジナルの寝室ですね。それで旦那さんの物が実はあまりないんですが、中を全部開けると600点ぐらいで、タンスにしてもベッドにしても全部奥さんの物でして、旦那さんの物は洋服ダンスの中に入っているネクタイとか背広とかその類だけという。

これはおばあさんのいる部屋です。おばあさんが今縫い物をしているところです。洗濯物がたくさん干してある。で、おばあさんの部屋のタンスですけど、これを開けるとこういう風な形になってる。おばあさんの部屋の中の物全部でここもたぶん700点近くある。これが先ほどからいっているお風呂場ですね。洗濯物が干してある。お風呂場の物は、このときにはタオルなんていうのも1点分にしか数えていませんのでかなり少ないです。これは子供の勉強部屋で。ここは若干本がたくさん置いてありますのでたくさんになりますけど、こんな感じでやっぱり800点ぐらいの物が置いてある。こういうことをやった。

あ、これはお父さんの。お父さんの世界は実は会社と、家にはあまりないんですけど、会社と車です。車の中をやっぱり全部調査しまして。まぁこういう物も出てきた。それだけじゃなくて、各人に全部洋服を、これ2回調査やっているんですけど、冬バージョンと夏バージョンがあって、これ夏バージョン。着ていた物全部脱いでもらって。これは展示に使ったものですね。持ち物も全部出して。これをまた1点1点撮るんですけど。

それでお父さんの一日を追いかける。会社までついていって。お昼焼き肉食べている様子。そのときお母さんは何しているかというとジムに通ってダイエットに励んでいると。夜は夜で飲み屋さんまでついていって、映像取材をして、飲み屋さんにいったら、こちらはこれ日本に持ってくるというので全部1点1点の写真をやっぱり撮って。だから飲み屋さんでもトイレットペーパーもあったし雑巾もあったし、あらゆる物全部持ってきておいてあるんですね。

これはお母さんの着ていた物です。これも夏バージョンですね。ハンドバッグの中身全部。自分の奥さんのハンドバッグの中身を知らない、私は知らないですね。人の家の奥さんのを知っていると。これは買い物に一緒について行きまして、おばあさんと一緒に行っているんですけれども。買い物したときに、また全部買った物を記録して、値段はいくらだったかというのを書いているわけですね。

これは男の子の持ち物。ランドセルの中身。ランドセルじゃないか。リュックの中身。で、学校が終わると塾に行ってまして、これ塾の貼り紙ですね。いたずら書きがしてある。これ女の子の持ち物。女の子は可愛い物をいろいろ持っていまして。ピカチューのマスクとかね。この辺全部展示場に出てましたね。

で、学校まで追いかけていって、学校の様子を撮影して。これは展示のあとだったんですけど、学校行ったら給食食べさせてもらって、1回食べたらこれが本当においしいんですね。日本の給食はすごく貧しくチープだったんですけど、韓国のお昼はすごく豪華で、最初に食べたのはカニのチゲとももの缶詰とかで。これは毎日続くのか、嘘だろうと思ったので、じゃぁ1週間越させてくださいといって5日分全部通って食べた。さすが、でも5日間全部すごいメニューで、必ずキムチは付いているし、なかなか豪華でした。

学校だけじゃなくて勿論家の方もやるんですけれども、家も1週間カメラ渡しておいて「朝昼晩全部写真撮ってください」って言って、これは1週間分です。宅配ピザがあって、これ調査の時なので宅配ピザをとってもらったりとか、焼き肉屋さんに食べに行ったりとか、ちょっと外食も入ってますけど。これは完全にカメラ渡して撮ってもらった別バージョンですけど、カメラ渡したので、きれいにレースの敷物をひいたりしてかえってわかりにくくなってしまいました。これが1週間分の食事です。これの料理の名前とか、どういう物を材料に使っているかとか、それを全部聞き取りをして。もう忘れちゃいましたけど全部。

これはおばあさんですね。おばあさんだけやっぱり特殊なんですね。消費財じゃなくて、全部自分で作っちゃうんです。このブラジャーとかも全部自分で手作りなんです。これは娘たちの家を巡り歩いていることが多いので、この小さなハンドバッグの中にほとんど旅行道具一式、いろんな物が入っている。スプーンが入っていたりとかね。これはアパートのリビングの部屋を使って祖先祭祀を行うんですが、そのときの様子です。[51'33] 完全に別世界になってしまいます。伝統的な服を着て出てくるので。これでおじいさんの祖先祭祀を行っていました。そのときに来た人。これが家族全員の。一番上の列が、実はおばあさんで、家族じゃないんですけど、おばあさんとその親戚たち。その下から、子供が7人いるんですね。左が一人、次女が来れませんでしたけど、その旦那さんが来ています。ずーっと追っていって、この家の主人公である李さん。李・ウォンティさんという方は下から3番目の男、長男ですけど。その下に弟がいて、あと全部女という兄弟です。実はよく見ると白黒とカラーと分かれていると思いますけど、このカラーが李さん姓なんですね。それ以外は全部李さん以外の姓の人たちです。つまり韓国の家というのは夫婦別姓ですよね。そうすると家長の夫は李源台(イ・ウォンティ)さんですが、李さんの家の家族で、おばあさんは全然違う名前、子供二人は李さんですが、奥さんもまた違う名前なんですね。そうすると3つの姓が少なくとも入っている。李さんのお姉さんの家は、お姉さんだけが李さんで、それ以外の子供も旦那さんも全然違う名前という、そういう家族関係になっています。

これはおばあさんの家。おばあさんの姓は張さんというんですけど、張さんの実家までいって、実家の親戚のおばあさんの食事風景。食事をしていたら、台所も開けてみようと。冷蔵庫も開けてみようとか、そういう習慣になってしまいまして。それで日本でも小学校の宿題でやりますけど、1週間の日課、朝何時に起きて何をして何をしてって全部家族4人にお願いして書いてもらって、1週間。これ旦那さんの物で、ちょっとわからないですけど。これ子供のとか。

そういう感じで。そういう調査をやって、じゃぁこれ全部民博に収集させてあげると言うことになって、それで今のような調査をやったんですけれど、実際にだけどそれが本当に話が動くとどういうことになるかというと、それは大変なことですね。いうは易し行うは難しというか。

これは12月の20何日かですけど、引っ越しの日です。おばあさんなんかまだ訳がわからないというか、あれよあれよという間に引っ越し屋さんが10何人も来て梱包してしまっているんですね。どんどんどんどん段ボールに詰め込まれて。韓国の引っ越しはダイナミックですから、これ10階なんですけど、上から外でそのままクレーンでおろしてしまう。クレーンというか、次々とおろしてしまう。で、引っ越し屋さんが去ったあとです。2日間掛けて引っ越して去ったあとほとんどもう何もなくて、新品のキムチ冷蔵庫が直ぐ届いて、食べ物なんかはその中に保管していました。そんな形で展示ができたんですね。

それであとちょっとだけですけど、じゃぁなんでそんなことをやろうとしたかということを話しておかないといけないんですが。これは私はボルネオでも調査をした、半年ぐらいですけど、経験があります。関根先生もやられたことがある。昔やっていたはずですけど、これはボルネオのイバン族という人たちのロングハウスの様子です。一種のアパートなんですが、屋根がトタンになってますけど縦に線がブロックごとに分かれていると思います。これは何かといいますと、ロングハウスの中というのはこういう風に広い通路というか広場みたいなものがあって、その背後に家、個室が続いているんです。ところが広場と家の個室を合わせて、実はそれは一つの家族が造るものなんです。つまり最初にある家族が自分の持ち分を作ると、次から次へとその家族の持ち分にさしかけるような形で家を継ぎ足していくんですね。だから、たとえたくさんの人が同時に使用するような広場であっても、それを作っている人はいるんです。作っている所有者はいるんです。だから自分のところの屋根だけ変えたりするのでああいう筋ができるんですね。それぞれまったくプライベートに作っていく、パブリックな空間を。そういう風になっています。それでそうやってできた空間が、このように非常に豊かな共有空間になっていまして、日中は、いろんなものを編んだりとかいう作業をしていたり、お客さんが来ると大体ここに泊まることができるので、非常に開かれた空間ができています。個室はどうなっているかといいますと、今の広場からちょっと奥にはいるとこういう個室空間がありまして、今おばあさんが寝ていますけれども。これが台所の様子。ちょっとわからないですね。暗くて見えない。

[野島] もう少し明るくなります。

[佐藤浩司] こっちはならなくても。暗くするとわかる。見えますか?左側に台所の、今ガスにプロパンガスが入っているので、もともとは薪だったんですけど、かなりこれでもモダンになっているんですね。それがもっとモダンになるとどうなるかといいますと、これと同じ構造なんです。構造は全然変えてないんですけど、ビニルシートを貼るんですね。そうすると壁も合板類を貼るんですが、そうするとこれが今のロングハウスの台所です。こんな感じになってます。ビニルシート一枚でずいぶんイメージチェンジしていきます。空間も豊かです。先ほどのリビング的なところはこういう感じで変わっていくんですね。個室が。それで、なんでそんな話をしたかというと、実は我々のアパートとこのロングハウスの違いを考えてみる必要がありまして、ロングハウスというのは前提としてまず家族があるわけですね。[57'46] 家族がいて、その家族が自分の意志でアパートメントの個室を作る。個室というか、自分の空間を作っていくっていうプロセスがあるんです。

それに対して、我々の住んでいるアパートはすでにアパートというものがあって、そこに人が入っていくわけですね。そうするとたとえばロングハウスの社会というものを調査しようとしたときに、それはかなり共有制の、なんていうか、ある家族を調べればロングハウス全体がわかるような社会だと思うんですね。それに対して、たとえば我々のアパートの社会を、その建物から追っていこうとすると実はそこに入っている人間は全部違っていたりするわけです。隣に韓国の人が来て住んでいるかもしれないし、隣は全然違う地方から来ているとかね。違う家族関係にある人がいるかもしれないということで、別にアパートの空間はある社会を前提にしているわけではないんですね。

とすると少なくとも私が伝統的な村落を調査していた時には、その建物の構造を追って、そこの構造がどういう風に作られたかというのを調べていくと、何となくその社会全体のイメージというのがつかめたんですが、ソウルのアパートを調査しろといわれたときに、じゃあアパートの構造を調べたら何かそこから、最終的にそこに住んでいる人間まで落とし込めるような成果が得られるかというとどうもそういう気がしなかったんです。それは単にアパートの構造の変遷史であって、それは決して韓国の人間性を示すものでもなんでもないと思った。じゃあ逆に、そこの中の人間をどうやって調べるか、その人間一人一人が抱えている問題にどうやって到達するか考えたときに、空間じゃなくて物にいってみようと。少なくとも空間は外来的な要因でいろんな経済的な条件もあれば、職場に近いとかいう条件もあるでしょうけど、そういう外来的な条件で選択せざるをえなかったかもしれないけれど、その中に置かれた物については少なくとも自分の意思で買った物、自分の意思で使っている物だから、その物を調べていけばその個人に到達できるのではないかということを考えたんです。それがソウルスタイルという展示の調査をしようとした経緯、きっかけですね。考えたきっかけです。

で、これはその前史が更にありまして、これは野島さんも最近よく紹介されてますね、「地球家族」という本。ユネスコから出た本の第1ページ目を飾っている家です。これはアフリカのものです。世界には持ち物100以下で過ごしている、それで満足して生活できている民族もあります、もちろん。それに対してこの本の最後を飾っていたのは、実は日本なんですね。日本の家族はこれだけの物を持っていないと満足できない。つまり、いくら物があってもたぶん自分が生きているという実感をえられない。っていうか満足した生き方をできない。結果これだけ多くの物に囲まれているのであろう。だとすれば、物を調べれば、その生きている意味というのに到達できるのではないかという思いですね。おそらく初めに見せたこのアフリカの例ですと、家の物を調べたからといってそれほど多くの意味がたぶんえられないと私は思います。というか、これを調べることによって、たぶんこの社会全体の縮図が見えてくるんだろうと思いますが、逆にこちらの方の物を調べていくことによって社会の縮図が見えるというよりも、むしろ個人の縮図が見えてくるんじゃないか。むしろその個人の縮図が見えることが重要で、最初にお話ししましたけど、たとえ社会の縮図が見えた、社会の歴史がわかったと感じても、そこから個人が出てこない、あぶり出されないなら、その調査はいったいなんだったのか。そうした危機感をたぶんわれわれが抱えているから個人の歴史に着目するんでしょうし、個人の思い出に着目するんでしょう。それは、こういう物が増えていく原因にもなってるんだろうと、そういう見通しですね。[62'08]

これは宮崎勤、連続幼女殺人事件の家の様子ですが、この部屋の写真が1989年ぐらいだったと思いますけど、この部屋の写真が公開されたとき、多くの人は「こんな部屋に住んでいるからあんな残虐な殺人を起こしたのだ」と思って、いってみれば安心した。つまり反社会的な人間の証拠として彼の部屋を取り上げた、理解したんだと思います。ところが、その後都築響一さんという方が「東京スタイル」という本を出して、東京に住んでいる、単身者が多かったんですけど、部屋の様子を写真集にしています。そうしたところ、もう犯罪者と間違えるような部屋が実にたくさんあることがわかった。多かれ少なかれ、それが常態といってもよい。こんな人もいるし、こんな人もいるし。部屋は皆さんたぶんワンルームで、ワンルームというと均質な社会イメージをもつわけですが、その部屋の中の物を調べるとユニバーサルなというか、画一化されたステレオタイプな人間イメージとはまったく違うことがわかる。[63'33]

[安村先生到着]

[野島] 暗くて大丈夫かな。

[安村] あぁ、大丈夫。大丈夫です。見えます。すみません。

[佐藤浩司] もう大丈夫です、つけて。

[野島] じゃあすみません、つけてください。

[佐藤浩司] どこまで話したっけ。これも都築さんのですね。今は空間は一致していても、その中に住んでいる人間はまったくバラバラ。まったく違う人間である可能性があるということに気がついて、その当時、私は非常勤をいくつかの大学でやっていましたので、その授業の中で学生にカメラを渡して、自分の部屋の様子を撮って自分というものをそれによってプレゼンテーションしてくれという課題をだしました。これはその一つ、女子大の学生が出してきた自分の部屋の様子なんですけど。その学生さんの台所。全然片づいてない。すばらしく個性的ですよね。これ、調べてきたのを発表してもらったんですけど、僕はよくここまでって感心して、女子大生のイメージとのギャップに私は驚きましたけど。まあイメージの方が悪いんでしょうけれどね。

その後、建築科の大学でもやりまして、これは建築学科の学生の部屋です。男の学生ですけど、建築家の玉子ってみんなきれいな図面を描いてくるんですよ。このときは課題に写真とあわせて図面も描かせているんですが、レポート自体はものすごくきれいなんですけど、中に映っている、写り込んでいる部屋はものすごく汚くて。これはある一人。もう一人別な人。大体みんな似たり寄ったりで、ほとんどみな汚い。汚いというのはちょっと言い過ぎ、可哀想かもしれません。空間がワンルームで狭いのにもかかわらず、物の数が圧倒的に多いんですね。だからどうしたって住み場のないほど物があふれるという状況になっています。これは私のかつての研究室です。他人のことをとやかく言えません。

ということで、発表自体はこれだけなんですけど、ユビキタスにちょっと話を続けないといけないんですが。[66'16] ユビキタスということで、思い描かれている社会が、私には、ある意味ユニバーサルなというか、均質なステレオタイプ化された家族とか人間像に基づいているような気がするんです。それには困ったなと思っているところがあって、実は物について調べれば調べるほど、ユニバーサルなものから遠ざかっていく。ますます人間はバラバラというか、個性が出てくる。たぶんユビキタスが目指していく社会ってそういう社会なんだろうという気がちょっとしているんです。それはインターネットが普及することによって、何か一つのジェネラルな社会ができるのではなくて。確かに皆さんが同じ状況にアクセスできるようになったけれど、その結果としてみんなが自分の情報を発信するようになって、一つの歴史がどんどん崩されていく。多様な歴史、社会になっていくという。それとたぶん近いようなことが、もしユビキタス住宅とかユビキタス社会というのをイメージするときにできてくるんじゃないかと思うんです。今までユビキタス研究者の中で当然のように思われている社会イメージ、家族がいて、家庭があって、その延長にステレオタイプな住宅があるといった、そういう規格化されたものに対して、じつはユビキタスはそれを打ち壊していくような、それを抜けていくような可能性を与えるものなんじゃないかと逆に思っているんです。それができるシステムだとも思っているし、少しでも豊かな人間生活を送れるような形にユビキタスの方向を持って行けたらと思ったのがこの研究会をやってもいいなと思ったきっかけです。そのきっかけを作ってくれたのは野島さんですので、話は続けて野島さんにお願いしたいと思うんですけどよろしいでしょうか?[68'08]


▲寺山邸ウクレレ
京都府長岡京市 (003-2000-06-15)
ボディ 天板 テレビ横の柱
側板 テレビ横の柱
裏板 テレビ横の柱
ヘッド 表:テレビ横の柱(落書き「V3」)
裏:テレビ横の柱(落書き「かわばたさんからでんわ」)
ネック 1階床柱 (落書き「エアサプライあなたのいない朝」)
指 板 2階床柱
補説
数年前にお父さんが亡くなったのをきっかけに建替えを決意された寺山直哉さんはあちこちに落書きをしシールを貼り付ける子供でした。それを見かねたお父さんが「どうしても貼るならここにだけ」と許された柱がテレビ横の柱です。そこにはウルトラの父や森永チョコべーのシールの他、仮面ライダーのことと思われる「V3」や、なぜか赤い絆創膏など実に多彩な「貼り物」が施されていました。完成したウクレレを見たお母さんが一言「こうなるんだったらもっとたくさん貼っとけばよかったねえ」


展示場全景

家族紹介

アパート入口

玄関

食堂

台所

冷蔵庫

夫婦寝室

浴室

トイレ

リビング

お婆さんの部屋

子供部屋

家の外周

ものによる自己紹介

インタビュー他者紹介

一番大切なもの

お父さんの世界

お婆さんの世界

子どもの世界

お母さんの世界

家族の生きる世界を俯瞰



アボジの持ち物

冷蔵庫からのぞく韓国

122点の冷蔵庫の中身

タオル

所持品のデータベース

台所

台所の物一切合切

リビング

リビングの物一切合切

玄関

浴室

夫婦寝室

お婆さんの部屋

子供部屋

会社

昼食

飲み屋

飲み屋の持ち物

お母さんのハンドバッグの中身

買い物

本日のお買い物

男の子の鞄の中身

女の子の鞄の中身

学校

給食

一週間の献立

おばあさんの服。夏バージョン

おばあさんの持ち物

リビングで祖先祭祀

祖先祭祀に参加した親族一覧

お父さん一週間の行動

さながら引越し??



▲ロングハウスの外観。屋根に線が入り色が分かれているので、継ぎ足した部分が一目瞭然

▲通廊ではさまざまな日常作業がおこなわれる

ロングハウスのビレック

ロングハウスのビレック

ロングハウスの台所

ロングハウスの台所


▲M's Room(1989)

ある女子大生の部屋

建築科学生の部屋

某博物館教官の部屋



討論

[野島] ここまで何か疑問とか質問とか何かあれば。

[関根] 最後よくわからない。今の最後のところ本当によくわからないんですけど。

[佐藤浩司] 昨日からいってる[笑] 。

[関根] 急にユビキタスにつなげるところがさっぱりわからない。全然わからなかったんですけど。もうちょっとわかりやすくいってください。

[佐藤浩司] じゃぁ野島さんの話を聞いてから。

[野島] 僕にもよくわからなかった。

[佐藤浩司] そうか。ユビキタスっていうのは全ての、少なくとも住宅とかのレベルでいうと、全ての物にタグを付けるとか。全ての物を管理していこうという発想だと思うんです。全ての物を管理してどうするかというときに、そこの「どうするか」のもとにある人間とか社会とか家とか家庭とかいうイメージがユビキタスの研究者の間ではきわめてステレオタイプだ。それに対してユビキタスというのは一つ一つの物に同じユニバーサルな情報を与えようとしているからそうなのであって、そうじゃなくてユビキタスができることは、ある物についての情報が10人いれば10人違うということを受け入れられるようなシステムであるはずだ。そうだとするとユビキタスを極めれば極めるほどステレオタイプな家族や住宅というものが崩れていくだろう。崩れる可能性をそこにはらんでいるだろうということですけれども、それではダメ?

[関根] いや。さっきより少しわかりました。

[佐藤浩司] じゃぁ野島さんに思い出。

[須永] ちょっと佐藤先生。ソウルの家族の持ち物というのが展示されていましたけれども、あれ最初のお話だと、自分の思い出というかそういう歴史が物の中に入っているということで。持ってこられちゃった本人たちというのは大丈夫なんですか?

[佐藤浩司] 思い出喪失症ですね。確かにそれはあって。実はその後の話をINAXでやりましたけど。つまり私の調査は、家族5人はまったく違うという前提にたってやっていたんですけど、彼らは家族という幻想の中に実は生きていたんですね。家族の思い出を大切にしながら。それが物がなくなったことによって、直の人間と向き合うようになったんですよ。それで家族の中に非常に不協和音が生まれて、しばらくの間大変だったんです。でも結局また物を買いそろえて、新たな思い出を作っていくというか。展示自体が一つの家族の共有する思い出になっていたんだと思うんですけど。というのは、今彼らの家に行くと、今まで家族写真が貼ってあったところにソウルスタイル展のポスターとか写真とかそういうものがわーっと貼ってあるわけです。それをもとにしてたぶん家族たちは一種の新しい歩を始めることができたんだと思います。奥さんは少なくとも今でもソウルスタイルのことをすごく気にしているし、今でも彼女はその世界に生きていて、ちょっとそれについては僕は悪いことしたなと思いますけど。逆に本来捨ててもいいと思っていた物までも捨てられなくなっちゃったんですよ。

[須永] その後ですか?

[佐藤浩司] その後。つまり、その当時どうでもいいと思っていた物でも、実はこちらが聞き取りして、これはどうしたこうしたって書いて、新たに認識していくとこれは捨てられない物になっちゃうんですよね。今までゴミだと思っていた物が捨てられない物になった世界っていうのは、それはたぶんすごく恐ろしい。

[須永] そうするとやっぱり何か尋常ならざる状況が起きたということですね?

[佐藤浩司] 起きています、今でも。

[須永] 今でも。んー。

[佐藤浩司] 実はこないだ韓国で講演したというのも、その奥さんが仕掛け人で「講演会してくれ」って。自分の家族のことを話すなら来てくれというので、旅費も向こうから出たんですけど。

[須永] ふーん。なるほど。

[佐藤浩司] 彼女にとってはすごく大きな意味を持っていたし、それが韓国社会で受け入れられていないっていうか、そういうことがまだ理解されていないということについても非常に危機感を持っていますよね。

[須永] そうでしょうね。

[佐藤浩司] 自分がやったことはすごいことだったけど。日本ではこれだけ理解者がいても韓国では「なんで家の物を」っていうのがまだわからないことが多いので。

[須永] あともう一つだけ。どうしてたまたま韓国なんですか。日本の家族というか、日本のどこかの家というのは?

[佐藤浩司] それはだからこの研究会で最終的にそこに持って行けたらと思ってますけど。そういう予算の問題もあるし。やってくれる人がいるかという問題も。

[野島] これに応じるのが大変ですよね。調査はしたいんですけど。自分がやるというのはちょっとね。

[須永] 応じる方がね。いろんなものがやっぱり。

[佐藤浩司] 韓国の場合も、韓国展という、2002年のワールドカップがあって展示をやろうということがまず先にあって、展示の中でまさかこんな風にできるとは思っていなかった。単に調査でやったんですけど、その結果として全部持ってくるということになったんですね。だから、どこかでとっかかると。

[安村] 最後の二つの学生の写真というか。あれはたくさんある中で一番面白そうなものを並べたのでしょうか?それともランダムにするとああなったのでしょうか?[73'43]

[佐藤浩司] 女子大生に関しては一番汚い部屋です。

[安村] あ、やっぱりそうですね。

[佐藤浩司] 建築の学生に関してはみんな一緒です。

[安村] あ、そうですか。でもだから涙ぐましさというか、物と格闘している様子が出てるね。

[佐藤浩司] それは全てそうです。10何人のレポートほとんど全てそうです。



▲特別展『2002年ソウルスタイル――李さん一家の素顔のくらし』の解説書 定価1890円(税込・送料別 問い合わせ先:千里文化財団TEL:06-6876-3112 )


▲『地球家族 世界30か国のふつうの暮らし』 マテリアル・ワールド・プロジェクト著(ピーター・メンツェル代表) 定価1988円(税込) TOTO出版(1994)



▲『TOKYO STYLE』都築響一著 定価1260円(税込)ちくま文庫(2003)



▲2002年12月5日~2003年8月22日、名古屋・東京・大阪のINAXギャラリーで巡回展示された『普通の生活 2002年ソウルスタイルその後――李さん一家の3200点』の解説書。佐藤浩司・山下里加著 定価1545円(税込)  INAX出版(2003)



なぜ、いま「思い出」なのか

[野島] いいですか。

[佐藤浩司] じゃぁお願いします。[74'06]

[野島] はい。今、須永先生が先ほど「尋常ならざること」といわれたんですけれども、私の方の話、野島ですけれども、いろいろと、なぜこういうことになっているのかという話を含めてですけれど、ユビキタスの話に今ちょっとなりましたけれども、全ての物の情報のデータベースがあるというのはやっぱり尋常ならざることで、いろんな全ての物にいろいろな思い出がついていてそれが捨てられなくなるということも尋常ならざることなわけです。ところが、今ユビキタスの、まぁユビキタスって一体何かということ自体ももう少し本当は國頭さんとか安村先生にお話しして頂ければ一番いいと思っているんですけれども、そういう人たちが目指していることの一つというのは、たとえばこれからちょっとお話ししますけれども、自分が体験したことを全て記録に残すとか、自分が持っている物全てをデータベース化する。それでそれがどこに移動したかというのも全部記録できるような世界というのも一つの実現携帯としてあり得るわけです。実際に、今まではそういうことを夢想していた人はいるんですけれども、実際にそれをやり始めている人というのが出てきている。

その話もちょっとだけ触れますけれども、今まで自分が目にした物というのは全部パソコンのファイルとして、画像としてとっておこうということを実際にやっている人がいて、美崎薫さんという、我々もよく知っている方なんですけれども。今大体、自分が今までに見た物、あるいは自分の読んだ本とかって、本も全部スキャンしちゃうわけです。そうすると大体1ヶ月、本とか、自分が目にした物とか自分が手に入れた物というのを全部段ボール箱に入れてスキャン会社に送る。そうすると1枚10円で大体一月20000ページぐらいのファイルができると。今大体、数ヶ月前話を聞いたとき60万ページぐらいのjpegファイルがあって、あと2、3年のうちに300万になるはずだと。300万になれば自分が今まで目にした物は全部ファイルに入るというわけです。その人が一体どういう生涯を送るのかということを考えると、それはなかなか大変なことが起こりうるだろうと思うわけです。しかしそれは技術的には、ここのところでこれは私の書いたものでお話ししますと、絵だと細かすぎるので手元に置きましたけれども。やっぱり思い出の研究と考えたときに、いろんなものが関わってくるだろうと。

一つにはやっぱり、私はもともと心理学ですから心理学の方から、過去の情報。過去の情報をどういう風に扱うか、みたいな話はすごく面白いなぁと思ってきたんですね。それからもう一つは、実は私所属の話は全然しておりませんでしたけれども、NTTという研究所で、その研究所に入って今年でもう21年目ぐらいになるんですが、NTTの電気通信研究所というのはもともと非常に工学系。通信系・工学系の人が多くいるところで、そこに20年前に心理学者としては数少ない、実は二人目ということで入ったんです。そうすると、工学系の人たちがどういうことを考えているのかということもやっぱりずいぶん興味があった。たまたまということでもないんですが、私が今所属している研究所というところがユビキタスインタフェース研究グループというところで、ユビキタスインタフェース研究部というところで、まさにユビキタス。一体それが何かというのはまた追々ですけれども、そういうものに関しての研究をする人たちが非常に増えてきて、まぁタグといわれるヤツですね。あるいはICカードとかタグといわれるようなものを使って、いろいろな人の生活に関する支援をしようという研究をしようとしている人たちがいるわけです。そういう人たちは、実は先ほどの佐藤さんの話につながりますけれども、いろいろと夢を語るわけです。タグがいろんな物に付いたら、家を出るときに、今日やらなくてはいけないこと・持って行き忘れること、たとえば何とかのカード持って行かなくちゃいけない。カード忘れると教えてくれるとか、財布を忘れると家を出るときに「財布忘れてますよ」って教えてくれるとか。あるいは今日必要のない物は置いていってもいい物だということを教えてくれるとか。たとえばそういうようなこと。まぁ大したイメージじゃないんですけれども。でもたとえばそういうイメージの話をしてくれるわけです。

そうすると家の中の物に全てタグを付けたい。いや、そんなこと可能なのか?って話をすると、それはもう可能だと。もう本当に数ミリ角以下の小さなタグっていうのができていてそれをばらまけばいいんだと。たとえば壁とかいろんな物に最初から埋め込んでおけばいいんだよという話をぱっと簡単にするわけです。でもそうすると、そのときに、でもそもそも家の中に物っていくつぐらいあるの?って聞いてみると、その人たちはたいてい答えることができない。そもそも家の中に物というのはどれくらいあって、自分が一日どのくらい物とインタラクションしていて、自分がどのくらいの物をそもそも、たとえば今日僕がここにいるときいくつぐらいの物を持っているのかということを聞いてみても見当もつかない人が多いわけです。そういう人たちが、実は僕もこの佐藤さんの話を聞くまではそこまで自覚的ではなかったんですけれども、そういう人たちが家の中にタグを取り付けて、家の中の人の行動を支援しよう、家の物を支援しようと考えているというのは、やっぱりまずいんじゃないだろうかということが一つあって。

そうするとこの話というのは、これも今回はあまりお話ししませんけれども、たとえば家の中にいろいろなタグを付ける。いろいろな物にセンサーをつける。いろいろなところにカメラをつけるということを考えてみると、たとえばプライバシーの問題が入ってくるわけです。たとえば思い出というのも、先ほどいったように、自分が今までに見た物を全部画像として、あるいは動画としてとっていくと300万枚になっていく。そういうようなものが常にアクセス可能な環境になったとき、我々の記憶とか思い出というのは一体どうなっちゃうんだろうかということを、やっぱりちょっと考えないで技術だけを進めていくというのはあまりよくないんじゃないんだろうかと思っているわけです。そこの話も含めて考えるべきことはたくさんあるだろうと思ったわけです。

全体としてみると、ここに紙に描きましたけれども、まずとにかく工学の方は今ここでは工学系の方はあまり数が多くないんですけれども、安村先生とか國頭さんがいらっしゃいますので追々そういう話をして頂けると思うんですけれども、とにかくここ数年の間にいろいろなことが変わりつつあるというのがまず工学の方ではある。今まで夢のように考えられたことが現実に可能になってきているんだということを考えなければいけない。それから右側の真ん中あたりに「実践」と書いてありますけれども、要するにそういう様々なデータ入力のシステム、あるいは膨大な記憶メディア。それからそれを検索するためのコンピュータ。それから情報を入手するためのタグ、センサーを含めて、そういうものを使って実際に自分自身の生活、あるいは社会の出来事というのを丸ごと記憶仕様という試みというのが実践として出てきているというのがもう一つの工学的な動きだと思います。そこからいろいろなレベルでの機器が出てきているだろうというのがもう一つあります。あともう一つは、左側の方に行きますけれども、心理学では先ほどいいましたように、心理学の方では様々な研究がなされていたわけですけれども、最近90年代の中ぐらいから、ここでは「質的心理学」といいましたけれども、今までみたいな大量なテストを行って統計で分析するのとはちょっと違った、ここの人々の体験をベースにしてそれに基づく研究をやっていこうという動きが出てきてる。で「質的心理学」という、学会になっているのかしら、とにかく、学会ではないな。

[大谷] 学会になってますね。

[野島] 学会になりましたか。

[大谷] はい。9月から。

[野島] あぁ、そうか。雑誌はもう去年か一昨年ぐらいから出始めているんですけれども、質的心理学という動きが出てきているというのが一つ。それからあと「物」。おおざっぱな話で、細かい話に入っていっちゃうとあれですけど、そういうような人の体験に関する研究に対する興味がここ数年非常に高まってきているということがあるわけです。それからあともう一つは「自己表現」と書きましたけれども、今までだったら無名の人は無名のまま人生を終わっていたんですけれども、非常に多くの人達というのは自分を語りたいというのが非常に増えてきているように見える。もともとそうだったのかもしれないですけど、そういうことも含めてコミュニケーションとかオーラルヒストリーみたいなものに対する興味が非常に増えてきている。

それからあともう一つは、社会環境としても自分自身の体験を記録に残すというのがいいことだという動きも出てきているというのがもう一つです。これも後ほどもうちょっと詳しくご説明します。それからもう一つは、左下の方に書きましたけれども「社会的な需要」。自己表現の話と非常に近いんですけれども、とにかく昭和30年代ブームというのが今ありますし、それから社会的にアーカイブ関係だと国から金が取りやすいよとかという、工学系の人たちは最近はそういう話もしているようで、アーカイブというのは一つの世の中の流行なんですね。それからあと、家族・家庭というのが壊れつつあるということから、それを再構築するための一つのキー概念として「思い出」とかそういうものが出てきている。

それからあともう一つは、右上の工学の方の一つの派生物ではあるんですけれども、今までにないような形で、我々が日常の情報を記録しやすくなってきているということもあるわけです。こういうような全体的な流れから考えて、全体的な流れというのも、私はこういう風に考えてみると、やっぱり今は個人の体験とか思い出というものが非常に全体として盛り上がりつつあるし、そしてそこのところに皆さんの興味がいっていると。そしてまたこれは実は今やらなければならないことでもあるんです。そういう話をしたいと思います。[85'01]

まず右上の方からお話をしていきます。ちょっとこれを使ってプレゼンテーションするのは初めてなものですからいろいろと。まず工学の方。これは安村先生にいずれまたちゃんとお話しして頂ければと思っていますけれども、まず一つにはここ数年で、1990年代以降ですけれども、いろいろな形で、コンピュータの進歩などを含めて、記録技術とか保存技術とか表示技術が非常に進んできたということがあるということがいえるわけです。たとえば、これは我々もやっているんですけれども、ちょっとこれは異様ではあるんですけれども、こういう目のところにカメラをくっつけて、それから様々な、服のところにセンサーをつけることによって、それから方のところにはGPSがついているとか。たとえばそういうようなことも含めて、いろいろな情報入力機器というのはあるんです。まぁこれで町を歩いていると、実はあまり。今は非常に危ない時期ですので。これを僕がつけて町をあまり歩きようはないんですけれども、ただ技術的にはもはやこれは可能になってきていて、たとえばこれは我々が今年の2月くらいに浅草の花屋敷とか仲見世を学生の被験者を使って歩かせたときのものなんです。とにかく記録する技術というのは成熟しつつある。カメラはたくさん、簡単に小さなものもある。ビデオも、昔みたいに大きなビデオテープじゃなくて、ハードディスクレコーディングまでできる。それからICレコーダーというのもある。それから3Dキャプチャーをしたりすることもできる。しかしそれを利用する仕組みというのはなかなかないわけです。実はこれも我々2月に実験をしてデータはたくさんとったんだけれども、さてこれをどうしようかなと思うわけです。要するにいろいろなデータがあって、たとえば生理的仕様で心拍の変動というのもわかる。それからGPSで移動もわかる。それから歩数計とかあるいは体の位置の動きというのもわかるんだけれども、そこから何が使えるかというと、実は使えるものというのは非常に今の段階では少ないわけです。でもとにかく記録する技術というのはずいぶんある。

それからこれは私が出した、じゃなくて、これは奈良先端大の人がいわれているんですけど、同じようなことを考えている人たちというのが出てきて、記録というのは電子的に可能になりつつあるんだと。映像情報ですら80年分でVGA、640×480、いや400で、24ビットカラーで30フレームで撮ったとしても、そうするとかけ算をすると桁数が大きくなって僕にはわからないんだけれども、この計算を信じると640×400×24×30フレーム×60sec×60minites×24時間×365×80だと58ペタバイト。ペタバイトって、ちょっと桁がわからなくなってきたんですけれども、ペタバイトの下がテラなんですね。テラの下がギガなんですね。昔はテラバイトなんていったら夢のようだったんだけれども、今は1テラバイトのハードディスクというのは大体10万ぐらい出せば十分に買えるんです。そうするとあと数年のうちに、まぁ10年もしないうちにペタというのは現実的なサイズになってくる。そうするとたぶん58ペタバイト、まぁ100ペタバイトぐらいのハードディスクというのが、まぁハードディスクじゃないと思うんですけど、メモリというのはあと10年くらいの間にたぶん数万円のオーダーで手にはいるようになってくる。そうするとこれはどういうことを意味しているかというと、生まれたときからさっきみたいなシステムで、頭のところにカメラをくっつけている人がいたとしても、生まれてから死ぬまで、80年で死ぬまでにそれが現実的な金額でハードディスクにはいるだろうという風に、少なくとも工学の人たちは思いつつあるんですね。こういうような時代になってきているということです。

あと表示技術ということに関してみても、ウェアラブル。目のところに表示をするとか、あるいはリアリティを保って大画面で写したりするということもあるわけです。それであと情報を必要な形で、思い出をサポートするような形で支援する仕組みというのを考えている人たちというのもいまして、安村先生のところでもメモリ・インストラクターっていうそういうシステムを考えられていますし、奈良先端大の方ではユビキタス・メモリーという形で、実際に物に触れると情報が出てくるとか、たとえばそういう仕組みをデザインしている人たちというのはいるわけです。だから全体としてこういうような動きが世の中にあるということ。それから、先ほどからユビキタスユビキタスという話がありますけれども、このユビキタスという考え方というのも実は1990年代以降に流行して、最近とりわけ流行していることなんですけれども、簡単に言っちゃうとコンピュータが見えなくなって、いろんなものに小さなコンピュータみたいなものがついて、それぞれがいろいろな情報を保存したりあるいは人々に情報を提供したりすることによって、人々の行動をユビキタス、あまねく。ユビキタスというのは、世の中にあまねく存在するという意味らしいんですけれども、そういうような形での情報を、我々の行動を支援するような環境というのがITテクノロジーを使って実現していこうじゃないかという動きで、いろいろと研究がなされているわけです。

その一つが、個別な技術としてはRFIDという電波でやるタグですし、それから様々な形のセンサーですね。それに基づいて個人適応したりするということ。今回はあまりご説明しませんけれども、たとえばGeorgiaTech。アメリカの方ではAwareHomeというプロジェクトがありまして、ごく普通の家、といってもアメリカサイズですからでかいんですけれども、そこのところで、こういうごく普通の家の中に様々なセンサーとかカメラとか、そういうような道具を置くことによって、人々の生活を援助しようと。支援しようという試みがあるんです。僕はこのプロジェクトはすごく面白いところがあると思いまして、今回これもまたいずれもう少し紹介できる時間があるといいと思っているんですけれども、ここの話の一つのトピックが高齢者の支援なんです。だんだんこれからアメリカでも、日本でもそうですけれども、高齢者というのは非常に増えてくるだろうと。そうすると高齢者というのが生活していく場面で、特に高齢者で単身。一人で暮らさなければいけない人というのが増えてくる。そこを何かうまく支援するためのテクノロジーというのがあり得るだろう。たとえば、体調が悪くなったときに、家の中で倒れちゃったときにそれをうまくセンシングして手助けするとか、あるいはたとえば家事をしている際にちょっと物忘れしちゃうようなことを手助けしてくれるとか。そういうようなことを技術で支援することによって、言葉としては、彼らは Aging in Place といっていますけれど も、その場で、自分の家の中で年を老いていくことですね。そういうことを目指すようなテクノロジーをやってるんです。こういうようなことはやっぱりす ごくおもしろいと思う。

今いったような話はどちらかというと工学的な試みとしてはまだ必ずしも実用化されているものとはいえないんですけれども、やっぱりある程度まで技術が来ますと、実際にそれを実用化しようとする人たちは出てきているわけです。我々が非常に面白いと思っているのは、それを実践する人たちがいるということで、これもやっぱりここ2、3年なんですけれども、非常にブームになってきている動きがあるわけです。一般的な言葉で言うと「ライフ・ログ」といわれていますけれども、ログですね。記録になるわけですけれども、生活の記録。その人が生きていることの記録そのものを全部撮ろうというような研究計画がいろいろなところで動いているわけです。ライフ・ログという言葉は2、3年前にアメリカの国防総省がプロジェクトとして提案をして、人が体験したこと、人が見たもの、人が経験したものをそのまま記録に残すようなシステムを提案しろと。それに対してお金を出すよというプロジェクトを公募したんです。あれは結局つぶれたんですか?

[安村] いや、私はあまり知らない。

[野島] 今年の頭ぐらいにライフ・ログ・プロジェクトというのは中止になったんだという話が流れたんです。要するにライフ・ログというのは、基本的にはアメリカ国防省ですから、兵隊がどういうところでどういう戦闘をしてどういう経験をしてどういうような状況にあってというのを全部記録に残すことによってその人の状態も支援することができるし、万一亡くなっちゃったときにもその人の記録もあとでチェックすることができるしって、そういう意味で提案して公募したわけなんですけれども、実際にそれが提案されたときには、公募があったときにみんなから非常に批判が来たわけです。要するにプライバシー侵害になるんじゃないかとか。そういう話があったんですけれども、ただ全体的な流れとしてみると、人々の生活をそのまま記録するプロジェクトというのはある種の夢がありますので、いろいろな形での興味を持ってライフ・ログという言葉は非常に広まったんですね。

ほかにも、たとえばマイ・ライフ・ビッツというのは、マイクロソフトのゴードン・ベルという人がやっているプロジェクトなんですけれども、これはどちらかというとパソコン。マイクロソフトですからパソコン・ベースなんです。この人は、自分の生活に関わる情報そのまま全て保存して、それを使えるような形にするプロジェクトなんだといっています。じゃぁ実際に我々はどういうような情報を自分のハードディスクに、パソコンに持っていて、それから日常どういうような情報を入手していて、テレビからどういう情報を見て、ビデオから見て、それからメールはどのくらいやりとりしてというようなことをまずとりあえずは2001年ぐらいにはそれを観察してみる。そうするとあまり大した量じゃないということがわかるんですけれども、でもその後またどんどん増えてきているんですが。マイクロソフトの方では、このマイ・ライフ・ビッツというプロジェクトがここ数年の大プロジェクトだと認識していて、去年の秋ぐらいでしたか。ビル・ゲイツが「将来のウィンドウズにはマイ・ライフ・ビッツで検討してきた様々な技術を導入するよ」ということを公言しているんですね。具体的にどういうことかというと、たとえば我々は今や様々な情報がパソコン経由になっちゃっているんですね。メールももちろん、場合によったら電話もIP電話みたいなものでパソコンを通ることになる。それからデジカメのカメラもパソコンで保存できる。音楽もダウンロードして聴くということになる。それから映画とか何かもそうですね。映画とか何かもパソコン経由で見ていくということになっていくと、膨大な量の情報がパソコン経由になってくる。だからパソコンが統一的なインターフェースになって様々な我々の情報を検索することを支援しようという試みなんです。そういう意味で言っても、それから最近マイクロソフトだけじゃなくて、アップルが、スティーブ・ジョブズというのが「来年のマックOSの新しいバージョンには様々な、我々がパソコンの中に保存している各種の情報を一瞬のうちに検索できるようなシステムというのを提供します」みたいな形でいっているわけです。そういうような形で、そこが今パソコンの世界でも非常に戦場になっていることは間違いない。

あともう一つはここのところで美崎薫という名前を出しましたけれど、さっきも言ったことなんですけれども、美崎薫さんというのは、どちらかというとパソコン系のライターをやっていた人なんですけれども、この人が「記憶する住宅」ということで、家の中に膨大な量の情報を保存する。この人も、基本的にもともと記録魔だったわけですけれども、小学校くらいからちゃんと毎日日記をつけているし、ある程度大きくなってくると一日にどんなことをして誰とあったかということも全部記録に残っている。それから90年代以降になってくるとPDAとか様々なデジタル化された情報というのがみんな残っているわけです。それから撮った写真というのもみんなデジタル化されている。読んだ本というのも、この人は膨大な本を読むわけなんですけれども、読んだ本というのもどんどんスキャンしてデジタライズする。大体今、先ほどいいましたように、60万ページぐらいのjpegファイルというのがある。こういうような情報を、彼は、最近はまたちょっとやってないといっていましたけれども、2秒に1回画面上に、ここの写真にありますように、基本的に仕事はこのディスプレイでやっているわけですけれども、その隣のディスプレイに写真を2秒に1ページぐらいづつ写しているんです。そうすると大体60万枚だと、自分が仕事しているときだけつけていると大体1ヶ月で1周するといっていましたけれども。そうすると写真。写真って、本のページも漫画のページも含んだり、あるいは小学校の時の教科書とか小学校の時のノートとか、そういうものも全部スキャンして撮ってあるんですね。とにかく自分が目にしたものというのは全部こういう形にする。そうすると「どういう感じになりますか?」というと彼は「今がずっと続いているみたい」みたいなことをいうんですね。要するに我々だと1週間前とか1ヶ月前とかあるいは1年前というのは過去で、だんだん薄れていくんですけれども、こういう形で、たとえば1年前に行ったところの写真というのがまた今出てきたりすると、それも実は今みたいな感じになってくる。そうするとずーっとずーっと全部今という風になっちゃう。一体それは健全なんだろうかというのもよくわからないわけですけれども、でもそういうことを現実的にやろうと思えば可能になってきている時代であるということなんです。

しかし、そうすると様々な問題というのがやっぱりあって、一つにはやっぱりプライバシーの問題ですね。先ほどから、頭の横にカメラをくっつけておいて生まれてから死ぬまで80年間カメラをつけておいてもたかだか58ペタバイトだといわれていますけれども、じゃぁたとえばこういうところにカメラをくっつけて一日中つけて生活できるのかというと、そこに関してはまだ社会的な合意がなくて、まぁ自分のプライバシーということもあるし他人のプライバシーをどういう風に扱うかという話もある。これは全然問題ができてくる。それからもう一つは、これは私の興味の対象でもあるんですけれども、美崎薫さんはこういう形で、自分の持っているアナログ情報を全部デジタル化して持って行っているわけなんですけれども、逆にデジタル化したが故に失われている情報というのもだんだん出てきているわけです。たとえば、これは懐かしい、これは8インチのフロッピーでしょうかね。一番でかい一番最初の頃の、片面230キロバイト。キロバイトの単位でしかできなかった。で、これはたぶん5インチですよね。たとえば、こういうものというのは、今8インチのフロッピーなんて、まだ見かけますけれども、これを読む機械なんてもはやどこにもないんじゃないかと。まぁないことはないんでしょうけれども。それからこういうテープもそう。これはハードディスクなのかな。それに比べると、このロゼッタストーンのなんと堅牢なことという話もあるわけです。要するに、デジタル情報というのは非常に危ういということもあるわけです。その問題というのもずいぶん今世の中では議論されていて、様々に。

それから「あふれる物」。これは先ほど佐藤さんも見せて頂きましたような形で、我々の物というのは膨大なものがあって、これも今や扱いかねちゃっているという問題があるわけです。これはなんだっけな。たとえばこういうような物。これはうちの娘が小学校4年の時作った恐竜なんですけれども、いかがでしょう。[笑]でもこれ、困っているんですよね。これどうしようかって。これ未だにあって、うちの娘は「捨てろ」「もういい、こんなの捨てちゃえ」っていうんですけれども、今中学2年になっているんですけれども、親としてはちょっと捨てるに忍びないんですが。でもこういう物というのは一体どういう風にしたらいいんだろうかということが、実はみんないろいろなところで困っているはずなんですね。たいていのところでは、やっぱりこれは捨てちゃうわけなんですけれども。今は、なまじデジカメで撮れたり、場合によったら3Dの情報として保存したりすることもできるわけです。そういう風にすることというのは必要なんだろうかということを考えてみると、たとえば、非常にプライベートな情報をどういう風に扱うかということも話題としては面白い問題がある。一応こんな話で。全体としてみると、まず右側の方の話を今やったわけなんですけれども、工学のレベルではとにかくいろいろなものが可能になってきて、実際にやっている人もいる。しかしそこの中にはまだまだいろいろな問題が残っているんだよというところがあって、これに対して、どちらかといえば、私のように工学、まぁ理科系と文化系って言葉としてはもう死語に近いんですけれども、それの中間ぐらいにいる人間としては、何かちゃんと語るものを持っていないといけないんじゃないかなというのが一つ。それを是非この場で議論したいなと思っています。[106'42]というのが一つですね。

それからあともう一つは、左側の方に行きます。心理学の方では、やっぱり記憶・記録、記憶というのはもともと長い歴史のある研究分野であるわけなんですけれども、そういう中で最近「エブリデイ・メモリ」といわれるようなもの。要するに、ごく普通の我々が生活していく場面での記憶というものに関する興味というのがずいぶん高まってきているんです。記憶の研究というと、もともとWATとかXEFとか、たとえばそういう3文字の無意味綴りを人々がどういう風に覚えるかというので研究が始まっているところがあるんですけれども、そのもう一つの流れとして、ごく普通の生活場面での記憶の研究というのもずいぶんある。今回全然紹介しておりませんけれども、そういうものに対する興味というのが、実は1930年代からその流れはあったんですけれども、1980年代以降に実は我々が日常場面でやっている記憶というのは、いわゆる実験室でやっている記憶とはだいぶ違うんじゃないかという話が一つには出てきて、そういうことに対する興味はずいぶん高まってきている。

その中でもとりわけ自分自身の過去に関する記憶。自伝的記憶という風にいわれていますけれども、それに対する研究も最近非常に盛んになってきている。それからあともう一つは、これは今の二つの話とは別なんですけれども、先ほどの美崎薫さんの話が典型的なんですけれども、今60万ページぐらいのjpegファイルがある。小学校4年ぐらいから以降のノートとか読んだ本とかみんな残っているという風になったときに、それは一体どういうことかというと、ある意味で言うとイクストラオーディナリー・メモリですね。超常記憶を持った人に相当するわけですね。と思われる。そういう研究というのも実はありまして、これも有名な本なんですけれども、ロシアの心理学者のルリアという人が「偉大な記憶力の物語」という本を書いて、この中で「チー」とかっていってますけれども、たぶん仮名で、アルファベットで書くと「C」なんでしょうけれども、そういう人の話があります。その人というのはロシア人で、とにかくいったん見たものは決して忘れないという記憶力を持った人なんです。どうもこの人は「ちょっとどうも普通の人と自分は違うらしい」ということで、心理学者であるルリアのところに相談に行って、それでちょっと調べてみたら信じられない記憶力を持っているということがわかったので、ルリアがその後20年か30年にわたってずっと追いかけて、最後に1冊の本を書いたという本なんです。これすごく面白い本なんですけれども、とにかくどのくらい記憶力がすごいかというと、15年前にやった無意味綴りを覚えているんです。この人は心理学者ですからいろいろな課題を出すと、それを記憶しているわけです。ある日にある意味のない詩のようなものを「これちょっと覚えてください」って10分後にやったら当然パーフェクトに覚えていると。「じゃぁもうこれは結構です」といって、その後15年経ったあとで「実は昔あなたにあってこういうことをやったときにある詩を見せましたけれど、あなたそれ覚えてますか?」っていうとすらすらすらっというんですね。そういう強力な記憶力を持った人なんです。

しかし、心理学の中では偉大な記憶力を持った人の研究というのが数人、10人弱くらい有名な研究があるんですけれども、たいていの人が実はアンハッピーな生涯を送っているんですね。ハッピーな生涯を送れた人というのは一人ぐらいしかいなくて、イギリスのプロフェッサー・エイトキンという偉大な記憶力を持って、なおかつ大学の教授としてもごくまっとうに生涯を終えた人というのがいるんですけれど、それ以外の人というのはあまり社会にうまく適応できていない。それは一体どうしてなのかということを考えてみると、やっぱりその記憶というのが、全て記憶できることというのがよいこととは限らないだろうなというのと、あと情報を捨てる仕組みというのを我々は持っていて、そこのところをうまく使っているから社会的に適応してごく普通の日常生活を送れているわけです。だからもしも全て情報を残せる仕組みができたときも、何かそのままでは役に立たないものになるんじゃないかという可能性があるわけです。これはやってみないとわからない。けれどもその辺の研究というのをやらないで、ただ単に一生の画像を残すと58ペタバイトですといって、それですましちゃうわけにはきっと行かないだろうなということがある。だからこれはまだ残された課題の一つですね。そういう話があります。[112'45]

それから最近の話としては、先ほどいいましたように質的な心理学。一つのケースを対象にした心理学でもそれは面白いんだよと。で、意味があるんだという動きがあって、全体としてはそういう人々の方に話が興味を持っている。更に物に関する研究としては実はあまりないんですね。我々が物をどういう風に扱っているものかということに関する研究というのは、調べてみると数少ない。僕も心理学関係の本をいろいろと調べたんですけれども、一番有名で、たぶんこれがベストと思われるのは、読めないんですけれども、「チクセントミハリー」というんですか。「チクセントミハイー」とかというんですか。とにかく、そういう、アメリカの心理学の方では、心理学というか社会学というか、そちらの方では非常に有名な、非常に面白い研究をやっている人が1980年に「meaning of things」という本を出しまして、これがdomestic symbol of the self、要するに家の中に人は様々な物を置いているわけです。この表紙にあるような、たとえばお皿であるとか時計であるとか絵であるとか写真であるとか。一体どうしてそういう物が置かれて、それはどういう意味があるのかということを、シカゴの80家庭を対象にして、インタビューを中心にして行った研究なんです。その後いわゆる心理学に近いような話では、こういうような研究というのは実はあまりなくて、ちょこちょこっとはあるんですけれども。例の兵庫、神戸の地震があったときに、人々がどういう物を失って悲しかったかみたいな研究もないわけではないんですけれども、ただちょっと数が少ないんですね。物というのが我々に及ぼす影響というのは、今佐藤先生がソウルスタイルのところで聞き取り調査という形でやられていますけれども、非常に重大な影響を持っているわけですので、それを見ていくような場というのも絶対必要であろう。これも是非この場でできないかなと思っています。

それからあともう一つは、今世の中的にいうと、これはやまだようこ先生というのが、この人は1990年代、80年代の後半くらいから「人生を物語る」。語りに関する研究をずっとされていて、要するに語ることによって自分をどういう風に表現して、また語ることによって自分自身の生活を変えて、それから人とつながって、それから、というようなことを研究されているような方なんです。このライフ・ストーリーの研究というのが心理学の分野では今、今ってここ数年また非常に流行しつつあるんです。できればこの分野とも話をつなげていければなぁと思っています。

それからあと、それに非常に近いものとして、やはりこれは非常に興味深いものとしては「回想法」というのがあります。回想法というのは、特に高齢者に対するリハビリ、あるいは初期アルツハイマーに対するリハビリの一つとして、昔話をしてもらうことによってその人のメンタルな状態を改善していこうというある種の治療法なんです。それはすごくまっとうな気はするんですけれども、話を聞いてみますと、思い出話をすることによってそれがリハビリになるということに気づかれたのは実は最近のことで、1980年代の後半に初めてそういうことを提唱したリハビリの関係者がいて、そこから広まったといわれています。それまでは、高齢者が、特にリハビリ専門病院であるとかあるいは老人ホームみたいなところでも、昔話をするということに対して全体的にみんなネガティブだった。たとえば高齢者が「昔はね」「私が若い頃は」とかっていうと現実世界に不適応とかっていうラベルが貼られる。要するに昔話が抑圧されていたという話がどうもあるらしいということをいっているんです。ところが1980年代の後半にイギリスで始まって、日本に入ってきたのは1990年代の前半なんですけれども、回想法、回想療法というのが、たとえば黒川由紀子さんとか野村さんとかという人がいろいろやられていますけれども、高齢者の人に自分自身を語らせることによってその人の人生をそのまま受け入れて、またその人が非常に。いろんなレベルでのメリットがあるんですね。たとえば、この本もすごく面白い「百歳回想法」という本が出ているんですけれども、黒川由紀子さんの病院にいる100歳近くの人を5人くらい集めて昔話をして、その昔話の記録を本にして出版したものなんです。これを読んでいると、よぼよぼのおじいちゃんとおばあちゃんというのが実は、たとえば早稲田大学のラグビー部でばりばりやっていた人だよとか、日本で初めて、初めてじゃないけど、キャリアウーマンとして40いくつまでずっと仕事を続けていた女性であるとか、あるいは今はよぼよぼに見えるけれども、ずっと80ぐらいまで国語の教師やっていたので、たとえば論語なんていうのはいくらでも空でいえるとか。そういう話を聞くと、むしろ我々、介護している人の方が、この人からいろいろなことを教えてもらえるという風に尊敬の念が発生するんです。それによってコミュニケーションも改善されるし、介護のクォリティも全体として向上する。それからそういうことを喋っている人も非常に精神状態がよくなる。そういう様々ないいことがあるということがあって、最近これは高齢者に対するリハビリとしては非常に注目されているということがあります。というようなことを考えてみると、心理学の方でも、先ほどの工学に対応するような話というのが出てきていて、もともとは歴史的にいうと古いものがあるんですけれども、最近でもあるわけです。

あともう一つは、これはまたちょっと違う分野なんですけれども、たまたま今年の3月に、佐藤先生にもご協力頂いたんですけれども、NTT の我々のところと、それから東京大学の廣瀬先生。廣瀬通孝さんというバーチャルリアリティの方で有名な研究者の方と一緒になって、体験を記録すること、体験を残すことに関するシンポジウムをやったんです。そのときに御厨貴さんという、やっぱり東大の先端研にいる政治学の先生なんですけれども、政治学の先生というのがやっぱり思い出であるとか記録することに対して非常に興味をもたれて、実は我々がやっているのもそういう話に非常に近いんだよという話で、ここのところで「オーラル・ヒストリー」って本を紹介してくださっているけれども、彼が2002年に書いたんですけれども、これは政治家を対象にしている。まぁ政治学者ですから。インタビューをするわけですね。インタビューをして、その人がどういうことを考えてどういうことをしてということを全部インタビューするわけなんです。インタビューする側として特に批判するわけでもないし論争するわけでもなくて、素直に喋ったことをそのまま記述して、それはどこかでクロスチェックはするんですけれども、そういうことをやって、それがもともと政治学の方ではそういうような動きというのはほとんど研究のテーマにはなっていなかったんですけれども、御厨さん達が1990年代くらいから、こういう話をすることによって、たとえばその中で、後藤田正晴とか渡邉恒雄、最近悪名高き渡邉恒雄ですけれども、たとえばそういうような回想録。あるいは石原信夫という、首相官邸の補佐官でしたっけ?それを長いことやっていた人にインタビューして、そこから一体政治の中ではどのような決断がなされていて、それがどのような要因によってどういう風に影響が及ぼされて、そこが個人の決断にどういう風に影響しているかというようなことを研究する世界が開けたんです。そういうようなことも考えてみるとずいぶん面白い話。

ここのところで「語れる社会環境」と書きましたけれども、これはまさに御厨さんがいっている話で、実は日本とはこういうことをあまり語れる社会ではなかったんだと。たとえば政治家なんていうのは墓場までそれを全て持っていくものだという風に、それが正しい政治家だ。最近は官僚も語るようになってきたんですね。今載せたのは政治家とかマスコミの人でしたけれども、御厨さん達は官僚に対しても聞き取り調査をやっていて、官僚がたとえば昭和30年代に産業育成のためのこういう法律を作ったんだけれども、それは一体どういう理由で、誰が主導してどういうような人たちがそれに関わったのか。そして、どうしてそういうような戦略をとったのかということの聞き取りをやっているわけです。それも本になっているようですけれども。昔だったら官僚というのはほとんど喋らなかったんだけれども、やっぱりそれは93年だか94年だか、4年でしたっけ?自民党が野党に一回落っこちたときがありましたよね。そのときに官僚が今までは自民党側にくっついていれば説明もしないでそのままの体制ができたんだけれども、自民党の政権がひっくり返ることもあり得るんだ。ひっくり返ったときにその段階で「おまえはなんでこんなことやったんだ」といわれたときにそれが説明できないとやっぱりそれはまずいということにみんな気づきだして、官僚達も自分たちのやったことというのを話すようになってきたんだよということはその中に書いてあるんですね。そういう意味で言うと、今まで日本の社会というのはどちらかというと特に自分のことを語らなくても、ある種の役割の中に埋もれて、その組織の要求することというのをそのままやっていればそれでオッケーだったわけですけれども、でも、そうではなくなってきているという社会情勢もどうもあるらしいというのが1990年代以降にみんなが語り出してきた。これはパーソナルな、どちらかというと政治家であるとか官僚を対象にしていることなんですけれども、全体としてみれば自分自身のことを語ろうという動きとして出ているということがいえるのではないか。ちょっとはなしが長くなっちゃっていますけれども、これで最後のパートになります。[125'51]

[安村] すみません。忘れないうちにちょっと質問していいですか。安村ですけど。まず私工学じゃなく、どちらかというとヒューマンインタフェースですので。

[野島] あ、そうか。

[安村] 工学といわれると、ちょっと違うかなと。かつてはコンピュータ・サイエンスをやっていたんですけれども、今やどちらかというと技術を自分でも忘れちゃうというか、ヒューマンインタフェースの立場なんですけれども。すごく疑問というか不思議に思ったのは、全然私専門じゃないんですけれども、たとえば柳田国男みたいなのが日本にいたし、過去に日記を通して政治家のアクティビティを知るとか、たとえばアイヌの人たちは記録しないから口承、口伝えというのがあったはずで。そういうものがかつてはあったはずが、いったん途絶えて、また再ブームになっているのか、その辺の状況がどうなっているのかなというのがちょっと。確かにオーラル・ヒストリーっていう学会まで先にできているみたいなので。

[野島] そうなんです。そうなんです。

[安村] これはどういうことなのかな。

[野島] それは、この御厨さんの中にもあるんですけれども、昔から日記であるとかあるいはインタビューの記録などを対象にして、明治とかあるいは大正の政治家の分析というのはずいぶんされているんですけれども、でもやっぱりそれは信用できないものってすごく多いみたいですね。たとえば新聞とか本に載っているインタビュー記事というのが本当に喋ったのかどうかということすら疑わしいものってずいぶんある。だからそういう意味で言うとすごく難しい。あとやっぱり日記というのは、基本的には自分の嫌なことというのは書かないので、いわゆるなにかのデータとする、政治の決断のデータとするというのは非常に弱いというところがある。だから今はある意味で言うと、もちろん柳田国男も含めて、そういう様々なデータを使って、人々がどういうことを考えていてどういうような決断をしているのか、政治家についていえばそうですし、あるいは民衆でいえばなぜこういうようなお祭りとかができたのかって、そういうようなことを含めての研究というのはなされていたわけですけれども、それをもう少し語るもの自体を客観的なデータとして扱うような仕組みというのも作りうるし、それに値するだけの、データとなるだけの客観的なものというのが今残りつつある。昔は官僚もどんどん書類を捨てちゃいましたよね。でも今は残さなくちゃいけないと思っている。それから政治家も、たとえば中曽根さんなんかもそうですけれども、自伝というのを書くようになって、それは構成に自分のやったことに対する評価を仰ぐという意味での自伝を書くようになってきたというのは、やっぱりいろいろと変わりつつあるんだということがあるらしい。

[安村] チャーチルなんかも自伝とかありますよね。

[野島] ありますね。

[安村] そういう時代と多少やっぱり関わっているというか。一つの、たぶん自分の自伝というよりも記録する側、記録技術が多くなったということもあるかもしれない。

[野島] それもあるんじゃないですかね。それからあとアメリカなんかだと、大統領というのはあとで必ず自伝書かなくちゃいけない。クリントンも最近出ましたけれども、ちょっといろいろ面白いところがあるらしいですが、でもクリントンじゃなくても大統領って基本的に任期が終わると自分の資料を博物館みたいな形にしておくのが伝統だといわれているんですけれども、日本の場合はそんな伝統はなかった。しかしそれが少し変わりつつあって、そしてそれを残しうるような形で今世の中的にもなっているんだよと、様々な情報がですね。そういうようなことがどうもあるらしいということがいわれていました。[129'40]だからそういう意味で言うと、昔やっていたような日記研究とかあるいは伝記的研究というのとはちょっと違う形になりつつあるんだといっていますね。そういう意味で言うと、御厨さん達は新たなライフ・ヒストリーの研究の方法論というのから確立しなくちゃいかんのだよという話があって、その方法論を考える際に、先ほどの話でいうと、我々がやっているような体験記録みたいなテクノロジーというのが結構役に立つんじゃないだろうかということで、ちょっとつながりができつつあるということです。[130'36]

それからあと、「社会的な需要」と書きましたけれども、要するに社会的にもこういう思い出というのが非常に盛り上がりつつあるというのが、ここ90年代後半以降の話だと思うんです。最近見て感動したのが「クレヨンしんちゃん」でして、これ皆さん見ていなければ是非。「嵐を呼ぶモーレツ!大人帝国の逆襲」というクレヨンしんちゃんの映画があるんですが、これは子供が見てもわからない。大人が見るからこそ受けるという漫画なんです。クレヨンしんちゃんの映画はもともと大人向けに作ってあるという話もあるんですけれども、これなんか特に大人向けの映画でして、20世紀博というテーマパークが開催されて、大人はみんな懐かしい世界に行っちゃって子供なんか無視しちゃうという世界なんですね。大人だけの楽しい世界を作って時間を止めてしまう、恐るべき大人帝国化計画だったというお話なんです。この中で、思い出というものが我々のセンティメントというか感情にどれだけ影響を及ぼしているのであるかということを、漫画の形なんですけど非常にうまく語っているシーンというのがあって、これはある年代以上の人が見ると必ず涙するみたいな。非常によくできているところなんですよ。これも非常に面白いし、やっぱりこういうものというのが世の中的にいうと非常に注目されているところなんです。

それからもう一つは、皆さんご存知の「プロジェクトX」っていうのもそうですよね。それから去年一昨年辺りにいろいろな形での昔懐かしいものというのが、僕もこれでだいぶ金を費やしましたけれども、こういうものもずいぶん売れるようになってきているということがある。これも何らかの理由があると思う。とにかく社会的に見ると、こういうブームというのがあって、やっぱりそれにはなにかの理由があるんだろう。それは一つには、30年代ぐらいからようやく残っているものというのがずいぶんあるわけです。たとえばテレビにせよ、あるいは。あともう一つは30 年代あるいは40年代に子供時代を送った人というのが40代以降になって決裁権を持つようになったので自分の好きなことをやりやすくなったということもあるらしいということもどうもありますけれども、そういうことがある。

そういうブームとはまた別に、様々な情報のアーカイブというものに関してもいろいろな形で興味を持たれているということがある。とりわけ今深刻な問題になっているのは、日本でも国会図書館がウェブ・アーカイビング・プロジェクトというのをやっていますけれども、今図書館関係の人というのは結構危機感を持っているわけですね。様々な情報というのが、昔は出版された本のみを保存していればとりあえず世の中の知識というのは保存できていたと信じていたわけですけれども、最近みたいにインターネットの上で情報が公開されてインターネット上で情報のやりとりというのが非常に中心になってくる。場合によっては本なんか読まないけれどもウェブは見ている、あるいは新聞なんか取らないけれどもasahi.comは見ているという人が増えてきている。とすると、社会での知のあり方というのが本とか新聞ではなくてインターネットのウェブになってきているということがある。そうすると、それはいいんだけれども、実はウェブ上の情報というのは非常に不安定ですからなくなってしまうということもある。それから、いつの間にかものは残っているけれども中身が変わっちゃうということもある。そういうことを考えてみると、図書館学の人たちというのは電子情報をどう扱うかということに関して様々な検討を今行っているということがある。日本で国会図書館がやっているのはWARPというプロジェクトですし、それからこれはまたアメリカの方ではインターネット・アーカイブ。ウェイ・バック・マシーンというのがありますけれども、これも1996年以降のウェブのある程度の有名なサイトの情報というのは検索できるようになっているわけです。こういうようなものというのが今世の中的になっている。

それから博物館なんかでも、たとえば去年江戸東京博物館でやった「流行生活展」なんかだとやっぱりたくさんの人たちが来ますし、こういうようなものというのも興味がある。ちょっといろいろとありますけれども。あともう一つ興味深いものというのは、やっぱり家庭とか家族というのも、いろいろな形で、みんな何となく昔の家族イメージが崩れてきているということは気づいている。しかしそれをどういう風にして戻したらいいのか、あるいはまたは戻すことがいいのかということに関してあまり結論がないわけですね。一つには、これは加藤さんなんかがやられているシィー・ディー・アイの、いずれそういう話もして頂けると面白いと思っているんですけれども、たとえば年中行事みたいなものというのが場合によっては増えているものがある。昔伝統的な年中行事というのはだんだん減っていく一方だと思われていたのが、場合によっては増えているところもあったりする。あるいは町のお祭りみたいなものというのも、神社のお祭りみたいなものというのもどんどん減っていくものだけじゃなくて、むしろ復活するようなものも増えてきているということがある。まぁ増えているかどうかはわかりませんけれども。そういう話がある。

それからあと、家族の問題というのは小説の方であります、いろいろなものがあるんですけれども、たとえば重松清なんていう人はずっと家族のあり方に関する話を書いていて、たとえば「タイム・カプセル」。昔を思い浮かべることによって今をもう一回振り返るというというようなことというのはずいぶんある。[137'39]小説としてはあるんですね。だからそういうことを考えてみると、やっぱりこの思い出の話というのは、まさに先ほどの佐藤さんの話にもありますけれども、家庭とか家族の話とも非常に結びついている話であることは間違いない。

あともう一つは、記録する技術というのがある。これは先ほどの工学の方の話とも結びついているわけですけれども、簡単にいろいろな話がある。我々もこの前実験で使ったんですけれども、ライフ・スライス・カメラというのがあって、小さな、首からかけるようなカメラなんですけれども、1分に1回ぐらいずつシャッターをパチパチッと撮っていくようなものなんです。そうすると、何が写っているかわからないんですけれども。昨日これを検索していてすごく面白いことを見つけたんです。これをずっとやっているユビキタスマンという人がいて。ユビキタスマンって一体なんだと思うんですけれども、まぁユビキタスマンという愛称を持っている人がいて、この人がライフ・スライス・カメラでずっと一日の記録を長いこと撮っていたんですけれども、この人がある日突然盲腸にかかった。それで盲腸にかかって非常に大変な。病院に運ばれて、点滴受けて、これは点滴されて。それでどうなったのかな。手術室に入ってって。たとえばこういうようなものというのは、そういうカメラを持っていなければ絶対。デジカメ持っていてもこんなの撮っていられないわけです。でもたとえばこういうものを掛けていることによって、端から見ると非常に面白い一日というのが記録されているということもあるわけですね。だから、こういうような、今までにできなかったことというのをできるような技術というのもできてきているんだよという話。

非常に話は乱雑になりましたけれども、全体として、今思い出に関して工学から、心理学から、それから実際にやっている人たちの話、そして社会的な需要、更にはだからといって危機がないわけじゃないという話も含めて自分なりのマップを書いたつもりなんです。こういうようなことを、全部私ができるわけではもちろんないんですけれども、また私が見落としている部分も多々あると思うんですけれども、こういうような話が私自身の興味の中にあります。やっていることとしては、この右下の方に書きましたけれども、思い出工学というのを今提唱してはいるんです。それからあともう一つは、ユビキタス関係でいえば、人がどのようにして家庭の中で生活していてどのような形で行動しているかというようなことをもう少し詳細に分析するための枠組みとして、佐藤先生と一緒にソウル・スタイルのデータを使って分析しているということがあります。

それからあともう一つ。私が今できればこの研究会を通してやっていきたいなと思っていることの一つとしては、やっぱり思い出というのはどういう意味があるんだろうかという話を考えているわけです。これは、先ほど、ちょっと場違いかもしれないんですけれども御厨先生の話を引いたんです。御厨さんはオーラル・ヒストリーというのをやっている人たちには何通りかの立場というのがある。一つには、オーラル・ヒストリーを使って理論を作るんだという立場の人。それからオーラル・ヒストリーからどんなことが起こっているのかということについての解釈をする人たち。それから、世の中にはその中に一つの事実があるんだということと、それから多元的な現実舞台、そういうようなことをやっている人たちもいるんだよという話を書いているんですね。政治の分野では、オーラル・ヒストリーをやっている人たちには何人かの人たちがいて、実際にこの彼の本の中には名前が載っているんですけれども、理論思考の人っていうのがいて、で、この人の書いている本というのがあまりあまり面白くないんだそうですけどね。非常に緻密な議論はしているんですけれども。それに対して解釈思考の人というのは読んでいるだけで面白いみたいな話がある。御厨さんはどちらかというと、理論でもない解釈でもない、実際どういうことが起こっているのかということを理解していきたいと考えているんですね。そういう風に考えてみると、じゃぁ私はこの中のどこに位置付くだろうかということを考えてみると、実はここにはあまり位置付かない。強いていうならば、非常に極端に解釈思考で極端に多元的なんですね。要するに僕が考えると、思い出というのが現実に対応している必然性というのは全然ないわけで、でもそこまでいっちゃうと、じゃぁたとえばリアルなものを保存する意味というのは一体どこにあるんだろうかということもあるので、一体思い出というのはどういうことなのかなぁということをもう少し詰めなくちゃいかんなぁということがあります。

そういう詰める過程で私としては、やっぱり技術として、たとえば保存するための技術。要するにハードディスクは大きくなったけれども何を保存したらいいのかどういう風に保存したらいいのかに関してできてないから、結局同じファイルのコピーばっかりになっちゃうんですね。それからビューワーに関してもそうです。デジカメはたくさん写真を撮ってもそれを見る技術がないからなかなか難しいんですね。先ほどのユビキタスマンの写真だって、あの写真だけじゃ全然面白くないんですが、この脇に注釈があるから、これを読むと面白いんですけど、これがあるから楽しめるコンテンツになるわけですね。そういうようなことを考えると、まだまだやるべきことってたくさんある。それからあともう一つは、安村先生を含むかどうかはわかりませんが、ユビキタスの工学の人との建設な交流をしていくための一つの手がかりをこういうところからえていく必要があるだろうなぁと思っているわけです。ということで、ちょっと長くなって、なおかつとりとめもなくなりましたけれども、いろいろ面白いネタはあるはずなので、そういうことも含めてこの研究会を一つの手がかりとして話ができたら面白いと思いますので是非よろしくお願いします。[144'47]



▲1998年よりジョージア工科大学で行われている "Aware Home Project"。どのようにして「家」が人の活動を察知し、家の中での人の行動を支援できるかを研究している。



▲美崎さんが保存している画像データ。

▲「記憶する住宅」。手前のモニタで仕事をし、左側にあるモニタに、保存された画像データを2秒に1枚ペースのスライドショウで映し出していく。



▲カメラや各種センサーなどを身につけて、「体験」を記録する。



▲テープ、歴代フロッピーなどの記憶メディアとくらべて、写真中央のロゼッタストーンはなんと堅牢なことか。



▲思い出深い子どもの工作。今まではやむなく捨てていたものでも、すべてデータとして残っていく社会は、人間にどのような影響を与えるのだろうか。



▲『偉大な記憶力の物語 ある記憶術者の精神生活』アレクサンドル・ロマノヴィッチ・ルリヤ著 天野清訳 絶版 文一総合出版(1983)



▲『質的心理学研究』無藤隆他編 No.1~3各定価2940円(税込) 新曜社(2002-2004)



▲『人生を物語る―生成のライフストーリー』 やまだようこ著 定価3150円(税込) ミネルヴァ書房(2000)



▲『百歳回想法 ソトコトclassics』黒川由紀子・文 小野庄一・写真 大塚宣夫・監修 定価3885円(税込) 木楽舎(2003)



▲『オーラル・ヒストリー 現代史のための口述記録』御厨貴著 定価777円(税込) 中公新書(2002)



▲『渡邊恒雄回顧録』伊藤隆・御厨貴・飯尾潤著 定価2415円(税込) 中央公論新社(2000)



▲『情と理―後藤田正晴回顧録 (上)』後藤田正晴著 定価1785円(税込) 講談社(1998)
▲『首相官邸の決断―内閣官房副長官石原信雄の2600日』石原信雄・御厨貴・渡邉昭夫著 定価840円(税込) 中公文庫(2002)



▲『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』2001年公開劇場版 DVD/VHS 各3999円(税込)2002年発売 バンダイビジュアル



▲『日曜研究家―昭和B級文化の記録 3号 おやつ特集号』 串間努著 絶版 日曜研究社(1995)



▲タイムスリップグリコ「青春のメロディチョコレート」関東では2003年8月5日発売 江崎グリコ



▲『現代家庭の年中行事 Part􀃮 -平成ファミリー10年の変化』サントリー不易流行研究所+CDI 頒価5000円(2003年6月発行 問い合わせ先:CDI TEL:075-253-0660)



▲『トワイライト』 重松清著 定価1800円(税込) 文藝春秋社(2002)



▲『The meaning of things : Domestic symbols and the self』 Mihaly Csikszentmihalyi, Eugene Rochberg-Halton. Cambridge Univ. Press. (1981).



▲国立国会図書館ウェブ・アーカイビング・プロジェクト
http://warp.ndl.go.jp/



▲『<家の中>を認知科学する 変わる家族・モノ・技術』 野島久雄・原田悦子編著 定価3780円(税込) 新曜社(2004)



討論2

[佐藤浩司] 僕が司会するわけ。

[野島] そうです。

[佐藤浩司] ありがとうございます。野島ワールドだね。オーラル・ヒストリーの学会っていうのができているんですか?

[野島] ええ、そうみたいですね。

[佐藤浩司] なんていうのかな。無文字社会とかね、未開社会。民族学で対象にしている社会は大体オーラル・ヒストリーの社会だから、僕らは普通にオーラル・ヒストリーを記録しているんですけど、それはあくまでヒストリーを補完するという意味でやっているんですよね。たとえばチャーチルの自伝にしても、先ほど出てきた政治家とかね、渡邉恒雄とかの自伝にしても、それもやはり歴史を補完する意味でのオーラル・ヒストリーだと思うんですが、最近流行っているところのオーラル・ヒストリーというのは、むしろ歴史で補完されない自分についての歴史じゃないのかな。そういうものに対する関心じゃないのかなという気がちょっとしますよね。そうだとすると、インターネットの、ほかの自費出版とか、そういう話と結びつきますよね。

[野島] そうですね。だから御厨さんの話というのは実はちょっと違うんですけれども。やっぱりうまくつながっておいた方のが。方法論的にいうと、検討しているので面白いかなと思うんです。

[佐藤浩司] それを聞こうと思った関根さんが逃げちゃうけど。何か一言ないですか?専門の人類学者に。オーラル・ヒストリーについて。一言ぐらいあるでしょ。いいたいことは山ほど。

[関根] 大変、私は知らないことばかりで、非常にお話面白く聴かせて頂いたんですけど。[146'45]今のことだけについていえば、非常に難しい問題があるのは、思い出とは何かを考えるとおっしゃいましたけど、まず記憶というものなど私はあまり考えたことありませんけど、今の人類学の文脈でいえば、無文字社会というような言い方も一時期されましたけど、書かれずに記憶してきたものというのは膨大にあったわけで。それはまず時代的に近代以前というのはやっぱりかなり記憶中心的な世界が広がっていた。ちょっとおおざっぱな話ですけどね。あったんだろう。そのときの記憶のあり方というのと、もう我々のように文字で記録するのものを覚えるみたいな、あるいは文字に書き付けてそれで一応要約、まとめるとか、そういう、なんていうんですか。記憶。いいたいことは、記録というもののあり方がもう大きく、近代とその前で変わっちゃったんじゃないかということで。

今日のお話聞いていると、その次の時代が来つつあるのかなという。つまり、一種我々学校教育で何勉強していたかといったら、この文章を読んで要約せよと。そんなことばっかり勉強したわけですよね。そうすると要約の力って、我々かなりあると思うんですよね。だけど、じゃぁそういう力が前近代で有用だったかというとちょっとわからないわけで。

これはちょっとこの前別の研究会で面白い話を聞いたんですけど、イスラムのウラマーという、要するにいろんなイスラム法なんかを記憶しちゃっているとか、あるいはコーランはもちろんのこと、もうその人自体が記憶の固まりで、その人の一言というのが、論争するときとかなんかでも記憶と記憶同士がぶつかって論争すると。すばらしい言葉をパッと言えた方が勝ちとかね。そういうのっていうのは、その説明した方は前田さん。前田なんとかさんとか忘れましたけど、「記憶の帝国」という本が、私読んでいませんけどね、を紹介していたんです。記憶の帝国のその前田さんの区別によると、何でしたっけ。近代の要約世界と、その前近代の抜き出し、じゃなくて抜き書きかなにか。抜き書きじゃないですよね。抜き出しかな。ちょっと忘れましたけど、そういう、部分をパッと出すんですけど、それだけである種の全体、ウラマーの全体の力が表現されるみたいな、そういうことをいっていたんですけど。

今野島さんのお話を聞きながらそんなことを思い出していて。だからユビキタスのようになって、何でもタグが付いて、何でも枚挙していったら、ある意味で前近代のウラマーの頭の中みたいになっていくのか。それがしかも、ウラマーって特殊な人間、特殊だから価値があるわけですけど。それが大衆化するわけですよね。こういうテクノロジーによってね。そうしたらあまり価値ないわけでしょ。[150'50] みんながユビキタスになったら、それでは差異化ができないから、そうすると何で今度差異化していくのかわかりませんけど。ちょっとそういう、話としては何もまとまってないんですけど、要約の世界から次の段階に我々はどうして変容させていくのかって。パラダイム転換。知のパラダイム転換をやっぱり検討し始めているのかしらってそういう印象ですね。

[佐藤浩司] 要するに、なんていうのかな。差異化っていいましたけど、ユビキタスは差異化のための技術だと僕は思っているんですよ。まさに。そもそも根本的に、オーラル・ヒストリーっていうのは歴史を積み重ねれば積み重ねるほど一つの歴史になるという前提でやってきた。だけど、今我々が直面しているのは、積み重ねれば積み重ねるほど崩れてしまうような歴史。だからこそ一つの歴史に収斂されない自分に関心があるんであって、それは目指している世界がもうたぶん違っていると思う。

[関根] でも佐藤さんはその歴史っていうときに、もう歴史概念自体がまた非常に大きな問題をはらんでいますからね。だって、無文字社会の歴史という言い方があるけれども、ちょっとこれはほとんど、

[佐藤浩司] 無文字社会の歴史というとあれですけど、我々が無文字社会の歴史なるものをとらえようとするときに、それはたとえば10人の人の話を聞けばより正確にある無文字社会の歴史がえられると思ってやるわけですよね。

[関根] それは近代概念の歴史からそれは喋っているので。そんなことを必要としない人たちもいるわけですよ。

[佐藤浩司] うん。それを必要としないですませられる社会と、それでは済まない社会。それではある一つの歴史と思っていられない社会っていうのがあるんでしょ?やっぱり。無文字社会といわれている人たちは、自分がいかに特殊な歴史を持っているかなんてことにそんなに関心を払ってないわけじゃない。ウラマーの歴史に正しいか正しくないかをいってもらえればそれで満足なわけだから。それは大きな質的な違いがある。そこで目指す社会が、やはりウラマーの社会のようなものをユビキタスが目指していると思うとすると、それはちょっと違うんじゃないか。パラダイム・シフトとかではなくて、とはなりませんか?

[関根] いやいや、ウラマーはちょっと、今たとえば、この前研究会があったから、例としていっているんでね。

[佐藤浩司] まぁいいですけど。

[関根] その記憶というものが意味している内容は、我々が今普通に考えているものと、必ずしも同じじゃないように考えた方がいいと。

[佐藤浩司] はいはい。

[関根] つまり、エピステルメーというか、知の、いろんな言葉というのは知全体の中で息づいているので、その時代の。大きくパラダイムが変われば、記憶、歴史こういう言葉はみんな意味変わっちゃっているわけですよ。だから議論するときそこに注意しないと。これほど一つの転換期にかかってる議論ならばよけいにね、そのことに敏感じゃないと。非常に不正確な議論になっちゃうんじゃないかな。

[佐藤浩司] はい。

[安村] ちょっと質問というか。先ほど野島さんの話で一番面白いのは、象徴的だったのは図書館だったと思う。[154'16]図書館って今までは登録されて、ISBNとかISSNをつけられたのが登録される。今回のWARPでしたっけ?あれでやろうとしているシステムではやっぱり登録させるんですね。それって結構矛盾しているんじゃないかと。つまりインターネットっていうのは誰でもが発信してやっているので、誰かが面白いと認めたものだけを載せようとしているんだけど、今のユビキタス、先ほど佐藤さんがいわれている面白い点というのは、やっぱり誰でもが発信者である点だと思うんです。それは本当にもうローカルに面白いと思う。誰かがエスタブリッシュされた人が申請して、それをまた委員会が審査するというのはおよそナンセンスなことを今やろうとしている。でも逆にそれは、じゃぁなんでも拾っちゃうかというと、もうとんでもない。世の中が発信しているのと同じ分を保存して、しかももっと大変なのはそれをたぶん整理しなくちゃいけないんですね。だからそこが、今日の話の中で、図書館とWARPというところがユビキタス時代の変換期を象徴しているような話と思った。

それが一つと、世の中今アーカイブとかマイ・ライフ・ビッツっていうのが、ゴードン・ベルって、我々の分野でも本当にVAXというのを作った神様みたいな人が今そういう仕事をしているのかとちょっとホロッとさせられるんですけれども、一番あれなのは、要は記録することしかみんないってなくて、記録したあとどうするかというか。美崎さんのもすごく苦労して、しようがないからただみて自分で過去日記をつけているわけですね。やっぱりポイントはどうやってアノテーションというか、個人なりの編集を、しかも労力掛けずにやるかということで、先ほどのユビキタスマンという方も、あれも確かにただ写真撮っていると、一緒に経験した人はわかるんだけど、それ以外の人にとってはほとんど意味がないので。だから、それのアノテーションというか編集というか、ちょっとコメント、タグ付けを誰がどのようにやるかというのが一番工学的にというか、支援する意味では重要かなと話聞いて思ったんだけれども。

[野島] そうですね。だからその辺のアノテーションをうまく。たとえば写真なんかもデジカメでたくさん何百枚も撮って、でも結局二度と見ることなくてってなっちゃいますよね。だからそれを何らかの形で一冊の箱根旅行なら箱根旅行みたいな形でのセレクッテド・フォトズにして一冊の本みたいな形にすれば、ウェブページを作ってでもいいんですけど、それはすごい今コストがかかる。手間がかかる。そこをどうしたらいいのかっていうのがやっぱりちょっと。

[佐藤浩司] やっぱりね、美崎さんにもちょっと話しましたけど、美崎さんのような人とかユビキタスマンにしてもそうだけれど、やっぱりユビキタス環境というのを利用して一番自分の個性を発揮しているというか、一番自分自身を差異化している人なんですよ。みんながそれをやると、たぶん彼らはそれをやらないんだよね。また別なことを求めていくんだと思うんですよ。だからある意味、まじめに彼らとつきあっているとちょっと方向としては違うかもしれない。だけどすごく面白いことをやっているのは確かです。

[安村] あと聞いていて疑問があったんですけどいいですか。この思い出とか自伝とかオーラル・ヒストリーっていうのは、だんだんユビキタスになってくると、誰のためにやってるのかなと。昔のたとえば政治家だったら政治家の自伝とかその歴史を知りたいって思うんでしょうけれども、これだけたくさんの人がやり出すと誰に向けて発信しているのか。自分自身なのか、何かそういうことに特定のそういう文化論とかサブカルチャーに興味持っている人向けに起こしているのか。そもそもそういう質問自身がナンセンスなのか。つまり、野島さんの「Psychology of Everything」の翻訳が「誰のためのデザイン」ってあれはすごいタイトル自身がよかったんですけれども、この研究会が思い出とかなんかなんですけど、誰のための思い出かっていうのがちょっと疑問に思ったんですけれど。

[野島] 僕なんかは基本的にやっぱり、今の図の中でいうと左側にある自己表現のところの「コミュニケーションとエンターテインメント」になる、それ以外はもうないのかなぁと。だからエンターテインメント。で、エンターテインメントとしてのコンテンツとしては自分自身の過去っていうのは最高なんじゃないかなぁと思うんですけど、必ずしも誰もがそれに同意してくれるというわけではないので難しいんですけれども。ただ誰かのために残すというよりは、やっぱり自分のためのエンターテインメント。自分が誰かと親しくなるためのコミュニケーションのコンテンツぐらいのもので。それはそれで、そのために我々はかなり投資をするので、自分のためにはかなり投資するので、それはそれでアリなんじゃないかなと僕は思っているんです。

[須永] そうすると、誰かと知り合ったり、何かことを起こしたりするというアクションが基本になってますよね。

[野島] そうですね。

[須永] んー。そうすると、思い出というのはただ貯めることじゃなくて、何かそういうアクションを起こすための一つの手段としてあるといういう風に考えればね、どんなアクションを起こしたいから何を貯めるんだろうということが言えてきて、もう少し思い出そのものの定義というのが定まってくるんじゃないかなと思うんですけど。そこのアクションを定めないと、ただ何となく、最初に野島さんおっしゃったけど、やろうと思えばやれる時代になったと。その、ペタバイトでも。やろうと思えばやれる時代になったんだけど、じゃぁ一体誰がやりたいんだろうと。なんのためにやりたいんだろうというところが定まらないと。その技術シーズからの話になると、それはあれもできるこれもできるっていって、みんなじゃぁそれがあるんだったら一体何やるんだって、アイディア出し大会そこら中でやっているわけですよね。

[野島] そうですね。

[須永] それって非常にナンセンスな話で。そうじゃないと思うんです。最初に私たちがアクションというか、そういう、出会ったり何かするために思い出が必要なんだという一つのフレームワークを手に入れないとその話が定まってこないというかね。そう思うんですよね。昔はどうやってアルバムなんか作ってたのかって考えなくちゃいけないと思うんですけど。野島さんももうやられていると思うけどね。女の子達のプリントゴッコもそうだし。あ、プリントゴッコじゃなかった、プリクラもそうだけどね。だから、できるからの話になると非常にむなしい感じがしちゃうんですけどねぇ。

[野島] そうなんですよね。だから、できるからで進んでいる人たちっていうのがいるというのがまず一つですよね。それにつきあうかどうかっていうのはある。あともう一つは、でもやっぱり、何かあれがあったらよかったのになぁみたいなことを思うことってあるじゃないですか。今はないけれども、あのときのあの写真を撮っておけばとか、そういう。

[須永] そうですね。

[野島] そういうようなことっていうのはもしかしたらこういうので可能になるのかなって夢見ることもなくはないので、じゃぁそこのところでどこら辺に着地点があるのかなと私自身もあまりよくわからないんですけれども。

[佐藤浩司] まぁ議論はこのくらいで。関根さんが特に今回だけなのでちょっと聞いてみたかったんですけど。[162'23]

[関根] いいですか。議論がどこから出発しているか、まだ私にはよくわからないんです。記憶というのと思い出というのはちょっとまた違いますよね。だから、今のなんのためにということにも関係するんですけど、思い出というとかなりなんのためにというのがちょっと近づいてきますよね。だけど記憶っていうと、どこにでもつながっていく言葉ですから、そういう議論っていうのは何かあるんですか?そういう整備した議論は。

[野島] いや、それがないんじゃないですかね。だから思い出という言葉自身が、心理学のタームとしてはあまりなかったタームなんですね。だからそういう意味で言っても、まだ学問的な整理は全然なされていないんじゃないかと思います。

[関根] たとえば「ノスタルジーの社会学」を書いたデイビスという人は、要するに簡単なことをいっているんですよね。つまり、人間不安になったら思い出すというかね。ノスタルジーっていうのは不安な時期に盛んになるという。いわれてみれば当たり前のことだけれども、彼は一生懸命それをうまくいったと思うんですけれども。しかもなかなかあの本のすごさは、青年期の不安と老年期に入ったときの不安の二つがあるから、そのノスタルジーそのとき二つ、人生でいえば二つ強まる時期があるというわけですよね。それは時代的にいえば不安な時代にノスタルジックになって、まぁナショナリズムとかも起こりやすいし、ファシズムとかはもちろん起こりやすい。だから今の我々の日本の社会の昭和30年代ブームも一種の日本の不況の反転像だという説明もみんなするわけで。だからそういう議論はもうすでにあるわけですから、なんのためかというのはある程度。

私聞いていて今日非常に面白かったのは、さっきなんでしたっけ?美崎さんという方ですか。が、記録を横でちょっちょちょっちょ見てて、そうしたらどうなるっていったら「ずっと今みたいだ」っていう、その答え非常に面白いと思うんですよね。つまり、何やってるんだかよくわかりませんけれども、強いて解釈すると、なんだろう。自分の過去と、思い出す時っていうのは、今の不安の解消とか、やっぱり今ですよね。今のために過去が役立っている。だからそれをこう常にやっているということは、やっぱり今になっちゃうというか、ちょっと今強引な解釈しているんですけど、だからその答え非常にシンボリックだなぁと思うわけですね。

そのことはただの感想ですけど、もう一つは、人の一生を考えたときには、簡単に言ったら往路と復路というか、行きと帰りみたいな感じがやっぱりあるんじゃないでしょうかね。中年も後半になってくると完全に復路に入ってくる。まぁそうじゃない人もたまにはいますけど。行くときというのはあまり思い出、そのさっきの思春期のなんとかはちょっとおいておいてですね、がんがん自分が何かやっているときというのは記録を残そうとかあまり思わないんじゃないですか、普通。それでやっぱり人生の帰り道になったときに、私も最近飲み屋いって恐ろしいなぁと自分で思うことがあるんですけど、昔の話をして喜んじゃうという自分の行動に気づいてびっくりするんですけど。そういう復路、なんでしょう。そういう人生の行きと帰りということも考える必要があるんだけど、それがきっと時代が変わってきて、今までだったらのんきに中年までは行きで、中年から老年になったら帰りだとか言えたけど、今はきっと若い人も直ぐ2、3年下に向かって「私はおばさんになった」とかいうように、つまり行きと帰りがものすごく小刻みになって来ちゃって。しょっちゅう復路というか、しょっちゅういっては思いだしいっては思いだししないと、自分が落ち着かないようになって来ちゃっているのかもしれませんね。つまり自己実現というのが、一生掛けて自己実現というのではなくて、ちょっと努力したらもうその結果を見ないと安心しないとか、そういう風になっちゃって。それがもっといっちゃったら美崎さんみたいになるかどうか知らないけれども。

まぁ美崎さんは差異化というか、実験系にやっているんでしょうけど。もしそれが大衆化したとき、それが本当に人々に受け入れられた状態ってちょっと私なんか非常に気持ち悪いと感じします。それはいってしまうと、別の解釈すると、人はアイデンティティの上に必ずある共同体を必要とすると思うんですよね。自分の存在を埋め込む共同体。あるいは意味づける。その共同体が今非常に見えにくくなっています。従って、これユビキタス社会は下手すると非常に役立つのは、一人共同体を作るわけですよ。つまり私とその私の記録という、それと常に対話するような状況によって、一人世界、一人共同体で。それはたぶんある意意味では大変いい解決策かもしれませんよね。なぜかっていうと、人に頼ると、必ずオウム真理教だとかそういう変な共同体に吸い寄せられる人たちがいるから。それで犯罪まで行く。その意味では一人共同体でみんな勝手にやっていれば、ある種安全な社会ができるかもしれない。けれども、そんな簡単じゃないけど。これはほとんど夢想の世界ですけれども。ちょっとそういうことも、なんの役にも立たない感想ですけど、ちょっと。

[佐藤浩司] まぁ共同体の話については、この前の研究会でも僕もやってまして。だからたぶん関根さんの言う共同体というのと私のイメージしている共同体はずいぶん違ってるんだと思う。空間的情念的なものではない、別な形の共同体がある意味できつつあるんだろうと思っているから、一人共同体なんていうものはそもそも、それは空間的な一人共同体は今でもあるでしょうけれども、実はそれは一人じゃない。ある種の空間との切り離された共同体はできているんだろうと思いますけど。まぁ、いいや。

[関根] それはちょっと。またこれ、いつも佐藤さんとは私あまり会話ができないのは、言葉の使い方が合致しないんですよね。だから、私のいっている共同体というのはもうちょっと普通に、普通に悪い意味での共同体。というか、閉じる。閉じる。だからあなたがいっているネットワーク型の共同体とか全然イメージしていないわけ。

[佐藤浩司] いや。自己実現という言葉で言うと、じゃぁなんでその伝統社会の共同体ではどうやって自己実現していて、じゃぁ今は一人共同体といわれる人たちはどうやって自己実現しているかという話でしょ。そうするとそのときに対象にする共同体は当然伝統社会では空間的にも閉ざされた共同体、いわゆる悪い意味での共同体だし、今、

[関根] ちょっと待って。「空間的に」ってそこに形容詞をくっつけるのはちょっとやめておいて。ちょっと話よくわからなくなる。

[佐藤浩司] まぁいいや。前の研究会がそうだった。時間がないので、関根さんは今度ゲストで一度招いて徹底的に討論したいと思います。[170'50]それで実は、私はこの研究会でこういう理論的な話をあまり詰めるつもりはないんですよね。今、我々が直面している事態がものすごく面白いことで、それをやっぱり、何が起きているかを知りたいということが一番最初にあって。たとえば美崎薫さんとかユビキタスマンとか出てきましたけど、じゃぁ実際に来てもらって話を聞きたいとか思うんですね。それと一方で関根さんのように人類学的に地べたにはいつくばって調査をしている人の話も聞いてみたい。対比としてね。とりあえずそれを一年間、今年度いっぱいはやってみたい。その上でどういう方向に行くかはわからないんですけど、とりあえずそういう話を聞いた上で、まぁ我々自身の発表はその後に回しておこうかと思っているんですけど、それは構わないですかね。




▲『記憶の帝国 【終わった時代】の古典論』 前田雅之著 定価3990円(税込) 右文書院(2004)




▲『ノスタルジアの社会学』フレッド・デーヴィス著 間場寿一・荻野美穂・細辻恵子訳 世界思想社(1990)




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