思い出はどこへ行くのか? ― 2004.10.23 ―

[みんぱく共同研究会第2回]
[国立民族学博物館2階第6セミナー室 2004年10月23日 13:00-18:00]
[参加]
美崎薫 澤田昌人 大谷裕子 久保正敏 野島久雄 國頭吾郎 長浜宏和 久保隅綾 黒石いずみ 山本貴代 内田直子 加藤ゆうこ 清水郁郎 須永剛司 佐藤優香 安村通晃 南保輔 佐藤浩司 山本泰則 米谷 池田 平川智章 荒田

全記録

もうそろそろ

[1'49][野島] たぶんもうそろそろ始めますけど。お手元にいろいろな資料があると思うんですけれど、このニュースレターが大谷さんが一生懸命作ってくださいまして非常に立派なのができたんですけど、これ近々公開したいと思っているので、前回の分に関してチェックとか、「私が喋った大切なことが入ってない」とかそういう抗議も含めて、あるいは所属とかに関してもチェックをしていただいて問題がないようにお願いします。

[佐藤優] すみません、足りないみたいなんですけれども。

[野島] 足りない?置いてあって・・・

[不明] ここにあるやつとかは?こことか。

[野島] あ、あの辺からないのはとってください。

[佐藤優] はい。

[野島] あとこれも。これも入ってます。[2'45][配付資料について+雑談][3'32]今日はテープ起こしをしてくれる鈴木由華さんがいないので、これだけの人数なのでテープ起こしが大変なのでまず最初に「私はここよ」の発声をしていただきたいと思います。マイクは。あれ?あそことそことそこ。佐藤さん、録音の道具ってまだありましたっけ?ちょっと遠い人は声を張り上げるようにして下さい、ということで。じゃぁ。南さんからどうぞ。

[4'24][南] 成城大学の南です。よろしくお願いします。ちょっと思い出に関して、私このそばのところで育ったもので、万博とか20回近く来たので、あまりそのあと来ていなかったんですが、やっぱりここに来るたびに1970年のあれが思い出としてあるんですけれども、この辺に何があったかなとか、今日も非常に感慨にふけりながら中を歩いてきました。

[4'54][安村] 慶応大学の安村です。みんぱくは初めて来ました。みんぱくの中も面白かったんですけど、アラビア博物館っていうのも面白かったです。ちょっとついでに宣伝させていただきたいんですけれども、私ヒューマンインタフェースが専門なんですけれども、ノーマンっていう人がいて、その人、野島さんが「誰のためのデザイン?」って訳されてそれは超ベストセラーで30000部ぐらい売れているんですけれど。そのノーマンが一番最新作「エモーショナル・デザイン」っていう本を書いたんです。それの翻訳。もう出たてです。今週の月曜日くらいにでたので、回しますからちょっとどんなものかだけ見てください。けっこうきれいなんで。あとこの会合にも多少関係あるんじゃないかなと思います。以上です。

[5'43][佐藤優] 佐藤優香です。みんぱくに普段通っています。専門は教育学ですが、たぶん思い出を語るところが学びととても関係があると思ってこれにとても楽しみに参加させていただいています。よろしくお願いします。

[6'07][澤田] 京都精華大学の澤田と申します。佐藤さんとはもう何年ぶりかでこないだ久しぶりにお目にかかって、今日ここに来てお話をするようにいわれました。それで参りました。よろしくお願いします。

[6'26][須永] 多摩美大の須永です。前回東京で集まった皆さんと今日で2回目なんですが、私は情報デザインというデザインの新しい研究を開拓中でして、今回のテーマである思い出と、我々の考えている人工物、まぁ道具のデザインという仕事をしているんですが、思い出を支える道具なのか、あるいは思い出そのものが道具化するっていうのかな、そういうことなのか。まぁ今デザインの我々のテーマと思い出のがどう結びつくのだろうかということを考えております。よろしくお願いします。

[7'14][清水] 清水郁郎です。第1回目は欠席してしまいました。今日初めてなのでよろしくお願いします。専門は建築学と人類学両方やってます。僕は方法論はあまり区別しないで住まい研究という形でやっているんですけれども、フィールドは「タイ」。特に少数民族の社会をずっと研究指定いました。今年の夏ぐらいからラオス、タイの隣の國なんですけれども、ラオスでフィールドを始めたところです。これからよろしくお願いします。

[7'56][加藤] 京都にありますシンクタンクのシィー・ディー・アイから来ました加藤と申します。生活財生態学という調査をやった会社で、そういうことをやりたいと思って入ったんですがまだその機会に恵まれないのでいろいろなところに顔を出しています。前回は映画の話をおまけに持ってきたのですが、今日は先週実は小さな研究会で生活財の話をしてきまして、そのときに回した日産の「物より思い出」というCMの話があって、ちょっとウェブ上で「物より思い出」論争みたいなことをやっている個人の方がいたので、そのプリントアウトしたのをお回ししたいと思います。一番後につけているのは、こないだ佐藤さんからお話があったウクレレの、実際にホテルに置いてある、部屋の番号とかが書いてあるものもつけますのでご覧ください。よろしくお願いします。

[9'00][内田] 夙川学院短大の内田直子と申します。前回、私事ながらといって日記帳の話をして、その後気になったものですから「いくつあるんだろう」って数えましたら77冊あったんです。それは小学校のときからつけていますので、かれこれ30年近くのもの。それと同じようにあと美術館とか資料館、博物館とかの全部のチケット。その頃から見ているのをB5版のスケッチブック帳に全部貼って私はとっているので、これは私にとっていったい何なのかっていうことを研究会のお話とともに考えるようになって、それは私なりのまとめをしなくちゃいけないんだなと思ってます。あと旅行のパンフレットもたまるんですね。捨てられないので全部とってあるんです。だからそれをどう資料として、あるものを次の世代に公開するというか、何かをするのが1つの役割なのかなというふうにちょっと我が身のことを感じて思うようになりました。またよろしくお願いいたします。

[9'56][山本貴] 博報堂生活総合研究所の山本貴代です。こんにちは。私は今日は張り切って、朝9時の飛行機に乗って10時頃空港に着いてしまいまして、時間をもてあましてしまってどうしようと思って、ゆっくり阪急ホテルでブランチをとったりとかのろのろしていたらぎりぎりになってしまって。で、万博も幼い頃に2回ほど親に、こちらに住んでいるわけではないんですけれども、2回ほど連れてきてもらって太陽の塔とかを写真に一生懸命いろんな角度から撮ってみたりして遊んでいました。最近は来年、日本人がどっちの方向に行くかという本を生活総研が毎年作っているんですけれども、それのリーダーを任されまして「生活予報」という本を今執筆しているところです。あとはOLを113人ぐらい捕まえてきてネットを作って1対113人で毎月コミュニケーションしてアンケートを採ったりして面白くやっています。それでまた今度思い出についても聞いてみようかなぁと思っています。これくらいにします。

[11'14][黒石] 青山学院の女子短期大学の黒石いずみと申します。建築のデザインの勉強をしていたらいつの間にかアメリカで今和次郎の博士論文を書いているという状況になってしまいましたけれども、その考現学の勉強や今和次郎の勉強をあさりながらやって(?)[11'43]、帰ってきてから自分にとってそれがどういう意味があるのかということを考えて応用問題をずっといろいろやっているところです。今やっていることは、もちろん今和次郎に関連するものを保存して記録するということにいろんな実践があるのでそういうことを調べてみたり、歴史的に調べてみたりということもあるんですけど、伝統技術というのがどういうふうに民間の中で伝承されて変形していって現代のものへ移っていくのかというのを、特に人々が知識をお互いに分け合うというか予行したりしながら教えあったり分け合ったりするという、そういう形でどうなっているのかというのを調べたり。それから私今青山にいるものですから、渋谷の開発の中でいろんな立場の人がいろんなことをやっている訳なんですけど、それについてフィールドをやって分析したりしています。

今その物と思い出というテーマで研究会が開かれるのはすごい楽しみできたんですけれども、私にとっては思い出ということと物というので今関わっていることと関係している3つのケースがあるのをお話ししたいんですね。ひとつは93歳の女性で、今和次郎さんに教えてもらっていた人なんですけれども、小林さんという人がいまして、その人は今和次郎の作ったというかデザインした住宅に住んでいて、物を捨てられないで人生が今まで来たということでずっと物に埋もれて一人で暮らしている方なんです。その人の卒業論文というのを見ますと、物、残した物というのを、家の中にある物を美しく記述するということで、その記述するという行為の中で物が持っている意味がどんどん変質していくというのが未だに彼女の中に思い出としてずっと残っているという、1つの思い出というか、物と思い出の話です。

それからもう一つは、私の主人の祖母なんですけれども、その人も98歳なんですが、今老人ホームに入っておりまして、家にいた時は山のようにお蔵にいっぱいになるくらい物があったのに、老人ホームに行くとなると12畳の部屋に入るために切り捨てていかなければいけないという、そういうプロセスの中で彼女はもうそこで2年暮らしているんですけれども、未だにいろいろ整理して「あれを持ってこい」「あれを持って行け」といろいろやるんですけれども、彼女、[聞き取れず][14'51]物との関わりというのが彼女の人生そのものなんだなということを、元々質屋をやっていたりしたということもあるんですけれども、特に強く感じて面白いなと思っている。

それから3つ目のケースというのは、私が短大で教えている18,9~20にかけての女の子達のことなんですけれども、やはりちょっとまじめそうな女の子達が短大入って半年の間にものすごい変貌するわけです。その変貌のきっかけというのが、やはり渋谷や表参道で友達と一緒に買い物に行って同じような物を買って持ち合うということの中でどんどんどんどん変わっていくのはすごく面白くて、その子達にとって昔のことというのは思い出したくもないというか、高校の話聞くと「そんな話しないでよ」みたいな話になっていって、これはすごく面白いなと思っている。そっち系の話と3つの次元で物と思い出というの。あとは第4でプラスアルファでいうと、自分が最近物忘れをするようになってきて、記憶を一瞬でも失うということの恐怖というのかそういうのと、思い出というものに潜んでいる甘い毒のようなというか、自分を誘う喜びのようなものが怖いなっていうか、自分自身の中の葛藤というか、プラスアルファですがそういう面でいろいろ考えていって楽しみにしています。よろしくお願いします。

[16'33][久保隅] コニカ・ミノルタ・テクノロジーセンターから参りました久保隅と申します。よろしくお願いします。私も今日は初めてこちらのみんぱくの方に参りまして、昔のテレビの映像の中で見た太陽の塔が目の前にあることに感動しながら公園の中を歩いて参りました。私の会社はもちろん皆さん少しご存じかとは思いますがフィルムの会社でして、カメラ等提供しております。皆さん旅行に行った記念であるとか、子供の成長記録であるとか、そういった思い出を記録するカメラ、フィルムを提供している訳なんですが、ちょうど私の部署ではイメージングの文化ということで、写真の文化を中心として人々の行動やライフスタイルについて研究をしています。

現在は写真の文化に関するアンケート調査をやったものをまとめている段階なんですが、非常に世代差であるとか、あとは性差が現れるような結果になっていてとても面白い結果が出ていますので、皆さんに一度ご紹介したいなと思っています。ちょっと申し上げると、たとえば「あなたにとって写真とは何ですか?」という一言の質問をして選択肢をいくつか用意しているんですけれども、だいたい女性がやはり「思い出」というのが強くて、男性だと若干「記録」という言葉が多いんです。男性の方がどちらかというと時系列に物事を記録するというものに写真の価値を置いているのかなという調査結果が見えてきたりしています。今黒石さんからお話しいただいた女子学生の話と関連するんですが、私どももプリクラのユーザインタビュー等をしていまして、中学生であるとか女子高生に話を聞くと「写真はキモイから嫌いだ」とかいう意見が出てきます。プリクラは自分のニキビとかが白く飛びますし、あとは目が大きくなるということで写真よりプリクラの方が「ちょーきれい」という感じで、ユーザさんからもお叱りを受けて「写真はもっと何とかならないの?」というふうにいわれたりもしています。そういった部分も是非ご紹介できればと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

[19'04][長浜] 大和ハウスの長浜といいます。大和ハウスと聞いて、関西の方は多少知っている方もいるかと思うんですけれども関東ではあまり知名度がないらしくて今会社でエライことになってます。当社は、俗に言うプレハブ住宅、業界では工業化住宅といいますけれども、工場である程度住宅を造ってそして現場で組み立てる。家が素早く組みあがる。そういった住宅商品を供給している訳ですけれども、そういった中で私どもは総合技術研究所の中に生活ソフト研究グループというのがありまして、今後の住まい方の変化であるとか、特に住生活の今後の変化それからそれに伴う住まいのあり方みたいなものを研究しています。3年ぐらい前ですかね、思い出ということで、旅行と思い出というアンケート調査をやったことがあります。

実は当社はいろいろな事業をやっておりまして、中にはリゾートとかホテル事業みたいなものもありまして、そういったところに多少貢献できるんじゃないかとやったんですけれども見事に使うことなく、調査に[?][20'18]。その中で旅行のお土産品みたいな設問をもうけたんですけれども、昔は旅行といえば民芸品とかこけしとか将棋の駒の大きいやつとかそういうものがたいがい土産物として床の間に飾られたりしたんですが、今は和室が減っていったり床の間自身も消えていったり、まぁリビングの中で物を飾るスペースというのがどんどん減っていっている。そういった中でじゃぁなにが残るのか。最近はやはり海外旅行なんかが人気があります。そこで仕入れた舶来品の思い出の品がそこに割とシンプルに飾られるという傾向にあります。そういった中で物と思い出というのは必ずしも家の中に見えているものだけではなくて、心の中にあるものという方がウェイトが大きいんじゃないかなという気が最近はしています。どっちにしても技術研究所の中に以前は大阪の中で生活研究所という名前だったんですけれども、2年ぐらい前に技術研究所の中に入ったものですから、ただそうというだけじゃなくて技術に何かしらつなげなさいということを常にいわれていまして、この研究会に出させていただいたのも最初に「ユビキタス」というキーワードがありましてそこで何とか上司を説き伏せて参加させていただいております。またよろしくお願いします。

[21'48][國頭] NTTドコモのネットワーク研究所から来ました國頭と申します。3月までは研究所の下の部署の名前も「ユビキタス」っていうのが入っていてユビキタスサービスネットワーキング研究室というところだったんですけれども、4月の組織というか中で名前をいっぱい変えようということで「ユビキタス」というのがなくなって環境理解型サービス方式研究室という舌を噛みそうな、やっぱり舌を噛みそうな名前になっています。要はユビキタスというのが非常に世の中でいろいろ使われているんですけれども、結局はなんだかよく分からないということで、じゃぁ僕たちがターゲットするのは今身の回りってどういう状況になっているのかなということを分かるようにコンピュータが理解していきましょうということをターゲットにしているので「環境理解」という名前になりました。

僕たちのグループもやっぱり物に着目していまして、物に着目したのはやっぱり人が難しいので分からないということから、周りにある物、どんな物があるという時にはどういう状態にあるのかなということを探ろうということで物に着目しています。

で、ちょっとこれは仕事を離れるんですけれども、僕も物を捨てられない人で、ドコモに転職して都心から横須賀、三浦半島の先っちょのこないだ台風が上陸したあたりに住んでいるんですけれども、部屋が広くなったものですからさらに物が増えて大変なことになっています。物を減らそうとまず思い立って、まず紙ベースのものは片っ端からスキャンしようと。スキャンについてはこれから美崎さんからありますけれども、スキャンしようとして一応紙ベースでスクラップ的なものは一応減らすことはできました。ただやっぱり紙の中に載っている情報は残せばいいっていうのはスキャンすればいいんですけれども、そうじゃなくて賞状だとかそういうものってスキャンしただけじゃ意味がないんですよね。なので一体物と思い出って何だろうという。ただの記憶ではないしよくわからないなっていうところに悩んでいるところであります。そういうところを決めさせていただいて物をもっと減らすテクニックを教えて頂ければと思っています。[24'45]

[24'47] [野島] NTTマイクロシステムインテグレーション研究所の野島です。どうぞよろしくお願いします。私は、最近印象に残ったことをお話ししますと、先ほど安村先生の方からノーマンの翻訳の話がありましたけれども、私は翻訳ってけっこう好きで、日本語いじるのがすごく好きなものですから。今度は今年の春にスタンレー・ミルグラムってアメリカの社会心理学者で非常に有名な人がおりまして、その人の伝記が出たので、これは僕は20年来好きだった人なので翻訳しようと交渉を始めたんですけれどもどこも出版社が嫌がる。「だめなんです、野島さん。日本人は伝記は嫌いなんです。」伝記になると本は売れない。でも社会心理の本は日本では売れる。だから『ミルグラムの社会心理学』だったら売れるけれども、『ミルグラムの伝記』となったらだめなんです。パラパラっと見て、子供の頃の写真があるんですね。「子供の頃の写真が載っているのはだめです」っていわれて。そういうようなのはどうしてなんだろうなって話で、先ほど大谷さんとその話をしていて仮説として考えたのは、子供の頃に野口英世の伝記とかヘレン・ケラーの伝記を読みすぎてるからいけないのかなとちょっと思ったんですけれども。まぁ僕は伝記とか個人史みたいな話ってすごく好きなのでなんで売れないのかなぁと。出版社はとにかくことごとく売れないそうですね。去年とある出版社、僕もよく知っている出版社がエリク・エリクソンという最近名前聞かないんですけれども、20年ぐらい前にはすごく有名だった人の伝記というのがでて非常に面白いものなんですけれどもやっぱりそれもほとんど売れなかった。「だからもうこりごりです」とかっていわれてそこは簡単に断られてしまってほかのところいったんですけれども、ほかのところも「私はいいと思う」、編集者はいいと思うんだけど「営業がうんと言いません」とかって。なかなか苦労しているところですけれども必ずや訳しますのでその折りには是非。

[安村] 野島さん、出版社紹介します。引き受けてくれるところ紹介しますから、あとで。

[野島] 必ず引き受けてくれるところ?

[安村] はい。たぶん。

[野島] それは心強い。じゃぁそのときには。今は今月末に編集委員会があってそこでオッケーがでるかどうかっていうのが1つ問題なので。ということでその辺の話も実は話としては面白い話で、なぜ日本だと伝記が売れないのかというのはずいぶん興味深い話題なと思って考えました。

[27'19][久保] みんぱくの久保と申します。先回は参加できなかったので今日が初めてなんですが。専門はメディア文化論とか、それから民族学とかそういったようなことで[聞き取れず][27'37]オーストラリアの先住民をやっておりましたけれど、今はあまり研究する暇がなくて申し訳ないんですけれども。まぁ、思い出ということに何かミニストーリーを作らないといけないなと思ったんですが。こう見えてもけっこう私年をいってまして、少し耳もなってきて、遠く目もかすむようになりました。そうするとだんだんと、昔の思い出の話を常に自分でね[?][28'08]。何でしょうね。要するに入ってくる情報量が少ないと自らの情報バンクから引き出してくるのかなって。そうすると脳はできるだけ同じほぼ一定量の情報操作をしないと気に入らないのかなとそんな話が出るし。だから老いと思い出。つらくとも[?][28'28]。先ほどの老人ホームの話に引っかかるかもしれない。で、思い出を引っ張り出す、ピックするトリガイになるのがものなのかあるいはほかの何かなのかもしれないという気がします。しばしば車で走ってる最中も、あるビジュアルの風景で「あ、このときにこういう話をしたな」とかね。ですからビジュアルと思い出というのはいろいろ必ずアソシエイトするだろうし、あるいは何か匂いだったり味であったり。だからいろいろなことに引っかかって思い出が形成されていくのかなと思うんです。ですからそのうちの1つとしてこんなのもあるのかなと思ったりもしますけれども、その辺までは深く考えたことがないので、それも含めていろいろな話を聞けるということで楽しみに参上してますのでよろしくお願いします。

[29'22][大谷] 編集者の大谷と申します。皆さんのお手元にあるこれを作らさせていただいたんですが、元々編集者としては家庭の中のことを対象にしまして、人と人との関係とか、人と物との関係とか、人の方のインタラクションとか発達とかに興味を持ってやっています。このリリースに関してなんですが[29'48]、これ作る過程やっぱりすごく大変だったんですがすごく面白かったんです。たぶん私が一番面白かったと思います。深くコミットすればするほど面白い。これが自分の中でどういうふうになっていくのかなと、これからこれが自分の中の記憶とか思い出になってどういうふうになっていくのかなということが個人的にはすごく楽しみです。今後これからリリース続けて発表していきたいと思うんですけれども、皆さんのご発言が全てこちらに編集させていただいて外に出るということをちょっと心得ておいていただきたいのと、皆様にお願いにあがった暁には文章のチェックなどをしていただいてご意見をいただければ助かります。で、これについて身内の編集者に見せて分かりやすいだろうかとかちょっと意見を聞いたら、まぁ自分の思い出の話がどんどん出てきて全然リリースの話になってくれなくて困ったんですけれども。やっぱりすごく興味があるみたいなんです、皆さん。これが皆さんのご家庭で、たとえば奥様とか旦那様とかに見て頂いたり、お子様に見て頂いたり職場の同僚の方に見ていただいて、もし何かご意見がありましたらみんぱくの最後に[31'17]infoのメールアドレスがでていますのでこちらのお寄せいただけたら、いずれフィードバック特集みたいなものも組みたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

[野島] ちなみに僕の出版社で翻訳の話をしていた時に、伝記はだめですけれども、これ見せたら「こういうのだったら喜んで出します」みたいな話があったので。それは本になるそうです。[31'43]

[美崎] じゃ、始めて・・。

[野島] 自己紹介。佐藤さん少しいって、それでもう。

[31'54] [佐藤浩] みんぱくの佐藤です。自己紹介はこれからも毎回たぶん続くので私はもうこれでいいんですが、今日オブザーバーの方が何人かいらしているので荒田さんの方から簡単に。

[荒田] 総研大比較文化学専攻の一年の荒田といいます。[32'13]専門は一応アンデスの考古学です。研究テーマは入った時は住居空間。住居と墓地の空間構成の比較を通して[32'28]古代アンデスの死生観を復元したいというのが研究テーマだったんですけれども、ちょっと最近方向性が変わりつつあり、道具から社会の機能でありますとか死生観[聞き取れず][32'40]といったものを復元していけたらと思います。よろしくお願いします。

[佐藤浩] 次誰。池田さん。平川君。

[平川] 僕もするんですか?

[佐藤浩] うん。だって知らないよ、誰も。

[32'55][平川] 平川といいます。フリーターをやっています。というのはアフリカの北部のスーダンというところでそこに暮らしている人たちについて調査研究を進めてきました。テーマは、家とか社会とかそうした社会の環境の方に重点をおいて調査研究を進めていたんですが、佐藤さんが以前世界の住まいの本をご執筆する際にお声をかけていただいて、そのときにいろいろ考えたりしていろいろデータをまとめていく時に、個人であるとかあるいは思い出とか、あるいは僕自身はノスタルジーというのを非常に関心を持っているんですが、そうしたものをキーワードに個人とか社会といったものの関係を描いてみたいというふうに考えてます。今回の、まぁソウルスタイルから佐藤さんが持っている問題意識であるユビキタスが直接的には、アフリカのそういう民族社会に暮らしている人たちの研究とは直接的なつながりはちょっと見にくいものがあるなぁと感じてはいるんですが、個人がどのようにそのシステムであるとか、周りの社会関係であるとか家族であるとか、物をインタラクティブに作っていくとか、そのときのメディアとかそういうものはいったい何なのか、それがどういうふうに使われて、あるいは変容していくのか。といった問題はそれこそユビキタスの問題であると私は考えていて、今回オブザーバーとして参加させていただきました。よろしくお願いします。

[34'51][池田] 初めまして。私多摩美術大学の須永先生と一緒にやらせていただいております、普段はプロッシモというデザイン事務所をやっております池田と申します。通常は工業製品を主にデザインをする立場ですので、今日は面白いテーマに参加させていただいたなぁと、それと学ばせてもらうことになるかと思いますがよろしくお願いいたします。

[35'23][米谷] 千里文化財団出版部の米谷と申します。普段はこちらに民族学博物館の広報誌「月刊みんぱく」というのをお手伝いさせていただいているんですが、もう一つ「季刊民族学」という本を[聞き取れず][35'46]に抱えておりまして、今度この季刊民族学の方で佐藤先生に原稿をお願いして企画を立てているんですけれども、空き缶ハウスのお話をお聞きしたり、あるいは今度のプリコラージュの特別展のお話をお聞きしたり、この共同研究の話をお聞きしたりしているとなかなか企画が面白そうなんだけどまとまらなくて、もうどうしたらいいか分からなくなってちょっと勉強にこさせていただきました。今日はいろいろお話を聞かせていただいて少しでもいい企画を立てられるように頑張りたいと思っています。よろしくお願いいたします。失礼いたします。

[佐藤浩] ちょっと補足しますけど、来年3月からプリコラージュというような形の展覧会を企画しているんです。それで新大阪駅の横に住むホームレスのおじさんに空き缶で家を造ってもらったんです。そうしたらそれが大阪市の建設局の、まぁ違法居住者なので、人からみんぱくの総務に電話がかかってきまして、それが館長の耳にどうも入ったらしくてちょっと困った状態になっているんですよ。実現できると、展示の中にそのホームレスのおじさんが作った空き缶の家ができあがることになるんです。来年の研究会では皆さんご覧に入れることができると思います。期待して下さい。で、今日は私が初めて呼ばれてちょっと話をしたユビキタスのシンポジウムで、東大の何先生でしたっけ?えーと「20世紀は空間を超えることを目的にしているんだけど」・・・

[野島] 廣瀬先生。

[佐藤浩] 「21世紀は時間を超えることが目的だ」とかいうそういう話をされていて。それで美崎薫さんと澤田昌人さんに今日お越しいただいたのは、二人違った形ではありますけれども時間を超える経験をされている、そういう社会を研究されている、一人はそれを実践されていることで、何かしら接点があるのではと思ったからです。後にお茶等ありますのでご自由に。たぶん発表の最中でもご自由におのみください。それで美崎さん2時間まるまるお話しされるということなので。だいたい持ち時間2時間ぐらいということで[38'16]、残った時間でディスカッションと言うことにしたいと思います。それではお願いします。




〝思い出〟なのに懐かしくない

[38'22][美崎] 初めまして。美崎薫と申します。今日「外在化した記憶の形、[38'27]記憶する住宅が作るこころ」ということでお話をさせていただきたいと思います。2時間というお話を最初いただいたのですごくたくさんそれように作ってきたんですけど、これ前半で後半の分もあります。間に合わなかったんですよ、プリントが。それでレジュメって見ちゃうとつまらないので、後半はちょっとワクワクする感じになるんじゃないかなと思います。それで美崎薫とは何者かということですね。自己紹介をするのは僕は非常に苦手で、どういう人なのか実は自分でもよく分かっていないんですが、外から見ると未来生活デザイナーとかソフトウェア&プロダクツデザイナーとかブックライターとか、一日100枚写真を撮る男とか、記憶する住宅のプロデューサーというようなことをいっています。最近、記憶アーティストとかいうまた訳の分からないことを言い始めていますけれども、そういうこともやっています。

今皆さんの自己紹介を聞いていて、なるほど思い出の話とか非常にキーワードがいろいろああって、ものをどう捨てるのかとか捨てないのかとか、広い家ならどうなのかとかそこが全部埋まるじゃないかとか。一応それに何となく私的には解決をしたということがあって、賞状はどうするのかとか。そういう点では、やっぱりちょっと未来を僕は生きているのではないかなということを思います。[39'49]これがその記憶する住宅と呼んでいる住宅なんですけれども。まぁ普通の住宅です。それで、これリビングですね。リビングから客間に向かうと外に広がっていて、先ほどのカウンターは実はミーティングをする時には可動式でミーティングテーブルになる。床のところには、普通フラットな形になっているんですけれども、この床が実は電動で上下するような秘密基地みたいになっていて、ビデオとかそういういらないものは全部床下に隠してあるというふうになってます。それでここまで作り込んでちゃんと動いている住宅ってあまりないんじゃないかなと思いまして、けっこう住宅という点で見ていただいている方もかなり大勢いらっしゃいます。それで私が普段どういう記憶する住宅ということをいっていてやっているのかということを、今ツインのスクリーンで実は用意していて実際にやっているところをごらんいただきながらプレゼンしていこうと思うので、「今日は記憶する住宅へ皆さんようこそ」みたいな感じでやっていきたいと思います。そちらのマイデータをスライドの方にドラッグしていただくとそこから始まると思いますので。

[佐藤浩] はい。[41'07]

[美崎] 向こう側でずっとスライドショーを押していて、もしかするとうるさいかもしれませんけれども、浴びるように情報を受け取るということが何というか非常に面白い体験なんだということを実際にご自分でご体験いただければと思います。これはさらに記憶する住宅の続きですが、先ほどのリビングでこれが書斎です。書斎でツインのディスプレイを使っていて、メインの方は仕事用ですね。それで脇の方にディスプレイがあるのがスライドショーとかを使うために使っている。だから今と基本的には同じような状態になっているということになります。それでスクリーンは別に二つに限る必要はなくて、こうやってシェアで見るといっぱいある。場合によっては壁にプロジェクタで出すみたいなこともやっておりまして、そういうようなことをやっています。さらに仕事をする時にはこんな感じですね。

それでこういう記憶する住宅といったときに、住宅のハードウェアの部分と、まぁ今日住宅の方もいらっしゃるようですけれども、住宅のハードウェアの部分とソフトウェアの部分とそれをどう動かしていくかっていう部分といろいろあるかと思うんですけれども、一番最初にあったのはやっぱり背景となる技術としては住宅のところをどう作り込んでいくかということと、あとはじゃぁ記憶をためていくためのハードウェアはどういうふうになっているかことなんですけれども、その記憶媒体が、皆さんご存じだと思うんですけれども非常に圧倒的な速度で進化しているというのがあります。家だと今1テラのハードディスクとかいろいろ合わせると4テラぐらいハードディスクがあったりするわけです。そういうものがあったり、あと身近なところだとアップルのiPodに代表されるような手のひらの上に1000曲とか、だから人生で聴いた曲全部っていうようなものを入れられるようなものがもう身近にでているというのがあります。それでこれがどういうふうになっていくかというと、当然まもなく人生そのものを手のひらに乗せられる時代がやってくるだろうというふうに感じています。

これはソニーのハードディスクマルチプレーヤーHMP-A1という動画を再生できる携帯端末ですけれども、こういうふうに映画を入れて電車の中で見るというようなことが非常に簡単にできるようになっています。それでこれ持つところがないので吊革につかまって肘の内側に入れて見たんですけれども、こんな感じで一日映画1本見るというのが割と苦もなくできる感じなんですね。実際やってみて「なかなか見れるな」という感じだったので。こういうふうに人生をためていくということができるようになるんじゃないかなと思います。そういうことを、皆さんもだいぶ思い出系に興味があるということでやられているかと思うんですけれども、その先駆的な使用法。だからこういうこういうのに易々と耐えてしまうハードウェアが非常に安価になって出てきているということがいえると思います。たとえば一日1000枚写真を撮るユーザというのは私ですけれども、そういうこともやってみたんですけれどもそういうことができちゃうデジタルカメラとか、あるいは数十番組を録画できちゃうハードディスクレコーダっていうのが非常に日常的に売られているということでだんだんそういうものが日常になってくるのかなぁと感じます。

[44'17]それでそういう先駆的な使い方を実際に私はやっているわけですけれども、それで分かったことはやっぱり情報が爆発してしまってなかなか求める情報にたどり着くのが難しいということを非常に感じることがあります。たとえば6ページくらいの情報になっても、それに多くを探すことができないんですね。人間のワーキングメモリっていわれているものが非常に小さい。この辺は野島さんが専門だと思いますけれども、ということを実際に感じます。それでこれが6番組入っているやつを6ページ。だから30番組以上をぱらっととってしまったんですよ。そうしたらどうやってものを探したらいいか全然分からなくて。どれも全部同じに見えてしまうということがあります。区別をすることができなくて、どれを見終わったのか、どれがどの番組なのか、どれが連ドラなのか全然分からないということがあります。これはどうやって分かったらいいかというのは非常に明らかで、なんで分からないかというと一度に見えないからなんですね。それでどうやればいいかというと、一度に見ればいいと考えました。だから全部を一度に見ることができたりすればそういうふうな情報爆発にある程度耐えることができるのかもしれないということの1つのきっかけというかキーワード。あとはメモを書き込めるとか、いろいろあるかと思うんですけれども、見るということが非常に重要だと思います。いろいろたくさんものがあるとやっぱり良いものを選ぶということがある。良いもの、必要なものを選んでくるということが非常に重要なわけですけれども、良いものをまず選ぶという作業をするためには多数のものがあるというのが前提だと思います。さらに多数のものがあって、そこから選ぶことができるということが非常に重要なのではないかと思います。それでその選択をするためには選択できるクオリティが必要かと思います。そのクオリティはどういうことかというと、高解像度であるというようなことで、見入ってしまう。なんか止まってます、すみません。

[46'13]ものを見る時に見入ってしまうくらいのクオリティってあると思うんです。映画で田中麗奈が主演した「好き」という映画があるんです。これは30分のショートムービーなんですけれども、実は全部静止画でとられているんですよ。静止画でとられていてせりふは入っているんですけれども、動きはないんだけれどもそれに見入っちゃうっていうことを感じることがあるんです。そういうのは昔山口百恵が現役だった時に篠山紀信が番組をとったやつも全部静止画だったとか、あるいは「ラ・ジュテ」という映画があるんですけれども、その映画も全部静止画であるというふうに静止画の魅力というところがいいんじゃないかなと感じます。それで、ちなみにその「好き」という映画だと3000 枚写真を撮ってそこから350枚を抜き出したということです。だからたくさんのものがあってそこから選んできたということでクオリティの良い写真がでているのかなという気もしますけれども、それで1分20枚くらいめくる感じのスライドというか映画になっているものです。是非ごらんになっていただければと思います。

そういうふうに大きい写真を大きい画面で見るということは非常に魅力的であると思うんですけれどもサムネイルでは写真の魅力は分からないと感じています。これは実例があるんですけれども、これを見て、これは紙でもでていますので比較してみていただければと思うんですけれども、これを見ていい写真はどれでしょう?

僕がとったのであまり写真自体が上手くないという話は当然あることは別として、これを見ていい写真はどれでしょう?といったらなかなか難しいと思うんです。それがこうやってめくっていくことによって、大きく見ることによって、たとえばこれだと脇のパラソルが邪魔だということが分かる。サムネイルだとちょっと分かりにくいんだけど分かる。あとこのベンチが邪魔だということが分かる。あとピントがちょっとぼけている、甘いというのがありますね。これだとなんか派手でいいんだけれど空がちょっと少ないということも感じたりすると思います。あと向かうの端に何かいらないものが写っている。これはいらないものが写ってなくて、空が広くて、何となくこれは候補1かなというふうに感じたりします。それでこれはちょっと空が狭くなっているなという感じですね。それでこれだとオレンジがなくなるのでパンチがちょっと弱いかなぁと思って、さらにこれもさっきのよりはいいけれどちょっとおとなしいかなぁと思ったりすると思います。それでこれは縦位置にしたのだとオレンジもあるし、けっこうまだらでいい感じで色がでているのではないかなぁと思って、さらにこれだと空がちょっと多すぎて色合いのある写真としてはちょっと弱いかなと思います。これぐらいだとバランスがいいけどもうちょっとオレンジがあった方がいいかなぁとかですね。これだと後にあるビニールハウスが邪魔だろうと感じました。[49'14]これだと道路が入っていて、あと地平線がちょっと水平がでていないんですね。ちょっと写真としてはだめかなぁと。これもさらに水平がでていないので写真としては弱い。じゃぁ結局この写真の数枚あった中からどれを選んだかというと僕は縦位置のやつを選んだんですけれども、これがサムネイルだけで見ていると簡単にこういうものを選ぶということが難しいのではないかなという気がします。

これも同じ例ですけれども、ススキの写真が上にあるんですがススキでどれがいい写真なのか?というのを選ぶのはサムネイルでは難しいと思います。これが何となく一枚でとってみて、これの方が空にススキがそよいでいる感じがあって良いかなぁと思いました。それでこれだとススキのトップが切れちゃってるんですね。トップが切れちゃうって、頭が切れているのって写真としてはちょっとだめかなと思って。それで縦位置にしてみたんですけれども、枯れているススキが真ん中に入ってしまってどうだろう?っていうのを感じたりとか。これはまぁまぁかな。でも真ん中入ってますよね。あともうちょっと下を切って空だけっていうふうにしてみると、これ逆光だったのでススキが光っていてきれいなんですね。でもちょっと空が多すぎて好きじゃないな、空とっているのかなぁと思ったりとか。これも上が切れちゃってるとかですね。逆に今はあおってとっていたんですけど、上からのぞき込むようにしてとってみると下の線路が写ったりするんですけれども、こうするといらないものがあまりにもいっぱい写ってしまってススキをとっている感じはなくなってしまう。それでこれも今の写真でも全然ススキの写真ではなくて線路の写真になっちゃっていますよね。次のヤツもこれはススキをとっているんだか何をとっているんだかわからないというようなことになって、アップで見ると細部を見てどれがどうだろうかっていうところを比較検討して行くことではないかなと思います。これもちょっとススキ自体は下に隠れちゃっているのであまりどうかなという感じですね。[51'28]これもうちょっと下からとってみたのでススキが外に出ていますが、雲がちょっと邪魔だったなということを思ったりします。だからだんだん下からススキだけをとろうとしているわけですね。今見て頂いたように、だからサムネイルで今のをどうやって見ていくかというのは非常に難しいと思うんですけれども、大きくしてみると「これはダメだ」「これはいい」っていうのは一発で見ればわかる。本当に百聞は一見にしかずとよくいうんですけれども見ればわかるというところは非常に記憶する住宅をやっていく上で大きいモチベーションになっています。

続いて、サムネイルじゃなくて大きい絵で見なくちゃわからないという例なんですけれども、この中を見てどれがスペシャルな写真なのか見てわかるでしょうか?[52'13]ぼくもちょっとどれだったか忘れてしまったんですがスペシャルな写真が一枚あるんですよ。それで種明かしは簡単で「キタキツネ」なんですけれども。走っていたらキタキツネがいて「あ!今だ!」と思ってとったんですね。これは動画ではなくて静止画でとっている理由の一つに非常にハイクオリティであるというところがあるんですけれども、これは画素でいうと2000×1600とかの画素でとっているので、この距離でしかキタキツネをとることができなくてその後走って逃げちゃったんですけれども。静止画でハイクオリティにとっているとある程度のクオリティで切り出すことができるということがあります。これもやっぱり静止画の魅力で、非常にハイクオリティでとっておけば部分を切り出して細部をしみじみ見るということができると思います。

そういうことで記憶する住宅では静止画を中心に、別に動画をやっていないというわけではないんですけれども静止画を中心に非常に大画面とかプロジェクタみたいなものを使って大きいもので見ています。それはクオリティを大事にしているということで、この写真を今見て頂ければおわかりになる通り机の上に猫がいるのと、その画面の中の猫とがほぼ同サイズというか、どっちが本物か、それは触ればわかるんですけれども、一見見てわからないぐらいのクオリティを持っているんじゃないか。それならば紙を、たとえば賞状とかを画面の中に入れてしまってもいいんじゃないかみたいなところが一つのモチベーションになっています。

こういうような情報が爆発して、今たくさんの情報を入れていったときにどうやって情報を手に入れていくのか、必要な情報を出してくるのかというのが重要なんですけれども、それは二つあって、ハイクオリティである。だから、見てわかる。見入ることができるくらいのものであるということが一つ何とも面白いところであろうと思うし、もう一つは文脈情報を使った提案ができる。だから必要なときに必要なものが手元にあるということをどうやってその形にしていくのかということが大事だと思います。[54'28]そういうことができることによって記憶と意識にコンピュータは近づいていくと感じていて、ティモシー・リアリーというハーバード大のわりとオカルティックな先生なんですけれども、この先生が「21世紀にはスクリーンの支配するものが意識を支配するだろう」ということを言っていたそうなんですが、本当にスクリーンにスライドショーしているということが意識をすごく支配しているということを感じることがあります。

これをやっている、実践しているというパイオニア意識が非常に皆さんのおかげでありまして、というかやっている人がなかなかほかにいないというところもあるんですけれども。みんなでやってほしいなと強く思うんですけれども、ほかにもこういう関連研究が増えてきていて、記憶と意識にコンピュータは近づき初めていて。コンピュータが最初計算機であったものが文字を扱うようになって、更にグラフィックや音楽や動画を扱えるようになったんだけれども、次の世代のコンピュータはやっぱり意識を扱うようになるんだろうなという気がしています。意識とか記憶とかですね。

関連研究としては、マイ・ライフ・ビッツであるとか、カジュアル・キャプチャーとか、今日いらしている野島さんのところの思い出工学とか、あるいはライフ・スライスとかアメリカン・メモリとかメメックスとかそのほかいろいろあります。こういうものが世界的に今高まっているよとかいうとなんとなく企業受けがいいというか、いいのかなという気がしますけれども、Pervasive2004っていうのがこないだウィーンであったんですけれども、これのワークショップでメモリ&シェアリング・エクスペリエンスっていう研究会があって私も発表させて頂きました。

[56'03]そのほか日本だとアーカイブズ学会が提供してみたりとか、世界的に何となく関心は高まっているのかなという気がしています。パーヴェイシヴに関しては私がライターとして記事も書いていて PCWeb

http://pcweb.mycom.co.jp/articles/2004/06/30/pervasive/

というところで見ることができるのでご参考頂ければと。あとこれがアーカイブズ学会が発足ってやつで日経新聞の5月ですね。こういうことで、過去をいろいろ共有するコンピュータ。だからコンピュータはやっぱり記憶を蓄積していくものだと思うんですけれども、それを共有できるようなコンピュータはこれからできてくるだろうと思います。

こういうことをイメージとして描いている人は少なくなくて、たとえば私で一番思い出深いのは、小学校の時にショート・ショートで星新一さんというもう亡くなった作家さんですけれども、が書かれた「なぞのロボット」っていうロボットの話があって、何もできないロボットがいつも人の、博士の後をついて歩いてくる。なにか危機にあっても助けてもくれないしなんにもしてくれないんだけどうちに帰ってくると日記を書いてくれるっていうロボットだってそういう話なんですけれども。そういう話があって、これが今度アニメになってヤフーBBで11月の16日から公開されるそうなので、ショート・ムービーなんだそうなので是非ご覧頂ければと思うんですけれども。そういうのがあったりとか、そういうところでもちょっと盛り上がってるなという気がするんですけれども。あと野島さんですよね、確か訳された、

[野島] これは僕じゃないです。

[美崎]あ、違いました?すみません。「テクノロジー・ウォッチング」って本があって、ドナルド・ノーマンの今回っている本ですけれども。作者ですけれども。それがテディ・ベアっていうのを将来の子供は持つようになるだろうってことを言っています。あと「コブラ」っていう漫画が出てきたか出てくるかわからないですけど、漫画がある。それの「レディ」っていう相棒のロボットがいて、それはコブラのことをなんでも知ってくれていて適切なサポートをしてくれる。あと「世界の不思議なお守り」というところのプロロ・ブラとかプロロ・ビアンとかっていうようなものがあったりします。

ノーマンのいっているテディ・ベアはまぁテディ・ベアで、テディ・ベアを未来の子供は持つようになるだろうと。で、テディ・ベアと一緒にいろいろなことを体験していってそれを全部テディ・ベアが記憶してくれている。そして適切なアドバイスをしてくれるというようなことがやがてできるようになるだろうという風にいっています。そういう技術を我々はというか、ちょっとジャンルが違うかもしれないのでいうのもあれなんですけど、コンピュータで我々はそれを作ろうとしているわけですけれども、別にそれはコンピュータを使わなくてもできる。人間はやっぱりパートナーを常にほしがっていて、心をサポートするなにかというのは全部違うというので、コンピュータじゃなくてもできるだろうと思います。

吉本ばななさんが今年の4月ぐらいまで連載していた「海のふた」っていう小説があるんですけれども、これの時に、あの辺にアフリカの部族の話が出てきます。[59'03]で、アップにしてみるとこうなんですけど、アフリカの部族がっていうので、もうちょっとアップにしてみますけれども、アフリカの部族が女の子が生まれると木彫りの人形を与えて結婚する日までずっと相談しつつ共に暮らしていくんだ、なんでも相談しながら暮らしていくお守りがあるんだという話をしているんですね。

最初吉本ばななさんなので、これは創作かなぁと思ったのでちょっと聞いてみたんですけれども、その出典が見つからなかったので聞いてみたんですが、チャイハネっていう横浜のお店をやっている人の本ですといわれたので探してみました。そうしたら新藤さんという方が平凡社から出している「世界の不思議なお守り」の中にプロロ・ブラ、プロロ・ビアンというのがあって、アフリカのコートジボアールのパウレ族に伝わっているヤツで、未来の配偶者として木彫りの人形を与えて自分の相談をしながら生きているというのがあるそうなんです。人形をなくすと持ち主は病気になるか死んでしまってというような、本当に心を一緒に暮らしていくような人形があるという風な話があります。

ここが国立民族学博物館のすごいところで、そのアフリカのコートジボアールの人形はまぁこんなものかなって。これそのものがそうかというとちょっとあまりにも収蔵庫が大きくて見つけきれなかったんですが、こんな人形をパートナーとして持っているというようなことがあるそうです。

[60'29]コートジボアールってこの辺ですけれども、この辺にそういう文化があるそうです。今ちょっといろいろ見て頂いておわかり頂けたかと思うんですけれども、僕のプレゼンテーション、非常にカラフルで楽しくなってるといいなと思うんですけれども、文字だけのプレゼンテーションて非常につまらないと思っていて、ものをイメージとして蓄積するということは非常に重要だと思っています。それはものの雰囲気をそのまま再現することができるわけでテキストだけでは不可能なわけです。

ただもちろん議論はあって、画像でもいいのかというのは当然議論があって、先ほどいった賞状のノスタルジックな雰囲気とか、そこまでできるとは僕も思っていませんけれども、相当なことができるのではないかなと思います。更にそれを、右側でずっとやっていますようにスライドショーでずっと見ています。それは閲覧することが記憶を甦らせるため[61'26]のきっかけになるわけで、能動的になにかをするとか探すとかするよりも、受動的にスライドショーで見ている方が何となく重要な気がするんですよ。

これでもう一つ重要なのは僕が今72万枚画像と写真とを持っているんですけれども、それを死蔵は絶対していないということです。なんで死蔵してないかというとずっと見ているからなので、紙で持っていたときの方がずっと死蔵していた。30年間死蔵していたものをようやくスキャンしてみたら「あ、こんなのあったんだ」ってなことがたくさん発見があるわけです。

たとえば、こんなことがあったという例なんですけれども、先日asahi.comというところで「浦安にある東京ベイNKホールが閉鎖へ」という記事があったんです。で、「あぁ閉鎖しちゃうんだ」というようなことを思っていて、何となくそれが記憶に残っていてスライドショーを見ていたら1988年ぐらいの「ぴあ」っていう情報誌なんですけれども、それが出てきて「ベイNKホールが完成」っていうのが出てきました。

その記憶に残っているところで似たものが出てくると記憶が結晶化するというか、再結晶するような感じで「あ!完成してそれで終わるんだ。15,6年だなぁ」みたいなことを思うわけですね。そうすると人生を再発見するきっかけになって、ベイNKホールがだから88年の7月にオープンして、それがきっかけになって検索してみるといろいろなものが出てきます。

たとえばこんな試合を見に行ったりとか、取材にいってそれが記事になったとか、その打ち上げのパーティだったとか、更に別の雑誌がスキャンしてあって「奇人グレイシー狩りへ」って戦いに行ったんですけれども、戦ってみたら負けて日本最弱になってごめんなさいするっていうようなのが、スキャンしてあるのでわりと直ぐに出てくるわけですね。

こういう風にデータが増えていっていろんなことがわかってくると「そのときそうだったんだ」というようなことを書きたくなってくるわけでそれを過去日記という形で書いています。過去日記を書いていくデータが非常に増えていって、記述が増えるし、単位が細かくなっていくし、時期同定されたイベントが増えていく。だから思い出だったら「あれはいつ頃だったよなぁ」ぐらいのことしかわからないんだけど、いろんなものを見ていくと「あれは何月何日の何時だった」というようなことわかるということがあります。それで過去と共鳴する現在未来。

そういうのをやっていてよく誤解されているんだけど、「君は昔のことばかりやってるんじゃないか」といわれるんだけれども全然そんなことはなくて、私はガンバロン研究家というようなことを冗談で言っているんですけれども、そこの掲示板にいろいろ集まって来るというようなことがあります。ガンバロンってこれで、もうちょっとあれになっちゃっていますが主演の俳優さんでした。1977年の4月3日かな?の新聞です。これですね。「新番組」というのがあったんですけれども、そのときの登場人物が、僕が今掲示板をやっていたら続々と来てくれて、チー子さんという人が「ガンバロンに出てました」っていって、あるいは主役の安藤さんも来てくださったりとかして。そうするとだんだんいろんなことで盛り上がって「じゃぁお芝居行きましょう」とか、まだ俳優さんやっているので「お芝居見に行きます」とかっていっていってみたりとか、サインをいただいたりとか。このサインは重要なんですけれども、なんでサインが重要かって、別にサインが重要なわけじゃないんだけど、これは紙じゃなくて、今使っていますけれどタブレットPCにいただいてきたんですよ。だから原本がないんですよ。原本がこれなんですよ。だからリアルはリアルみたいな感じがします。

そのあと非常に盛り上がって、若い頃の写真もじゃんじゃんくださるとかっていっていろいろいただいて、こないだこの人今「マツケンサンバ」に出ていて「マツケンサンバ」の最後のすごい、この間見てきたんですけれども楽屋に行って。着て頂いたりとかしました。はい。

それでいろいろ話が盛り上がって「じゃぁHPやりましょう」ということになって、今は安藤さんのHPを私がやっているんですけれども、この間40歳になったという話で「マツケン」出てますよという話ですね。お会いしている機会が非常に多いのでたくさん写真を撮ってます。[65'49]去年が僕が年間一日平均120枚写真を撮っていたんですけれども、今年の9月までで4万枚写真を撮っているので平均すると一日180枚写真を撮ってることになるらしいです。どういうものを撮っているかというとこういうものを撮っていて、たくさんとっているわけです。このとき実は、ここに4×5だから20枚ですか。これの5倍くらい、100枚くらいバーッととっていてその中から選んだものです。

なんでこういうのがあるのかなぁと思ったら、ずーっと昔にたぶんこういうのの記憶が残っていて「あ、これが残っていたから同じことやりたいんだなぁ」ということがわかるような気がします。

こういう風に過去と現在と未来というのは密接につながっているので、過去のことやってる、記憶のことやってるというのは別に昔のことだけやっているというわけではないのではないかなと思います。もう一つの例として、イラスト集の話をしたいんですけれども。そう。やっぱり大事なものは捨てられないので、スキャンしたものの大半は廃棄してしまっているんですけれども、どうしてもほしいものは紙として残してあります。どうやって残しているかというと額に入れて残してあったりします。

それを額に入れて飾っておいてスライドショーをしていたらオリジナルが出てきたって、出典が記録されていなかったという例なんですが。これがイラスト集に入っていたイラストなんですね。このイラストには初出が書いてなかったんですよ。だからこれがどこのイラストなのか全然わからなかったんです。ところがスライドショーをしていたらそれの出典が出てきたということがあります。で「あ、なんだ。じゃぁこれじゃん」というようなことがわかって、それが部屋には額入りで飾ってあったので、額入りで飾ってあったところでスライドショーしていたら、ちょうどそのコミックの雑誌の表紙が出てきたというのはありますね。[67'37]更に更にスライドショーをしていたら、これは同じ作家の初期短編の中にあった絵なんですけれども「構図一緒じゃん」、月も一緒で女の子と男の子っていうのが出てきてびっくりしました。だからこれは気づかなかったんですよ。30年気づかなかったことにスライドショーしてみたら気づいたっていうことであります。

更につい一昨日かな? 某メーカーさんがうちに来てくださっていてデモしていたんです。大体同じようなデモしていたんですけれども、そうしたらこれがそのとき気づいて「え!これも同じじゃん」と思って、月だけが同じなんですけれども同じ構図で出てくるというようなものがあります。更に見ていくともう一個同じのがあって「あ、この人にとって月はこういう、本当の月じゃなくてなんか月食したような月がモチーフとしてあるんだなぁ」というようなことを思って、非常にその作家に対して深い理解をしたような気がします。

こういう風に思い出を見ていくということは非常に重要で、昔映画で「悲しい思い出も辛かったこともいつか懐かしくなるときが来るわ」というようなことをいっていたんですけれども、そのときが来たのかなぁというようなことを思ったりします。昔、若い人は「そんなの年取ってから後悔すればいいさ」とかっていっていたんですけれども、いい加減年取ってくると後悔し始めているのかなにかしてるんじゃないかというようなことを思いますね。で、こんなものが出てきて、当然これも全部スキャンしてあるのでそれを言ったせりふが出てくるんですよ。シナリオも入っているので。これはシナリオの第1稿と完成稿があって、ちょっとせりふが変わってるなぁということがわかったりとかいろんなことがあります。

こういう風に取材もしたこともあるのでそれも瞬間的に出てくるわけです。同じ人間がやる中でもう一つ忘れられないキーワードがあって、それが今回のタイトルの一つというか、タイトル「外在化した記憶の形、記憶する住宅が作るこころ」というようなことをいっているんだけど、心をどういう風にコンピュータの中に入れていくか、機械の中に入れていくかというのは一つこれなのかなぁと。だから一つが機械になる。親友の乗っている船の心になる[69'55]というようなことをいっているんですけれども、その例がこれです。

船長さんがこの方で、この船長はなかなかアヴァンギャルドな方で船の上で、宇宙空間なのに船の上で船を操作しているんですよ。で、ここでこうやって船を操作しているんですけど、30年間ずーっと疑問だったのはここで操作していて前にこんなにいろいろあって邪魔じゃないのかなということをずっと思っていました。なんであんな後の方でやるのか。船だったら前の方で操縦していればいいじゃないということをずっと思っていたんですけれども、先日アルカディア号をCGで描いている方と知り合いになって、これは松本零士さんの関連の作家さんなんですけれども、CGで描いている人に「昔から気になっていたんだ」と。あそこに立っているときのハーロックの視点から見た空間はどんな空間なんだというのを、これ3Dで描かれていた方なので「あ、できますよ」とかいって作ってくれたんですよ。

で、これがハーロック目線のあれで全然邪魔じゃないということがわかりまして30年間の悩みは解決しました。なるほど、この船400キロメートルかな?でかい船なんです。だから200キロ先とかなので。違うや。200メートルですね。200メートル先にビルが建っていてもあまり邪魔じゃないというようなことで「なんだ、そういうことだったんだ」というようなのが解決しました。これが操縦しているところの付近を別の角度から見たところで、こんな風になっているのかなぁということでかなり視界は広いということがわかりました。これは非常に面白かったですね。

[安村] でも真っ正面見れないんですよね。

[美崎] [笑]真正面はちょっと見られないですけどね。ちなみにこれは背景にして自分の机の前に入れてみると、なんか非常に。革張りのキーボードにしているんですけれども非常に盛り上がって、何が盛り上がっているのかよくわからないんですが、盛り上がってます。

で、人生を蓄えるというのは何をやっているのかというとこういうことをやっているわけで、書いたものはノートとか日記とか、脇の方に出てきますけれども、その他コンピュータを使い始めてからはテキストファイルとかメールとか原稿とかは全部テキストがあります。その他見たもの全てということをいっていて、本、雑誌、チラシ、教科書、ノート全部ですね。あと体験したことというのは、写真を非常にいっぱい撮っているので、それを全部残しているということがあります。それをやっぱり体系化してみたいということを、文脈[72'30]を作り出したい、ハイパーテキスト的なことで、必要なときに必要なものが出てくるようにしたいなぁと感じています。

ハイパーテキストによる体系化についてちょっとお話ししたいんですけれども、先ほど野島さんの方からミルグラムという話が出たんですけれども、ミルグラムが「6次の隔たり」というようなことをいっています。あるいは最近 mixiとか Orkut とかGreeとか呼ばれているようなソーシャル・ネットワーキングで、友達の友達というような関係性をつないでいくと案外いろんなものが密接につながっていくということが注目されているかと思うんですけれども、僕はハイパーテキスト、これは BTRON というものを使っているんですけれども、それを15年ぐらい使っているんです。

ある時急に使いやすくなったんですよ。ある時急に使いやすくなったというのは94年ぐらいにいったら「オカルトだ」っていわれて。「そういうこといっているからおまえはダメなんだ」って。「もうちょっと説明しろよ」っていわれたんですけど説明できなくて、でもある時急に使いやすくなったっていうのは実感したんです。何でかというのをやっとそれから10年かかって多少理論化して説明できるようになったんですけれども、要するに芋づる式にハイパーテキストってつながってくるので、関係が密になれば密になるほど使いやすくなるんですよ。

ある閾値がきっとあって、その閾値を超えると急速に使いやすくなるということが感じられます。そういうのをケヴィン・ベーコン・ゲームみたいなものもできたりとか、あとエルディシュという話が出てきたりするんですけれども。エルディシュというのは数学者なんですけれども、485人の共著者[74'02]を持っているという数学者がいて、いろんなのが論文をたくさん書いているんですね。論文をエルディシュと一緒に書いた人がエルディシュ数1だ。共著者と挙著者した人がエルディシュ数2だという風にやっていくと、数学の論文を書いている人の中で最大のエルディシュ値は7だって。だから7階層をたどるとエルディシュまでたどり着けるくらい今密な関係にあるということがいわれています。

実際これは私が使っているハイパーテキストの中身なんですけれども、ファイル数が今3万2千ファイルぐらいあります。それに対してリンク数。ハイパーテキストをリンキングしている部分に関していうと、その約10倍。これはちょっと古いデータなので、今だと30万を超えているので今約10倍くらいのリンクがあるとお考え頂ければいいと思います。これも見ていただけておわかりの通り4階層で95%のファイルにアクセスできているという計算になるんですね。これは使いやすいですよ、きっと。だからそこにあるという感じがこんな感じで言えると思います。

普通だから、まぁ普通の話はいいか。それの実例の簡単な図式なんですけれども、たとえば普通のツリー方のファイル構造で考えると、ルートからホビーにムービーがあってアクターがいてブラッド・ピットとかっていう風に行くと、ブラッド・ピットというのがルートからホビー、ムービー、アクター、ブラッド・ピットって4階層なんですね。でもハイパーテキストだったら別のところからリンクできるので、ルートにたとえばフェイヴァリッツっていう項目を作ってそこからブラッド・ピットをリンクしようというと、ブラッド・ピットさっき4階層だったんだけれど、それが2階層に減るんですよ。そうするとアクセスしやすくなる。

更にブラッド・ピットとトム・クルーズっていうのは映画で共演していて、「インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア」って映画で共演しているんですけれどもそこをリンクしておくと、ブラッド・ピットをリンクしただけでトム・クルーズの階層も1階層あがって更に階層が減っていくということがあるんですね。

こういうのが一つ一つが細かい事例でなっていくと階層がどんどんどんどん浅くなっていくということが言えると思います。これは体系化したわけですね。

ではどういう文脈を見つけていくかということが重要になっていくわけですけれども、たとえば去年の今日ということを探していくことは非常にわかりやすいリンクの例だと思います。あともう一つは去年の1ヶ月後というのもわかりやすいんじゃないかなと思います。去年の今日って大体に多様なことをやっていることが多くて、天気も同じだったりとか、あとなにか支払の時期だったりとかいろんなことがあるんですけれども、去年の1ヶ月後って、今年の1ヶ月後もたぶん同じことが来るとすると未来予測ができるんですよ。そういうことができるのではないかなと思っています。

更にやっていくとn年前の同じ月あるいは同じ日ということで、さっき過去の日記を書いているというのがこれの例なんですけれども、ものすごく昔の過去をいっぱい書いています。これ去年の10月からざーっと行きますけれど、去年の10月の23日は「晴れ・曇り・雨」でなんかいろいろ掃除機をしたりとか、仮面ライダーのアイコン見つけたりとか、パケル君を思い出したとか、野島さんにトクトクとメールしたんですけどそんなことをやっていたりしました。それで仮面ライダーといえばやっぱりこれで、これテレビをそのままデジカメで撮っちゃったんですけど、この方がアクセスが楽だなぁと思うんですね。でこれを見たときに一番感じたのは「ここ見たことあるじゃん」と思って、「あ、このマンション見たことある」というのでその実例の場所に行ってみたとか。現実とあれがリンクしているわけですね。さっきの角度だとこれで「あ、そうか。こういう文字だよなぁ」ということがわかります。あと去年の10月というと「記録と表現」というシンポジウムが開かれていて、それに出ていたなぁということを思い出したりとか。「去年、そう。キル・ビルですよ」と思って、今「キル・ビル2」が公開されましたけどこんなのがあったりとか。去年こんなこともやっていて、遊びに行っていたんですけど、やったりとかですね。で2002年に行くとなんかいろいろやっていて。なんかやってますね、はい。

2002年はこんな写真を撮っていたりしたみたいです。このころは外に行くのが凝っていたのかも。あとこんなものをやっていたりとか。記録する住宅って、その住宅の中にいろいろなものを入れていくときにやっぱりものはなくしたいけど情報は得たいということで、たとえばこのキーボードみたいなものも重要なんじゃないかなぁということを取材していたりしました。あと空を見ていたりとか。夕方の空ってピンク色できれいだなぁと思っていたときですね。2001年になるとこんな感じで、「DVDが出た」っていって見るとそのチラシも当然直ぐ出てくる。こんなドラマも見ていて、あと2001年の10月っていうとちょうど9・11(ナイン・イレブン)[79'13]があった直後だったので空爆が始まった時期だったりとか、特定されたとかしないとかになっていたりとか。あと秋だったのでスィートポテトを作って食べていました。あとマルチ・ディスプレイってことをずっとやってきていて机自体もこれ何度も何度も作り替えているんですけれども、暫定的に床に置いてあった時期であったりもしました。先ほど机の周りをずっと撮っていらっしゃるという話があったんですけれども、私もずっと撮っています。あと秋なのでドングリだなぁと思って、そういえば今年ドングリでなんか栗で、栗じゃない、クマだ。クマで盛り上がってるなぁと思ったりとか。子供の時の笛が出てきたりとか。あと定期的にこのキーボードがよく壊れるので、これ非常に打鍵が多いんです。よく見たら過去日記に書いているので、キースイッチを外してメンテナンスをしていたりもします。キースイッチ。全然余談で申し訳ないんですけど3000個ぐらい持っているんですね。いくら壊れても平気なので定期的に取り替えてはメンテナンスしているという感じでやっていたりします。メンテナンスしているところの写真が写っていたりとか。あとこの年は、家から花火が見えるんですけど、花火が見えました。あとなんか空を見ていたりとか。あとこれ新宿だったのかな。見たりとか。アラン・ケイ、インタビューとか。やったりとか。さっきのロボットのヤツ、あれロボットに遊びに行ったのは2002年で、その一年前の10月に新聞で見ていたんですよ。だから新聞で見て行きたいなぁと思って、1年経ってようやく行ったということが今のでわかったりするわけです。こんなのも貼って遊んでいたりとか。

本を読んでいて、森絵都という人の「この世には神も仏もない、ただうさんくさい亭主がいるだけだ」そうだなぁとか。「明日というのは今日の続きじゃない」っていうと「あぁなるほど、そうかもな」といろんなことを思ったりしました。あと取材でシーテックっていうのがいっていて、2001年に初めてカメラ付き携帯が出たということがこれを見るとわかるんですね。だからまだ3年ぐらいしか経ってないということがわかります。

で、シェイクスピアがいっぱいあるのはシェイクスピアの本を書いていたことがあるのでシェイクスピアがあったりとか、あと本が出てきたりとか。作家の本が出てきたりとか。漫画が出てきたりとか。これは重要なんですけど「あずみの」15巻で「デビルマン・レディー」が6巻です。

その前年98年になると同じ10月にお茶の本を書いていました。原寄稿があってこれが4週に減って、だから1年経つと減るわけですね。「善戦という名の完敗」[82'08]この人も負けて、このころの画面はこんな感じで。そう、あずみがさっきが10何巻?

[安村] 15。

[美崎] 15で、これがだから1年戻ると12巻に減るわけですよ。そうすると翌年になると18巻が出るだろうとかいうことが未来予測につながっていくわけですね。

で、97年の10月になると、さっきの電動収納はこのときに作りましたね。ナショナルのヤツです。97年にもエリクソンが試合をしていてあっさり勝ってたりとか。「デビルマン・レディ」が2巻に減ったりとか。

で、96年の10月になると、すみません、アヴァンギャルドだと思うんですけど、住宅を買ったときに銀行でお金を借りたんですよ。こんなにたくさんのお金を目にすることはたぶん一生ないだろうということで興奮して撮った写真です。で、10月ってなんか格闘技系が多くてこんなイベントがあったりとかというような感じですね。

95年の10月があって、このときも格闘技のイベントがあって、で、92年。ちょっととんだりするのは全部がなかったりするようなときもあるわけですけれども。まぁ本を読んでいて、それもスキャンしてあって、これニューヨークの話なんですよ。アビントン・スクェアで雪にぬれながらバスを待っていてっていって。で、タグ付けをどうするかという話がさっき重要な話だって出ていたけど、この本が僕はどうしてもすごく好きであまりにも好きなので全部打ちました。だからあらゆる文字が検索できるようになっています。更にその地図を貼ってあったりとかしています。更にこの中で「レイはキルヒナーの描く狂った少女に見えた」という文章があって、文章を読んでいたときは「ふぅん」と思っただけなんだけど、だから僕は別に中で閉じているわけではなくて「キルヒナーって誰だろう?」って思ってインターネットで検索してみたんですよ。そうしたらキルヒナーの狂った少女の絵ってこれで「なるほど、こういうのに似ていたのか」ってなことがわかった。

で、90年の10月を見ると AWK[84'31]の本をこのころ勉強していて、だから僕AWKと sedは使えるんですけどそれ以降は全然ダメなんですよ。AWKの本やっていました。あとこれはわかる人はわかりますけど、ウィザードリーっていうダンジョン&マジックっていうジャンルのヤツがあって一歩歩くごとに壁を触って見て地図を書くということをやっていたりしました。

で、86年ぐらいにちょっととびますが、86年ぐらいだと「認識とコード」とかいうのを書いていた。昔お茶を僕はやっていて立て看を書いたときに、これは簡単な暗号なんですけど書いてみたとかということをやっていたりしました。このころ火の鳥みたいなのを読んでいたりとか。さっきチケットがどうとかっていう話も出たんですけど、チケットも残っていてこれをスキャンしてあります。これの作家さんが飴屋法水という方なんですけど、この方の話が最近ミクシーとかで盛り上がっていて,そうしたら「レントゲニア」という展示会を今年こないだやるよっていわれて行ってきて、ワルプルギスっていう演劇の中に出てきた椅子が展示されていて写真を撮ってきたという話です。

で、85年ぐらいだとこんな感じで、阪神が優勝したのが85年ですね。このころから、僕はデジタルになってからこういうことを始めたわけではなくて、一日1ファイルというか、一日1枚でずっと日記を書いてきたんですよ。そのころの日記で「いつどこで何をしたか」ということがあります。この辺にあったことがあってなにかしたということが書いてあるんですけど。ある漫画のコンテストがあって、その漫画に出てくる家の見取り図を書きなさいっていうのがあったんですよ。その漫画から全部の絵のシーンを抜き出して見取り図を書いたというヤツで、そのコンテストで僕は98点を取って優勝しました。昔は手で書き写していたんだけど、今だったらこれは、この漫画ですが、このままスキャンしたのを切り貼りしてやるだろうなぁという風に思います。

で、84年ぐらいでアイドルのサイン会に行ってみたりとか、落書きしてみたりとか。その前年83年ぐらいでなんかとか。83年ぐらいでは本を読んでいたりとか。82年ぐらいで、だからずっと好きだとかですね。81年。81年に買っていた雑誌ですね。80年でこんな感じ。そう、これ80年の新聞ですけれども、「白黒の液晶テレビが実用化へそろそろなるそうです」というような新聞記事を見て「あ!なるほどな!」という感じになるわけですね。

これが80年の10月の22日の金曜日ですけれども、長嶋監督が辞任して。辞任してもう1回やってそれで長島ジャパンとかということになるのかなぁということを感じたりとか。これがその前年?台風20号が直撃して、ちょうどその一昨日ぐらいの台風が最悪で、台風20号以来だということの記録が出てきたわけですけれども、そういうのが出てきたりします。77年はこれで、このときに「人間の証明」の映画があるわけです。これが新聞ですけれども、それがついこないだまでやっていた「人間の証明」とリンクがつながっていくということがあります。この年、そう。この年77年にマルチ・ウィンドウ。今だったらマルチ・ウィンドウっていうと思うんですけれども、当時はデュアル・ビジョンと呼んだような、シャープさんが作られた2画面テレビみたいなことがあって、やっぱり2画面とかいうのがずっとあるんだしずっとあるんだろうなと。あとたとえばこの辺にも出てきて、雑誌復刻のマイクロかではがき大に96ページ収録するとか。だから当時こういう記事があると僕はそれはすごくいいなぁと思って、ずっとワクワクしていたんですけれども。だからシィー・ディー・アイの加藤さんのところの疋田さんという方が昔ものの研究をやられていて、家にあるものを全部カウントしたという記事が新聞にあるのを見ると、もうなんかワクワクしてたまらなかったわけです。そういう記憶があります。

[89'12]で、76年の10月なんですけれども、このときコカ・コーラの影響でヨーヨーが流行っていたんですよ。覚えていらっしゃる方も多いかと思うんですけれども。ちょっと今日はヨーヨー持ってきて実演したいと思います。明かりをつけて頂ければと思うんですけれども。[89'31]やっぱり思い出というのはリアルに体験していくともっとリアルに感じると思っていて、昔犬の散歩ができたんですよ。で、昨日東急ハンズまで行って買ってきたんですが、犬の散歩は、非常に昔のヨーヨーに比べて全然出来がよくなっていて、非常に簡単にできるようになってます。昔は犬の散歩しかできなくてコンテストではビリだったんですけど、とりあえずこれだったら今誰がやってもできるなぁと思います。昔はできなかった、こういうブランコを作るというのがやっぱりできないんですけど、ぶれちゃうんですよね。難しいのはちょっと難しいなと思いますね。あと最近の技があって、昨日練習をちょっとだけしてきたんですけど。プレゼンを作りながら練習してきたんですが。あぁ!あ!ちょっと難しいです。[悪戦苦闘しているらしい]なんだ。もう1回やってダメだったらダメですね。あぁ、ダメだ!これで紐の上にのせるっていう技が最近あるそうなんですよ。ちょっと練習不足で申し訳ないですが、そういうのが昔の思い出になっていたわけです。[拍手][91'08]それで、そのとき僕が昔学んだのが、こういうのはラッセル・ヨーヨーといってわっかにヨーヨーがはめてあるヨーヨーなんですけれども、1回投げおろすたびに1回よりが深くなっていくんです。だから何回もやっているとだんだんよれて来ちゃうので下で止まらなくなっちゃうんですね、きつくなっちゃって。たまに回転してもどしてやるということが必要なんですけれども、そういうのを体験として知っていくとケーブルというのはよれるものなんだということを学ぶことができて、だんだん今ケーブルをたくさん使って日常の住宅ってケーブルがたぶん400メートルぐらい入っているんですけれども、それをやるときにまずよれをなおしたりするということを実感としてやって「あ、それってヨーヨーのあのときやったのと同じなんだなぁ」ということを感じたりすることがあります。

このヨーヨーが1976年か75年かっていうと頃が実は今特定できてなくて、というのはコカ・コーラが販売戦略上やっていて日本全国にやったのでだんだん広まったらしいんですよ。それで住んでいた地方によって75年の人たちと76年の人たちがいるみたいで、インターネット上で記述を見てもどっちかわからないんですね。コカ・コーラはまだこういう情報を出してないので、そのうちコカ・コーラに取材に行って「あれは75年ですか?76年ですか?」というのを明らかにしたいなと思っていたりします。ラッセル・ヨーヨーです。はい。

こういう風に前の年前の年、同じ日同じ月のずっとっていう風に戻っていくだけでも非常に発見があるんですけれども、更に発見した文脈が、1ヶ月前の今日と2ヶ月前の今日というのが非常にトピックになるんじゃないかなと思います。

「人の噂も75日」というんですけれども、本当に2ヶ月経つとものはほとんど覚えてないです。で、1ヶ月前にタイムマシーンで戻ってみたいと思います。

1ヶ月前に戻るとこんなことがありました。「人生丸ごとデジタル化」。朝日新聞の1面トップを飾ったという、本当に1面トップなのかちょっとわからないですけれども。こんな記事が朝日新聞に掲載して頂いて、私が出ています。ちょうど1ヶ月くらい前ですね。あと同じ1ヶ月前にここの太陽の塔も出ていて両目が点灯したとかするとかしないとかという話が出ています。

[93'55]やっぱり太陽の塔といえばという話で、さっき実は収蔵庫見ていたら、岡本太郎さんがこれを見て作ったのかな?これにインスピレーションをえたのかな?というものがあって、まもなく公開とかってお話をされていました。やっぱりでもあれってどう見ても怪獣にしか見えないんですけど。インターネットで最近見つけて、両目が光ったらやっぱりこうだよなという感じのお笑いネタを作ってみました。1ヶ月前だと何となく覚えているような微妙な感じなんですけど、2ヶ月前だとほとんど忘れていると思います。

2ヶ月前に何があったか。これは個人的な話なんですけど、さっき写真がいっぱいあったのは、実は北海道を1週間ぐらい自転車で旅行していたんですよ。大沼簡易保険雇用センターに8月の23日に行ってます。自転車でずっと旅行していたんですけど、この大沼簡保のセンターが非常に重要で、なんと簡保施設2施設廃止というのがついこないだ10月の16日かな?の記事に載っていて「あ、こないだ行ったとこじゃん」ということを思いました。

採算割れが続いている大沼。うん、それは続いているよなと思って。食事がひどい。あれはもう潰れるからいいんだけど、食事がひどくて、共同アンテナなんだけどテレビが映らなくて、高くて。自転車でちょっとあれだったので、マッサージを頼んだらマッサージが下手だったって、何もいいところなかった。うん、それは潰れるよなぁというのを非常に実感を持って思いました。

自転車旅行だったので、旅行の新聞が全部たまって、あと自転車でものがもてなかったので行く先々で郵便でものを送り続けた。で、自宅に帰ってきたらそれが地層のように「これは何日の着ていた服とその日に読み終わった本」みたいなのがなっていたという状態です。

あと、2ヶ月前オスロでムンクの叫びが強奪されたことなんて皆さんもう忘れていらっしゃるんじゃないかと思いますけど、こんなことがありました。

これはなかなか面白いなと思ったのは、ムンクの叫びは4種類あるという話があるんですね。先ほど賞状は非常にノスタルジックだって、大事なので保存は実物の方がいいっていう話があって、あと僕はスキャンでいろいろなもの、イラストとかあるいは実物に限りなく近いようなものをやっているんだけど、ムンクの叫びだって4種類もあるんです。4枚も。

だから世の中にコピーでないものはもしかしてないのかもしれないということを、これを読んで僕は感じました。オリジナルはなにかというのが非常に揺らいでるなぁと思いました。

こういう風に過去と未来を移動していると、これは漱石の「夢十夜」ですけれども、夢十夜で「100年経ってしまった」っていうような話が第1夜にあるんですけれども、そんなことに近いことを感じていたりとか。これは第3夜で、子供を負ぶっていて暗闇を歩いていてだんだんその子供が重くなってくる。実は「文化5年辰年におまえはオレを殺したろう」ってその赤ん坊がだんだん重くなっていってそういうんですね。で「あ、そうだ。オレはその文化3年に殺したんだ」ってなことを思うという話があるんですけれども、こういう風に時間と空間とか非常に揺らいでいるんじゃないかなぁということを感じます。漱石の「夢十夜」ってずっと昔から好きだったんだけど、なんで好きだったのかっていうと、やっぱり時間と空間が揺らいでいるから好きだったんだなぁと最近思います。

そういう風に人生を記録できるコンピュータ・システムのちょっと一環みたいなことを今見て頂いたり、説明しているんですけども、重要なのはやっぱり文脈情報、コンテキスト・アウェアネスがあったりとか。見るという点でいうと、たとえばカレンダーと一体化しているというようなことであったりとか。あと壁掛けのカレンダーみたいなものが直接インタフェースになっているということであったりとか。絵画みたいなものをインタフェースにしていったらどうなんだろうかとか、そんなことを感じています。

[98'07]記憶する住宅の目的と手法なんですけれども、全体のシーンみたいな感じですけれども、目的としては記憶を記録して、そこだけでは半分なんですけれども、それを甦られて交差するというところが非常に重要です。甦らせるのはスライドショーで見ているということです。基本的には体験の全てをできるだけハイクオリティな形で記録する。体験の全てをハイクオリティで一覧する、閲覧する。それの結果その思い出が甦って来るというのが記憶する住宅の役割です。

今現時点での到達点みたいなことなんですけれども、結論としては記憶が拡張されるということを非常に感じていて、過去探求作業が爆発的に増えたということを感じています。ものからデータへの変換が進んでいるということを感じている。先ほども家にものがある・ないという話があったんですけれども、それが実施に進んでいる例をご覧頂けると思います。最初は本がとにかくいっぱいあったんですが、これが逆側のショットですけれども、これがだんだん少し減っていって、更に減っていって、上の方がだんだん空間が空いてきたのがおわかり頂けたと思います。更にすぱっと空いてしまって、最後には人形ぐらいしか飾るものがない。だからものからデータへ行くときに紙はやっぱり取り込みやすいんですよ。それに比べて立体物って非常に難しいので立体物をわざわざ取り込む必要はないんじゃないかなぁと感じていて、立体物に関しては飾ってます。だから空間が空いた分飾るスペースができたということがあります。

一つの結論として、今とは一体いつなのかということを僕はよくわからなくなってきたということをこないだいっていて、前回の第1回のこれにその話をして頂いたようでありますけれども、ものからデータへ進んでいって過去のことをずっと考えるようになっていって、それで「それってあれだよ。それってあれだよ」というようなことがいろいろつながっていって、そうすると今に対する意識がすごく拡張されているような感じがしています。[100'31]普通の「今」っていうのは、きっと皆さんが「今」っていっている今というのは2004年10月23日の14時45分のことをたぶん「今」っていっていると思うんですけれども、僕にとって全てのものがリアルになっていてたちどころに出てきてそれを追体験できるようなことを本当にやっていると、なんとなく全部が今のような気がしてくるんですよ。

それをなんと表現したらよいのかわからなくて、ほかにやっている人がいないのでうまく説明しにくいし、何とも言えないんだけど、今というものがすごく揺らいでいるような気がしています。全部がリアルに思い出せるというか、「あ、これはあれだよ。パリ行ったときだよ」とか、見れば見るほどいろんなことが出てくるんですね。それに対していくらでもそのときの雰囲気を伝えることができたりとか、そういうことができるようになっていて、時間って本当にあるのかなぁというような感じもあったりということを感じています。ここまでが前半で、続いて後半に行きたいと思います。

[101'50]今までがわりと広くプレゼンをしてきたことなんですけれども、それによって誤解を受けたりとか質問をされたりとか、あとこれの直前にこれの資料をいただいて質問とかいろいろいただいていたのでそれに答えるような話をしていこうかなと思っております。

まず、記憶する住宅だけではないんですけれども、全体的にデジタル・アーカイブという言葉が非常に普及し始めているのではないかなという気がします。デジタル・アーカイブ自体はデジタルアーカイブ推進協議会というのが1996年に博物館、美術館、図書館、大学、自治体等を中心に発足していてもう9年目に入っています。

「デジタルアーカイブ白書」という白書を出していて、読ませて頂くとやっぱり同じことをやっていて同じようなところで躓いているというか、問題意識を持っているというのはやっぱり予算がないというところと、どういう形でデータをためていったらよいのかみたいなところで悩んでいたりとかということですね。デジタルアーカイブ白書を見て頂くと、今年のヤツが出たばかりなので、これだと思うんですけれども、非常にやっぱり悩んでいる。

あと、大事なのは著作権をどうクリアしていくかという問題が非常に重要な問題として取り上げられています。

更に今年に入ってつい先ほどですけれども、個人というか社会もアーカイヴに対して動き始めているという動きがあります。

富士写真フイルムというところがフォト・マイニング・サービスというサービスを始めていて、写真とかアルバムをパックして送ると全部スキャンしてデータとしてもどしてくれてスライドショーで見られるようになってくれるというサービスなんですけれども、34650円で1800枚かな?ぐらいはいるような1パッケージになって商品化されています。

ちなみにこれを計算してみたら、1枚スキャンが19円ぐらいでやっていて「なるほど、そうか」みたいなところですね。やっぱりスキャンって非常に手作業な部分があるのでそこに人件費がかかっているということが言えますけれども、こういうのを本当にサービスとしてやり始めている会社も出てきているというのがあります。

これがその富士フイルムのフォト・マイニング・サービスのHPですけれども、こんな感じですね。モニターとしてやった人は「よかった」というようなことをいっているそうです。

更にアーカイヴということ自体で、つい先ほどこれ面白いなと思った記事があって、カメラマンの石川さんという方が日本を縦断して半年間写真を撮った。11000枚撮ったっていうんですね。この方もちろんカメラマンなのでフィルムのカメラで36枚撮りのヤツで330本撮ったという話なんですけれども、1日に66.6枚。60枚くらいなんですね。

やっぱりランニング・コストという点でいうと、僕がデジタル・カメラを使っているといったんですけれどもこの3倍くらい撮っているっていったんですよ。

もちろん技術がうまい・下手というのはあるので、僕が撮った写真はそちらにいっぱい出てきていて「こいつあんまりうまくないよな」というのは当然たくさん出てくると思うんですけれども、その技術のうまい・下手はさておきたくさんあれば選ぶことができるということは言えると思います。それによって相対的に写真が下手な素人でもよい写真を選び抜いていくということが文化としてできているんじゃないかなということを感じたりしました。[105'45]これもその石川さんの写真ですけれども、写真の展示会が今銀座の松坂屋でやっているそうです。

それで量について考えてみたんですけれども、72万枚という量を普通話すとそれは多いと受け取られることが非常に多いんですけれども、それはどうも違うような気もするんです。72枚がどういう量なのかが実はよく自分では分析できていなくて、なぜかというと分析するツールがないからなんですけれども。詳細は分析中で、何がわかったかというと分析のためのツールがないと分析できないということがわかりました。ただ見ているだけでは分析にならないわけですね。だから全部これを見て、さっき小学校のノートとか出ていたんですけど、全部jpegファイルなんですよ、ぶっちゃけていうと。そうすると写真もスキャンも区別がないんですね。そうすると区別することができないので、した時点でもう区別がない。意識としては区別はないんだけど、でも写真は何枚ですか?といわれたときに非常に困るんですよ。何枚かわからないので。で、そういうツールが必要だということがわかりました。

あと、これ重要なんですけど、じゃぁ分析ツールがないから仕方なくてスライドショーしているわけではないということをご理解頂ければと思います。スライドショーをして、見て、追体験するのが重要でスライドショーしているので。あるいはハイクオリティで見ることが重要で、それを能動的になにか作業すると大変なので、受動的にただ見ている方が楽だということでスライドショーしているのであって、分析ツールどうこうというよりはそれを見ていること自体が一義的に重要なのではないかなと感じています。

じゃぁこういうモチベーションはどこから出て来たんだっていわれて、僕は自己紹介もあまりうまくないんですけれどもモチベーションを説明するのも難しくて、ずっと昔からやっているんですよ。紙の時からもやっているし、何一つものを捨てたことがないという方々がいらっしゃるので非常に気持は汲みして頂けると思うんですけれども、昔からやっていることなのでモチベーションがどこから出てきたのかよくわかってないんですね。

たとえば漫画でこんなシーンがあって「望めばいつでも帰ってこれる1981年12月の私のいたこの家へ」とかっていうのを読んだときに、いつでも過去に戻れるというのは非常に好きだなぁと感じたことがあって、それを読んだときからそういう戻るということが好きだったということが思い出されます。

これも実際実例があるんですけれども、主人公とヒロインがいて、ヒロインは家出してきた子なので親元に戻るって話なんです。で「行きなよ」っていって「俺たちはいつでも会えるからさ」っていうんです。「手紙書くよ」「電話するよ」っていって去っていくわけです。で、行っちゃって、更にいろんな仲間がいたんだけれどもその人達も一人一人あちこちへ散っていくという話なんです。それでそのヒロインが手紙を書いてきて「ニューヨークは寒くて、今度会いに行くね」っていう話をしていて、その手紙を読んでいて後悔はしてなくて「今度会いに行くよ」っていう。で、その手紙をとってきて、そうしたら「オレの彼女もこっちへ来るよ」ってルシフィンっていうのも来るって。みんな来るっていって、で、その主人公が「戻ってこれるのだ」というところを感慨深くなっていて、「望めばいつでも帰ってこれる」といって自分も巣立っていくという物語なんです。

これを読んだときに「そうだよな。戻ってこれるということがすごく安心感をもたらすんだなぁ」と感じた記憶があります。先ほど今意識が拡大したという話をしたんですけれども、それは説明上なんとなくそういう説明をしただけで、本当にそうかというのが自分でもよくわかってないんですよ。果たして過去を思い出すことが本当に過去に戻ることなのかっていうのはどうもやっぱり違うなという気もしています。「今だと感じる」というのはキーワードなんですけど、正しいのかどうかはちょっと揺らいでいます。正しいなぁという部分もあるし、ほかの表現はなかなか見つけにくいんだけれどもなんか微妙に違うような気もしていて、70%ぐらいはあっているけど30%ぐらいはやっぱり違うような気もしています。なんかその辺の表現を議論していく中で見つけていけたらなぁと感じています。

ノスタルジーという話が先ほどあって、懐かしさという感じなんですけれども、記憶する住宅をやって一番最初に感じたことは懐かしくなくなっちゃったということなんです。これは本当にショックでした。だからやめようかというか失敗したと思ったぐらいショックだったんですよ。[110'55]だってノスタルジックで戻っていける思い出があると思っていたのが、それを全部リアルに見ちゃったおかげで全然懐かしくなくてすごく手あかが付いていて、なんでもないじゃん、屁みたいなもんじゃんという風に感じてしまってやめればよかったと思った時期があるんですよ。

かなり失意の時期があって、「でも」と思ってそのあと「じゃぁ全部今だ」という風にいってみたということなんだけど。だから全部がリアルに思えて、全部がライヴな感じで、全部の失意の感じとか全部のウキウキした感じとかを全部今だ、ノスタルジックじゃなくて、フィルターがなくてリアルに体験できるということはそれは今だということなのかなぁということで「全部は今だ」ということをいったんです。

ノスタルジーに対して過剰に期待感を持っている人に、こういうことをやると「ノスタルジーなくなっちゃった」っていわれて暴れられる可能性があるんですよ。だからすごくちょっと。たとえば商業化したときに「おまえがやったおかげで懐かしくなくなっちゃった。どうしてくれる」っていわれる可能性はあるなぁということは感じました。

あと先ほどの量の話なんですけれども、分析はできないんですけれども、72万枚でも飽きるんですよ。2秒に1枚スライドショーしてるって話をしたんだけれども、そうすると50日ぐらいで一巡するんですね。50日といっても大したことない。大したことあるのかないのか微妙なんだけれども、要するにもう見たものは何度も何度も見ちゃうので、手あかが付いた状態になっちゃってもう飽き飽きしているっていう感じがあります。今はちょっとスライドショーは飽きたなぁという感じがあったり、あと今分析してくれっていわれてめくっているんですけれど、一個一個めくって「これはなんだ」「なんだ」ってやっていると本当に一個一個詳細に見ちゃってますますノスタルジーがなくなってしまうということを感じています。

それで何をしているかというと、今月平均2万枚ぐらいスキャンが戻ってきているんですけれども、その2万枚が待ち遠しくて待ち遠しくて、早くなにか新しい刺激がほしいわけです。その新しい刺激というのも、別にその2万枚じゃなくて新しい写真を撮ったり、どこかに出かけていったりということでも当然いいんですけれども、新しい体験をしないと耐えられないということを感じています。だからやっぱり人は新しいことが好きなんだなぁということを感じます。

あと、こういうことをやっている人たちばっかりきっと集まっているということをさっき自己紹介を聞いていて思ったんですけど、そういうことは非常に日常的で、M君の家がこのゆもか研の中で出てくるんですけれども違和感がないですね。ものを持っているということに対して違和感がない。

これはM君の家ではないんですけれども、僕の友達の家なんですけれども、これを見たときに「そうそうそう、やっぱりみんな[113'39] こうサブカルチャーを生きているなぁ」という感じを拝見しました。

これがその家のバックショットですね。だからもう今時の人たちはみんなこんな家に住んでいると思います。僕の家も実はそうなんだけど、今実家を離れて久しいので、母の荷物とか荷物置き場になってしまってあまり写真がないんですけれども、左右がやっぱり全て書棚になっていて、正面のシーツ掛けてあるところも本棚いっぱいというのでこんな写真があります。ちょっと荷物がいっぱいあってあれなんだけれども、この辺が本棚だったりとか、両側全部本棚。全部本ですね。本がいっぱいあって、[?][114'20]があったりとか、こんなものがあって、向こうは雑誌の切り抜き用に抜いたものとか、ポスターだったりとか。まぁ本がいっぱいあったりとか雑誌がいっぱいあったりとかです。

[安村] ビデオは?

[美崎] もあります。あとこの辺は、やっぱりスキャンしていった結果多少すかっとしてきたところがあります。それでもまだ、たぶんスキャンで50万枚くらいやったんですけれども全体の半分もたぶん、見る限り半分もいっていないので、まだまだで、これも非常におおざっぱな計算なんだけれども、僕が今39なんですが、ざっと30年ぐらいの間に見たものの半分の半分ぐらいが70万枚だとすると、ざっと計算すると300万枚くらい。300万ページくらいを30年のうちに見たのではなかろうかというなんとなく推測が立つんですね。

そうすると人が一生の中で見るのはその倍ぐらいだから600万枚ぐらいとかなのかなぁということを感じたりします。ということは、コンピュータは全てのものを無制限に扱える必要はなくて、600万枚ぐらいのものを瞬時に扱えるくらいのデータベースを持てば、なんとなく人生はぱらっと出てくるのかなぁということをチラッと感じたりします。

あと、僕を記録魔だという人がいるんですが、全然記録魔ではないと思っていて、これだけは強く否定したいんです。類は友を呼ぶという話があるんですが、高校の友人で今も友人なんですけれども、もっとすごい人がいっぱいいて、早川文庫、JA全コレクターで帯、カバー、装丁が異なると全部買うとかですね。

サンリオ文庫って今もう廃刊になっちゃったので手に入らないんですけど、これを全部揃えているヤツとか。「オイディプスの刃」という本があるんですが、これの全版のコレクターとかいうのが友人にいるんですよ。

その完璧の記録の一端をちょっとお見せしたいと思うんですが、これです。その本があって、初版がなんとかでどこが出典でなんとかがどうだというのを全部書いてデータベースにしているんですね。

当然これは文字なのでわからないじゃないですか。で、彼と「それじゃわからないのでデータベースにしよう」ということをやって、写真を撮ったんですけれども、二人がかりでへとへとになるまで撮っても大変でした。たった2冊分くらいにしかならなかったですね。で、あります。

これが2冊分というのは2種類の本ということですけれども、そのデータベースの一端です。サムネイルでは例によってわからないので一個一個お見せしたいと思いますけれども、これが初版の時で、帯がこんな帯でこんな表紙だった。これが映画化になって表紙が変わって帯が変わって、それがこんな感じ。これがまた映画になったときに変わって、こんな感じ。で、また帯が変わったのでこうなって。で、また表紙が変わって帯も変わったので、あとISBNが入ったので裏の絵がなくなったとか。これがまた違う版で何とかだとか。これが帯が変わったんですね。帯が変わったヤツがあって、とかっていう風にやっていくと、これ全部写真に撮るだけでも非常にくたくたに疲れるくらい大変で、これは佐藤さんとかご専門なのでおわかりだと思うんですけれども、データベースを作るということだけでも大変だと思います。しかしそれをやっても価値があるなと思ったのは、実物と写真という話があって、これは先ほどから何回もお話ししていることですけれども、実物じゃなくてもいいんじゃないかということをたまに、たまにじゃなくて結構感じるときがあるんですよ。

[118'13]実物が必要なのは手に取るときだけで、手に取るということはもちろんすごく重要で、紙だって厚みがあったり堅さがあったり匂いがあったりとか、いろいろあるんだけれども、その一方で実物を保管することってすごく大変なんですね。紙だったらシミになっちゃうとか、ほこりまみれになっちゃうとか、知人にとられちゃうとかいろいろなことがいろいろなことがあって、オリジナルのものをちゃんと保管するためにはものすごくエネルギーを掛ける必要があります。

たとえばさっきいったムンクみたいに保管していても盗まれちゃうとか、火事になっちゃうとか、地震になってぬれちゃうとかいろんなことがあって、オリジナルを保管することって非常に大変なんですよ。それに比べると写真とかデジタルにした方が、まだ楽なところもあるんじゃないかなということも感じたりします。

あとデジタル写真の緊張感のなさ[119'06]。ちょっとトピック的に効果あるかなって人もいますけれども、日常性というのを感じていて。

ちょっとこれは写真を持ってくるのを忘れちゃったんですけど、鈴木豊さんという写真家の方が36人のフィルムをそのまんまの形でパノラマ写真にするというような写真の撮り方をしていて、今コニカ・ミノルタ・プラザで終わってしまったんですけど展示会をやっているそうです。

http://konicaminolta.jp/about/plaza/schedule/october/gallery_bc.html#1

それはカメラを、標準レンズで36度ずつこうやってパンして、下に下げて、また6枚撮って、また下に下げて6枚撮るという風にやると、全部でサムネイルというか写真で全体が見られるみたいな写真を出していて、そういうのもあるかなぁということを思ったりしました。それに比べるとデジタル写真って緊張感ないですから、緊張感がある・なしが特徴なのかなぁと思ったんですね。

あと、その鈴木さんが言っているのは、写真というのはフレームで切ることで抜き出しているので編集しているんだということをいっているんですけれども、デジカメでぱかぱか撮るってフレーム気にしなくていい、全体を撮るということをやるんですけれども、そうするとフレームのない記録の方が、視野全体を記録した方が人間の記憶には近いのかなということを思ったりします。

あと編集ということでいうと、僕はコンピュータ以前にもすごく編集ってよくやっていて、1981年に、これは漫画なんですけど、こういう漫画がありました。10ページぐらいの短編なのでパラパラめくりますが、少女が目覚めると雪の中でコールドスリープ[120'41]から覚めたら、昔人間は滅んでしまったんだというようなことをいわれて、だからこの少年も人間じゃないんじゃないのっていって、それで雪の森を抜けていくとその森の外には何もないっていうSFというか話です。

これを見たときに、これ10ページなので編集しやすいなと思って、当時コンピュータはありませんでしたからこういうことをやりました。全ページをコピーして手書きで英語にしています。非常にこだわっているんですね。せりふのところだけじゃなくて「ガシャシャシャシャ」とかっていう手書き文字を書いてあったりとか。「Bang!」っていうのは「バン!」とかっていってドアを開けているところですけれども、というようなことをやったりとか。これも高校生ぐらいの時かな?にやっていたりします。

という風に編集をしたりとか。これが今出てきて、ちょうど今月のスキャンで戻ってきたのでちょっと例として面白いかなと思って持ってきたんですけど。そういうことでいろんなものを追体験していくということもやっていたりするわけです。だから編集自体はやっているので、モチベーションと聞かれたときに昔からやっているので何とも言えないというのはこういうことですね。

で、記憶する住宅への反応はいろいろいただいて、ご質問の横お断りしつつみたいな感じでこれからの議論のネタにしていこうと思うんですけれども、プライバシー侵害の話があって、誰のための思い出かという話が当然あって、基本的になかなかプライバシーの問題をクリアしていくとか、著作権をクリアしていくのは難しいんですよね。たぶん我々が寿命があるくらいではクリアできないんじゃないかというところが、自分自身のものは自分でやろうと思い始めたきっかけです。だから自分のものは始めているということがあります。で、「忘れないと不幸かなぁ」といわれるのは、超常記憶みたいなものなので忘れないと不幸になるんじゃないかという話があるんですけれども、まぁ飽きると忘れるのであまり気にしてないかなぁというところはあります。あと非常に重要なのが、語ることが重要だと思っていて、ものを見てそれに対してなにか日記を書くとか、あと「こんなことがあったんだよ」「こんなのどう?」とトークを語ったりするということが重要であると思っています。だから見ることが重要だと思っている。語ることが重要ですね。

語ることで何がわかるかというと、自分を知ることができるということがすごく重要なことで、こうやってスライドショーで見ていくと不幸な体験も非常に頻繁に出てくるんですよ。で、「あ、見なきゃよかったなぁ」ということは当然出てくるんだけど、でもそれを見ている自分というのは、それを見なきゃよかった辛かったことを克服した自分がここにいるのではないかと思っていくと、その克服した自分というのはもしかして強いのかもって思えるようになっていって、自分を受け入れられるようなことができるような気がしています。

これはなにか悟っているのかしらとかって思っているんですけど、どうなのかなぁということを思います。あと「自分だけではつまらない」。だから「自分のことしかやってないんですか?」といわれるんだけど、さっきスライドショーあるいはこっちの例で見ておわかりの通り、自分のこと以外のこともたくさんやってます。全体のうちたぶん7カレンダー割ぐらいは外から入ってきた情報なんですよ。なのでそれを共有して、もちろん著作権とかがあるので簡単に共有なんてことはできないんだけれども、それを共有したりしていくことによって自分自身以外のところからすごく外に広げていってこんなことがあったんだよということを話していくことができるのではないかなぁと思います。渡邊英徳さんという方が「自己の芯のみを追い求める仕事をする者の(インター)フェイスは外に開いていくのかも知れない」ということをいっているんだけれども、だから内に内に戻っていく、あるいは過去に過去にいっているように見えて実は未来のことをやっていたりとか、内に内にやっていることで広がっていくことがあるのではないかなということを感じたりしています。

あと「日記を書くのは客観的でないので信用できない」という話があって、僕もそれはそう思いますね。[124'46]全然僕がいっていることが本当なのかどうかよく自分でもわかっていなくて、その辺は心理学者の方に検証して頂ければなぁと思っているんだけど。さっきの朝日新聞の記事が出ていたときに、文筆家の大西さんという方がウェブでコラムを書いていて、サミュエル・ピープスという人が1660年から10年間日記を書いたそうなんですよ。それは公開するつもりがないし、見られることを予期してなくて日記を書いたので非常にピュアな日記だという話をしているんだけど、ピュアかどうかなんて僕には判断ができないですね。ピュア。うん、判断できないです。

あと「しょうがないから見ているんじゃない」ということは改めて強くいいたいんだけれど。見ているから思いだして語るのであって、「しょうがない」。しょうがないから見ているんだけど、でも見ていることが重要なのではないかなと思います。

あと「注釈がない映像はダメだ」っていうのは当然あって、検索できないものはダメだと思うし、僕もそう思うんですけれども。あと注釈をどう簡単につけられるかってのはテクノロジーでやっぱりやっていくべきだと思いますね。ただその注釈をある程度自動化できるとしても、本当にみんなが注釈を簡単につけられるのかというとなかなかそれは難しいような気がしていて、それができるのかどうかはわからないけど、たとえば国会の速記みたいに意味のあることには注釈をつけるということが現実に行われているし、総理大臣になると新聞社が日記書いてくださるじゃないですか。だからえらくなることの方がもしかして注釈をつけるより楽かなぁと思っていたりします。これは実例で、そっちにあがっているウィーンの写真出てきたり出てこなかったりするかと思うんですけれども、ウィーンに行ったときに安村先生とかと一緒にベートーベンの家にツアーに行ったんですよ。2時間ぐらいの間に600枚ぐらい写真を撮ったんですね。それはもちろんそういうイベントがあったし、みんなが美崎は写真を撮るヤツだって思っているという視線もあったので非常に意識して撮ったというところは当然あったんですけれども、それをやった結果がこないだの情報処理学会のヒューマンインタフェース研究会の学会誌に載って、なんにもない空の状態でまずウィーンのことを思い出したんですよ。そうしたら4行でしかなかったんです、記述が。いった店の名前も当然覚えてないし、いっぱい歩いて楽しかったような辛かったようなみたいなことぐらいのことしか思い出せなかったんだけれども、それを記事に書いていいよって言われて書いたら、4行を写真見ながら書いたら140行に増やして、それでもまだそのツアーの2時間の体験の半分くらいしか書けなかったんですね。

という風に写真を見てその場を追体験していくということが非常にテキストにしていくという点でも微妙に増えていくということなのではないかなと感じました。検索のためのインデックスはすごく重要で、インデックスがなくていいなんて僕がいったことはないと思うんですけれども。

僕の場合はBTRONがインデックスになっていてOCRを使ったことはないです。ないですけど、あまり正確じゃなくてOCRで100枚とか200枚とかもしかしたら1000枚くらいOCRをかけたことがあるんですけれども、あまりにも粗雑で質が悪くて正視に耐えなくてやめてしまったんですよ。

あと手間がかかるということですね。OCR掛けるためには400dpi以上で撮って2値のビットマップにして1枚1枚スキャンして誤字を校正するという作業が必要で、そんなことやっているぐらいならさっきやったみたいに好きな小説だったら書いてしまうとか、日記であったら書き出してしまうということの方が重要だと思っています。

インデックスは積極的に探しているし、テキストは検索ではすごく万能性があって強いと思うんですけれども、それはOCRとは違うのではないかなと思います。

[128'49]インデックスというのは先ほど言った外から入ってくる7割ぐらいの情報に関してはかなり詳細なものが作られていることがあって、たとえば僕が、漫画でブラック・ジャックというのが出てきたかどうかちょっとあれですけれども、検索したら、ブラック・ジャックを全巻書き起こしている人がいるんですよ、インターネットに。著作権的に非常にグレーな感じもするんだけれども、せりふが全部書いてあるのでこのページ保存するとせりふから検索できるようになっているんですね。

これはOCRを通すよりも全然スマートな気がしています。これの重要なことは、やっぱりコンピュータでコピーできるということがデジタル情報の特徴だと思うんですけれども、世界で一人がやればいいんですよ。一人がやればあとはコピーできるんですね。これを著作権でうまくクリアしさえすれば、著作権者を無視したいわけではなくてそれを有効に活用したいわけなので、そこをうまく話し合うことができさえすれば非常に有効な気がします。

あと文脈情報でいうと、たとえばこんなのを見ながら読んでいたりするとこんなのが出てきて、漫画を読んでいたらこのLark[129'55]と同じヤツを着ていたのができたとかいう例があります。こんな風に文脈情報を作っていくことが大事だなと思いますね。

あと僕は「自分自身を差異化している人でみんながやるとやらないのかな」といわれて「うん、そうかもな」と思うんですけれどね。自分のことなんかやっぱり分析できてなくて自信がなくて、記録魔でないとしても記録癖はあると思うのでやめることはないけれど、どういう形になっていくのかはよくわからないということですね。

最近僕はアーティストだといわれていて、アートってもっと格好いいもの作る人だと思っているので微妙な感じがするんですけれども、なんかアーティストなのかもという気がします。で、やっぱりモチベーションで「なんのためにやっているのか」って問いつめられたりするとよくわからないんですけれども。「不安だからやっているんじゃないか」とかいわれて「うん、不安なのかも。そうかもしれない。不安かも」。生活できてないという不安はあってですね。なにかお仕事頂きたい。冗談です。冗談じゃなくて本当です。

こういうことがお仕事になればいいなぁと思ってはいるんですが、ただスキャンして70万枚を見てわかったのは、戦争している人とかリストラされた人から見ると贅沢なのかもなぁ、平和な人生を送っているということは間違いないなぁと感じました。

非常につまらないことで一喜一憂していたりするということが人間の心には重要で、それをしているということは70万枚見ての感想なので、それは重要なのかなぁと思います。

で、「大衆化したら気持ち悪い」ということも感じますね。みんながこれやり始めたらどうなるのかというのは、気持ち悪いというか見てみたいというかという気もします。

あと「完璧なメモ」というのに憧れているところがあって、2004年3月のログっていうのはなにかというと、佐藤さんとやったときの東大の廣瀬先生の時のヤツで、話していたやつをテープ起こしして頂いてテキストファイルで頂けたんですよ。話したことが全部テキストになっていて添削できるようになるということがなんと幸せなことかと思ったということがあって。

今回のもテキストになるかと思うとワクワクしていて、それ以上幸せなことはないっていうことを思っております。

あと最後、あともうちょっとですが「リアルなものを保存する意味」というのは、非常に僕も揺らいでいるんだけれど、「ないかもしれない」っていうように揺らぐときがあります。一番好きだったのは演劇とかライヴなんですけれども、ライヴって保存できないしなぁっていう感じですね。

あと「現実の方にアーカイブがあっていい」っていうのはさっきから何回も出てくるものなんだけれども、それはそう思いますね、本当に。デジタルにできる時代だからこそアナログの現物を置いておきたいということもあるし。たとえばヨーヨーみたいなもので、身体感覚みたいな方がやっぱり重要だと思うんです。その通りで、僕はそう思いますね。

[132'52]ただ大事じゃないものをスキャンすることに関しては危惧してないというか、すごく大事なものはものの方がいいけど、そうでもないものはスキャンでもいいのかなぁというような二極化していくような気がしています。

たとえばすごく大事なものっていうとさっきの「オイディプスの刃」の作家さんに書いてもらった書が飾ってあったりとか、あと何度も出てきている漫画の「Knock!」っていうのをこないだ愛蔵版にしたんですよ。コミックだけじゃどうしても足りなくなって、どうせなら突き詰めてやると思って革装して金箔で、三方金っていうんですけれどもその金作って箱入りにして、ベルベットの箱に入れてみました。

ここまでやることが大事なのであって、大事なものは大事にしよう。大事じゃないものは大事じゃなくしようっていう両極に分かれているのが今の状態です。

だから全部デジタルにしているわけではないというのが今たどり着いているところです。以上です。雑ぱくですが。[133'57]




討論

[佐藤浩司] どうもありがとうございました。

[拍手]

[佐藤浩司] これを聞いているテープ起こしの人、ごくろうさまでした。[134'04]大変長いお話をありがとうございました。時間があると、

[野島] 今日の予定は時間はどういう配分で?

[佐藤浩司] 大体6時にはここを出たいと思っているんですが、そうすると3時半で第1回が終わってもし30分休むんでしたら4時から。それから休み時間に展示を見たいという方が特にいらっしゃらないのでしたら、若干ディスカッションをしてもいいと思いますが、いずれにしてもそんなにたくさんの時間があるわけではないので。早速ですけれど、プリ・ディスカッションでいいと思うんです。いつもなにかコメンテータを求めたりはするんですけれど今回はいろいろ突っ込みたい人がいらっしゃると思うので、お好きなところからどうぞ。

[安村] じゃぁいいですか?[134'55]私もう美崎さんの話何回も聞いて、聞く度に思いが新しくなるんですよね。それがなんなのかっていうのは逆に気になっていて、つまり美崎さんがなにか書くときに、ある時書いたときと、それから1年後じゃなくてたとえば5年後とか10年後書いたときには違うのか同じなのかっていうのがすごく興味があって。逆に言うと、昔同じようなことを、たとえば少年時代になにか見て写真を撮ったことを書いた記録がもし残っていたとすると、少年じゃなくて40年間近なある意味でおじさんになった感想が違うのかどうかっていうのが一番まず最初に気になったんです。それはどうでしょうか?

[美崎] 変わるのもあるし、変わらないのもありますね。あとそんなことはもう大人になったんだから忘れようって思っていたことが、当然20代くらいだと結構就職した頃とかは「そんな子供っぽいことは」って忘れようとしたことがやっぱり忘れられないって戻ってきたりするようなこともあって。人変わらないなぁと思ったりすることもあったりします。それは全部書き足しているので、その前に思ったことも書き足してあって。思いの違い。

[安村] それはいつ書き足したかも入っているわけですか、もちろん?

[美崎] 日付も入れてます、はい。

[安村] もう一ついいですか?似たような話なんですけれども、これ今美崎さんがやっているからこんな形になっているんだけれども、まぁもちろんBTRON[136'13]を使っているとかあるんですけれどもそうじゃなくて、美崎さん以外の人が同じようなことをしたときに過去の振り返り方が同じなのか違うのかっていうのはすごく興味あるのが一つと、それと同じ話で今度二人で一つの漫画でもなんでも書き出すとなにか増幅作用があったり、お互い反発が起こったりとか、その辺のダイナミックスみたいなものもちょっと気になるんですけど、そういうことなさるおつもりとかは?さっきあまり他の人がやり出すと嫌だと言うことはあったけど、でも一人二人共同でやると面白いかもしれませんけど、実験的にはどうなんでしょうか?

[美崎] 実はですね。ウィーンで写真を撮ったのは僕は安村先生とそれをやれるかと思って撮ったんですよ。だからウィーンの時は6人でしたかな?

[安村] そうですね。

[美崎] 6人でツアーをやって、わりとみんな記憶に興味のある人とかコンピュータ・サイエンスの人だったので、あそこでやったのはそれをあとで6人集めて話をしたらなにかグループ・ディスカッションが非常に盛り上がるような気がしてやったという意図が実はあって。グループで盛り上がりたいなぁと。

[安村] たぶんそれは私はダメですね。

[美崎] ダメですか。

[安村] もっと几帳面な人で記録癖のある人がやらないと。記録しないと。

[美崎] でも見ると思い出すような気がするんですよ。

[安村] それは言葉で語ることはたぶん可能だと思うけど。

[美崎] そうですね。

[野島] 奥さんは使ってるんですか?使えるんですか?

[美崎] 妻は全然使ってないですね。

[野島] え?

[美崎] 使ってないですね。

[野島] 使いたいといわない?それとも使わせていない?

[美崎] あ、でも。

[野島] アクセスはできる?

[美崎]アクセスは今ちょっと僕サーバー管理があまりうまくなくてできてないんですけれど、紙が減ったっていうのは実感しているんですよ、家の中で。で、紙が減るんならやろうかなぁっていうことは言っていますね。

[野島] でもたとえば一緒に旅行した記録とか、そういうのは見たがるかとか?

[美崎] それは「いい写真だけ出して見せて」っていわれます。

[野島] あぁ。そういらんと。

[美崎] そうそう。たくさんはいらん。「いい写真だけ出して」っていわれますね。

[野島] なるほど。

[美崎] 普通の人なので。きっと。

[大谷] お金がかかると思うんですけれども。私、美崎さん結婚していらっしゃると思っていなかったんですけれども。

[会場笑]

[大谷] 何もプライベートは存じ上げなかったので。家計管理の中で非常なウェイトを占めるんじゃないかと思うんです。

[美崎] 莫大な金額がかかっております。

[大谷] そうですよね。

[美崎] 研究助成をどこかでだしていただけないかと。[138'43][笑]はい。

[大谷] たぶん、美崎さん楽しいからエンターテインメントになっているんだろうなと思って、その部分の出費といえば趣味と考えてもいいじゃない、まぁ仕事も一緒にあるだろうけれども。これから先一般的に人々がもしやるようになったらお金かかるとやらないと思うんですね。

[美崎] そう思います。

[大谷] その辺をどうやっていくのかなということと、あとプライバシーの問題で一つ。ものすごく究極のプライベートな話なんですけれども、たとえば恋愛とか結婚とかもっというとセックスとかそういった部分の記録とかができるようになってきちゃいますよね。さっきの人形の話じゃないですけれども、そういうのっていうのは残っちゃったら一体どうしたらいいんだろうか。まぁ個人が楽しむ分にはいいんですけれども、亡くなっちゃったあとでそんなもの残したくないって普通思いますけれども。交通事故で明日死んじゃうかもしれない[139'43]というのはどのようにお考えでしょうか。

[美崎] まずお金の話なんですけれども、僕車に乗っていなくて、車と同じくらいか車何台分かぐらいなんですよ。車が趣味の人って多分そう等莫大な金額を使っているので、それとたぶん思い出というのは匹敵するのかなということを、なんとなく言い訳としてはしてます。

あと、じゃぁ多くの人にこれが広まっていったときにお金はどうなるのかっていう話で、先ほどの富士フイルムの例が1800枚で3万いくらみたいなのが出ているんだけど、外から入ってくる情報が、何度もいったようにすごく多いんですよ。すごく簡単な試算をしたんだけど、ドラえもんが60巻あるんですね。10人でスキャンしたらすごく実は安くなる。本そのものプラス1000円とか2000円とかでできちゃいます。100人になると100円とかでできちゃうんですよ。

そうすると著作権をクリアしさえすれば、実はすごく安くできるんじゃないかなぁという気がしています。同じものをコンテンツにしていけば。実はすごくプライベートな情報って少なくて、やっぱり人間が表現していくのって大変だし、作っていくのも大変じゃないですか。それよりは外から入ってくる大量な情報の方が多いので、それがデジタルでインターネットみたいなものが外部されて[?][141'03]入っていくっていう方がきっと書雷にはリアルなのかなぁ。それも非常に安価になる可能性があって、それの著作権をみんなで考えていってできさえすれば安くなるかなぁという気がします。あと最後にプライバシーの話なんですけれども、そっちに出ていたスライドショーって僕が今朝ちょっと何枚かわからないんだけどやってきたヤツで、プレゼンの資料を一生懸命作りながら選んだのであんまり選んでないんですよ。で、なんかやばいのが出てきたような気もするので、あまり僕自身は見ていなかったんですけど、プライバシー情報をそのファイル自体に持たせておいて、これはたとえば家族なら見てもいい、家族もダメとかっていうことをファイル自体に書いておく。たとえば5年アクセスがなければ消去するみたいなところをファイル自体に持たせておくことが安心感につながるのではないかなぁという風に。

[大谷] それはそうされているということですか? [美崎] 今そういう機能ってまだたぶんないので、これからの機能としてはそういうことが求められて行くんじゃないかなと思っています。ちなみにこういうことをやっている人はまだ世界に一人しかいないので、計算したらマイ・ライフ・ビッツの18倍ぐらいの規模なんですよ。で、規模って、それを時系列で見ていくとマイ・ライフ・ビッツのやっているのの計算でいうと、10年後にマイ・ライフ・ビッツがたどり着くぐらいの規模なんですね、70万枚って。ということを思っていくと、たぶん博物館に僕のを入れてもらえるような気がしていて、僕自身は死んだら自分のプライバシーは見られても平気だと思っているので是非入れてほしいなぁと思っています。で、人が生きていくっていうことがものを見て感じて書いて行くということだけだとしたら、そのファイルを誰かが将来見てなにかを感じて書き加えていったら、もしかすると僕が生きているということになるのかもって思うんですよ。ちょっと謎なんですけど。

[佐藤浩司] じゃぁいいですか、それで。

[國頭] 今全部映像で記録されていますけれども、静止画が多いと思うんですけれども。確かに視覚情報というのは人間が取り入れるときには一番大きなメインになる情報の入力手段だと思うんですけれども、今はデバイスあるものが視覚情報を入力するものしかないということ[143'23]ですよね。という中で、もしデバイスが出てきたら、音とか匂いとか味とかそういったものも記録していきたいですか?

[美崎] していきたいと思っていますね。思いますね、それは。

[國頭] デバイスとして入力手段がないからということで?

[美崎] ないから。ええ、そうです。

[國頭] もう一つ。簡単でいいんですけど、リンクを作るのがすごく大変な作業だと思っていて、日付のリンクを張るだけだったらわりと簡単に機械的にいけると思うんですけれども、先ほどの「あ、これと同じ絵があったよね」っていうのにリンクを張っていったりする作業っていうのはどういう風にされているんですか?

[美崎] 手元でBTRONが動かないので恐縮なんですけれども、BTRONってマルチウィンドウの間でリンクを持って歩けるんですよ。[143'59]

[國頭] つまり結局は人の手でやってる?

[美崎] 人の手でやってます。

[國頭] 見つけたときに全部貼ってるんですか?

[美崎] そう、全部貼っています。それもただ、最初の1回では、ある時使いやすくなったってお話ししたんですけど、ある時まではなんでこんなクソ面倒くさいことをやるっていうようなことを感じていたんですが、ある時以降はすごく楽になった。それは体系ができたために。たとえば「脳」というキーワードだと「脳」の今までリンクしたものが1回リンクしただけで全部出てくるんですよ。それが楽になった時点で「あ、すごく楽だ」っていう風に思いました。これを自動化したいとは当然思うし、自動の方が楽だと思うんだけど、自動化してゴミが出てくる率、SN比がどのくらいなのかっていうのを思うと手でやったのは悪くはなかったかなと思っています。

[野島] 名前を最初言ってください。

[佐藤浩司] じゃ清水さん、さっきいった。

[清水] はい。トチローとハーロックのエピソードとものとの関係が非常に面白かったんですよ。それはハーロックってトチロー、亡くなった親友ですよね、彼の思い出をベースにしてああいうアルカディア号を作ってなおかつ生きている。で、ハーロックの精神世界もかなりトチローとの記憶を引きずって海賊として生きている。そういう設定ですよね。

[美崎] そうですね。

[清水] これってある種の思い出と物質文化。住まいとか住居も当然含まれて来るんですけど、そういうものとの関係をよく表していると思うんですよ。僕のフィールドなんかでも思い出というものをベースに、たとえば祖先に対する思い出とかそういうものをベースにして人間は家を造っているというところがあるんですけど、美崎さんの今日のお話だと思い出になるソースがすごく多い気がするんですよ。そういうときに実際立ち現れてくる住宅とそこからまた美崎さんの方にフィードバックしていく心の問題ってどうなのかなって素朴な疑問があるんですね。ハーロックとトチローとものとの関係っていうのはかなりモデル化して単線的に考えられるんですけど、それから比べてどういうことが言えるのかなってちょっと。

[美崎] 確か佐藤さんにご紹介された本だったかなにかで、先祖が屋根の上にいるみたいな研究が民族学であるっていう話があって、そうそうそう、人間って死んでからの方が長いんだよなぁっていうことは思いましたね。それがさっきのにつながっていて、死んでからの方がもしかしたら長いのでなにか残しておきたいと思うことも一つなのかもと思ったりとか、あとアルカディア号でいうとアルカディア号って後が棺桶みたいじゃないですか。あの人もしかしてハーロックって意識として死んでいるのかな、だから棺桶の中に住んでいるのかなぁっていう、死をすごく引きずっているんだなと思ったりとか。で、心はどうなんでしょうね。自分で自分のことってよくわからないので何とも言えないんですけれど。普通の人なのかしら。そうかも。

[佐藤浩司] 美崎さん、最近建築学会でも暴れてますよね。

[美崎] 暴れてますね。

[佐藤浩司] 建築学会の人たちはどういう反応だったんですか?

[美崎] 建築学会はすごい偉い原先生に「んー、素人っぽい」とかいわれて。素人だよ。[笑]思いましたけど、建築学会に行って僕そのときは住居の話しかしなかったんですよ。スライドショーの話とか、ハードウェアの話とソフトウェアの話とその中味で考えたことっていうのが3つある、階層であると3つあるっていったんだけど、主に住居の話しかしなかったんだけど、みんな意識の話し始めちゃって。「いやぁ、建築はやっぱり意識に向かいたいんだよ」とかって告白されてしまいました。びっくりしました。

[佐藤浩司] 久保さん。

[久保] すみません。久保ですけれども。先ほど自分でリンク付けをしているっておっしゃいましたよね。それって結局実は人間の脳細胞の中でやっていることをシミュレートしたんですよね?

[美崎] そうです。

[久保] 外在化[148'33]したんですよね?

[美崎] そうですね。そうだと思います。

[久保] そうするとね。どうなんだろう。いやそれとまぁ、写真で今やっておられますが全部の感覚入力。

[美崎] はい。

[久保] 映像なんかひょっとすると、アイカメラで全部撮っちゃうということもできて、それがひょっとするとメモリに入っちゃうなんてことも将来出てきますよね。

[美崎] 計算したことがあって、mpeg2で今DVDで2時間で4ギガじゃないか、5ギガとかじゃないですか。そのレートで計算していくと200テラとかあると一生70年とか80年を記録できるんですよ。200テラって今いうと大きいように聞こえるけれど、ハードディスクが今のまま進化していけば2017年には手のひらに乗るんですよ。手のひらに乗るのが200テラでそれに人生が全部映像として記録できるっていう時代が来るので、2017年ってすぐじゃないですか。それもすぐだと思いますね。だからそれを視野に入れておくことがコンピュータだとすごく大事だと思います。

[佐藤浩司] はい。

[黒石] いいですか?

[佐藤浩司] はい、どうぞ。

[黒石] 黒石といいますけど、私娘がいるんですよ。その娘っていうのは小さいときから昔のアルバムを、私の親友が貼ったものを撮りだしてきて見るのがすごく好きで、ほおっておくと自分で順番を変えて自分の好きなのだけ抜き出して、自分のアルバムを作ってということを繰り返し繰り返しやっているんです。最近はそれちょっとやらなくなっているんですけど、そういうのを見ていて話をしていると、だんだん過去の話というのが変化していっているというか、自分の中で変えているんですね。作り話を作っている。それが組み替え組み替えしていくとその話がどんどんどんどん変わっていって、まぁそれはそれで面白いなと思っていてあまり修正もしないで適当につきあってきたんですけど、そういう自分の過去を、だから現在をもう1回もう1回リプレイしながら積み上げていっているみたいな時というのは変形が絶対加わっているわけですよね。解釈して。それって意識的にやっているんですか?それともそういう自分の解釈とか認識の編成っていうのを楽しんでいるというか、そういうことはあるんですか?

[美崎] はい。記憶が変わるという話は非常に有名な話で、ナイサーっていう研究者がスペースシャトルのチャレンジャーが落っこちたときに「あなた今どこで何しててどういう環境で見ましたか?」っていうのを学生に調査したそうなんです。3年ぐらいおいておいてもう1回同じアンケートをしたら全然答えが違っていたと。で、面白いのは2回目に答えた間違っているはずの答えの方に回答者が固執したっていう研究があるんですね。そういうことからいうと記憶っていうのは思い出すたびに作られているのであって、それは創造と想起の力とかっていって湊千尋さんとかも本で書いているんですけれども、要するに現在というのがあって、過去と未来があるとしたら、想起と回想するものというのは実はベクトルが違うだけで同じものじゃないかっていうようなことをいっていて、「あ、本当にそうだなぁ」と僕自身が思います。思うたびに違う解釈というか、解釈が変わっていくことがあって。

[黒石] 私が聞きたかったのは、そういう学生とかはなんとなくおぼろに知っているんですけれども、それを先生は、

[美崎] うん。楽しんでいると思います。たぶん。

[黒石] 意識的に、

[美崎] うん、意識的にやっている。

[黒石] 自分自身の人生を作っているというか?[聞き取れない][152'26]

[美崎] そういうところもすごくあると思います。だからさっき自分がいったことは客観的だと僕は全然思っていないので。すごく解釈で変わっているなぁというのをだって楽しむしかないですよね、きっと。

[黒石] 面白いですね。

[美崎] ただそれが今だと文字として残っていたり写真として残っていたりするので、それの違和感が当然出てくるんですよ。そのときにそれをどう処理したらよいのかっていうのがちょっとまだ自分の中でもわからなくて。

[黒石] じゃぁそれ実験しているんですか?

[美崎] そうそう、実験中。さっき回想法が重要、話すことが重要っていうのはお子さんがやられていることと同じで、話してストーリーを作ることがたぶん人間にとってはものすごく重要なことで、それに比べたら記録が残っているかどうか、それがコンピュータであるかどうかってことは別に大したことじゃないことだと思いますね。

[須永] はい、はい。須永です。今の話を聞くと、再構成しているという風に考えると、美崎さんはどうして前作ったものとか見たものとかの記録というのか、ああいうものを見て再構成をしてるんだろうかと。見なくても目の前に、あれ見ているのと同じかそれ以上のコンテンツというか、目の前にいっぱいあるんですよね。目の前にもあると。リアルに今。

[美崎] あ、目の前にありますね、はい。

[須永] 目の前にここにありますよね。

[美崎] あります、あります、あります。

[須永] いずれにしても処理できる量は、

[美崎] 超えてますね。

[須永] あるんだから。目の前にあるものよりもきっとあっちのスライドの方なり、写っているものを見られている量が多いと思うんだけれども、どうしてそっちが多いことを美崎さんはよしとしているんだろうか。いずれにしても再構成しているのであればっていうのが。

[美崎] はい。これをメインにやっていた2000年から2002年ぐらいまでって僕部屋からほとんどでなかったんですよ。もともと仕事が本書いていたりとかなのであまり出る必要がなくて、取材の時とかしか出ないっていう感じで、そうすると家の中でものが減っていくと変化がすごく乏しいということがあって。

[須永] んー、なるほど。

[美崎] ということはあったのかなぁという風に。

[須永] だからそういうタイプの人。どっちかっていったら、再構成する、生きるためのネタをそっち側の方からとりたいというか。記録系からとりたいというタイプの人で。だから一方そうじゃない人はリアル系からとりたいという人もいるんだなと。今話してみると。

[美崎] そうですね。とは思います。

[須永] それであと2つだけ聞きたいんだけど。そういう人がどうして自転車旅行いったりするのかなぁと。

[美崎] そうそうそう。でしょ?だから極端にこうなるとなんかどっちも。

[須永] あぁ、また取り戻そうって。

[美崎] 取り戻そうという意識はすごく強くて。

[須永] あれはじゃぁ記録系の中を北海道こいでいるわけじゃなくてリアル系をこいでいるわけですね。

[美崎] そうです、そうです。

[須永] そのときも気持ちがいいんでしょうね。

[美崎] 気持ちはよかったですね。

[須永] あぁ。

[美崎] 今神戸大に移られた塚本先生、ウェアラブルの先生とよく話すんだけど、「つければいいじゃん、そんなの」ってよくいわれるんだけれども、でも実体験は実体験で大事にしたいんですよ。

[須永] あぁ、そうなんだよね。

[美崎] で、今だと僕毎日ジョギングしているんですけどそのときって基本的に何も思っていなくてジョギングいって、風の、たとえば最近だとなんだっけ。金木犀の香りとかあんなのを楽しんでいることも多くて、それ写真に撮ってないんですよ。なんで撮ってないかっていうと重くてもてないからなんですけど。そういうリアル体験の方が重要だと感じていたりとか、あとさっきヨーヨーやったみたいにリアル体験はすごく重要だと思いますね。

[須永] うん。残りの1個だけなんだけど、僕はデザインをやっているのでそういう観点で興味深い、今日の美崎さんのお話の中で一つの言葉は「600万枚」か?たとえば。枚。何枚っていう言葉が一つの記憶の形式化を象徴的に表していると思うんですね、今回の、やられていることのね。たとえばきっとさっき國頭さんが匂いとかほかの近くのデバイスがあったらほかのもあるでしょうねっていうことで、そうすると僕がすごく感じるのは「何枚」「何枚」っていっている、今は「何枚」「何枚」としか我々が記憶をカウントするのに言えない時代なんだなと。じゃぁ次にどういう、「枚」じゃない、まぁ「何時間」ではないと思うんですけれどね。圧縮された時間とか、なんだかわからないけども、どういう単位で記憶を語るんだろうなぁと。本当は「枚」はきっとまだまだ初歩段階の記憶のカウンタですよね。

[美崎] そうですね。初歩です。そうだと思います。

[須永] そのときどうなるのかなっていうのがちょっと気になったので、なにかイメージがあれば。

[美崎] そうですね。その単位で匂いを数える単位がないというのは本当にそうですよね。

[須永] うん。っていうかその、記録系の、美崎さんがやられている記録系を動員して今の再構成の種にして、今の再構成は生きているということは、その記録系の単位ですよね。

[美崎] 単位ですよね。

[須永] 記録系というのはどういうようなスケール、尺度で、どういう、

[美崎] 非常に冗談みたいな話で恐縮なんですが、最近一日100枚写真を撮るときの100枚は1美崎とかいうそうです。

[須永] なるほど、そうかぁ。そうなるのかもしれないですね。

[美崎] あとなんだっけ。スキャンするときに1ミリを1美崎というそうなので、1美崎っていう単位ができるのかも。はい。

[須永] なんかそういう。

[美崎] 記憶をいうための単位は必要なのかもしれない。

[須永] それはただ、要するにスキャニングっていうか行為の単位ですよね。

[美崎] そうです、そうです、そうです。

[須永] そうじゃなくて、記録されたものの単位と、もう一つは記録すべき対象、自分の生きている時間、経験ですよね。すごい浅い、要するにあまり思い出の残らないような時間もあればすごい密度の。そのときの対象とするモチーフの方の単位がないとなんか計れないんじゃないかという気もするし、今日のどちらか、600万枚っていうのはレコードの方のね、記録物の方の単位なんだけど。

[美崎] そうですね。

[須永] その2つがなにか新しいものを発明、僕デザイナー的に考えるとこれはそういうものを発明したいなと。枚じゃないよなと思ったのでね。なんか1美崎、1Mとかそういう単位があるのかもしれないけど。

[美崎] 僕はカメラで撮っているのは意識的にわりと撮っている。意識的にシャッターを切っているっていうつもりなんですね。で、ライフ・スライスっていうグループは首から提げていて自動でシャッターを切るということをやられているグループもあるんですよ。そうすると意識的に撮っていると、たとえば自転車に乗って撮っていたときにすごく危ないシチュエーションでは写真を撮れないんですけれども、無意識で撮っているとそこも撮れたりするというところがあって、そこには違いますね。

[須永] そうですね、なるほど。

[久保] ちょっと質問なんですけれども。心理学の方でエピソード記憶とかそういうのがありますよね。

[須永] はい、ありますね。

[久保] だからたぶんなにかエピソードという単位があって、

[須永] うん。単位があるんですね。

[久保] それは時間では計れなくて伸縮自在なものということじゃないんでしょうかね。

[須永] そう、

[不明] あのやっぱり、

[須永] そうなっているの、美崎さんのたとえばウィーンの写真ってそういうある種の出来事の単位でたくさん撮ったり撮らなかったりっていう、まぁそうなってるんだろうね。

[美崎] そうですね。

[須永] 意識的に押しているから。

[美崎] そうだと思いますね。重要なのはエピソードといったときに1つのエピソードの中の小さいエピソードも語り始めるといくらでものびる可能性があって、それはちょっと単位としてなんとかっていって、

[久保] エピソードの階層みたいになってる。

[美崎] 階層みたいな感じがするのかなっていう気がしますね。

[須永] はい。

[安村] 暴露しちゃうと美崎さんがシャッター押さない時があって食事をしている時だって。それを発見してしまった。

[美崎] そうそうそうそうそう。食事をしている時は食事に目がいっちゃって押せない。

[安村] 普通は逆に「こういう食事とるんだから」って先に撮ってから食事するんだけどそれすらしないで美崎さんは。

[美崎] だって気づくとなんか汚くなっていて、もうダメだって。

[南] すみません、いいでしょうか。[161'16]

[佐藤浩司] じゃぁ最後。

[南] 南です。先ほど黒石さんの質問になられたことで「あれ」と思ったんですけど、今に対する意識は拡張されてきたっておっしゃったことと、先ほどおっしゃったこととちょっとどういう関係なのかなということがよくわからなくてその辺もう少し敷延して頂けないでしょうか。

[美崎] 今っていう意識があるっていうのと、あと未来に対して展望し、過去に対して回想するっていうのがあるという話ですよね。

[南] あるいは過去のことは。先ほど私が聞いた時は、過去のことも今の話として、

[美崎] うん、感じる。

[南] 感じるみたいにおっしゃったけど、でもその過去のことがそれを今再構成しているということも十分認識していらっしゃる。

[美崎] うん、認識している。

[南] だというと、今に対する意識の拡張っていう時の「今」っていうことをどういう、まぁその辺がいいにくいからそういう風におっしゃったのか。

[美崎] うん。そう。そうなんですよ。その辺が非常にいいにくくて説明しにくくて、それは心理学者の方に分析してってお願いしたいところなんですけど。

[南] あともう一つ気になったのは、インタラクションみたいなものが記録的にあまりあれですよね。今食事がないっておっしゃったんですけど、たとえば今私が喋り終わったところともう1回なにかおっしゃって次喋ったところと同じ写真かもしれないけれども、美崎さんの理解っていうのは当然変わってきているみたいなことがおそらく写真では切れないんじゃないか。まぁ音声がないということがあって、そういう時系列的な。そこを私なんかインタラクションに非常に興味があってやった時に、だから経験といった時にそういうソーシャルな経験みたいなものがどこまでどういう風にすくい取れるのかなというところが。

[美崎] そうですね。写真だとすごく一人称的にしか撮れてないというところがあって。そのコミュニケーションの部分が撮り切れていないということは思いますね。

[黒石] っていうか、ちょっとよけいなことですけど私の娘の場合は自分で撮った写真じゃないんですよね。私が撮った写真です。

[美崎] それはすごく面白くて、今週の月曜日に「記憶をなくした女」っていうスーパーテレビで4チャンネルでやっていたんですけど。彼女が721枚の写真を持ってきた[?][163'38]んですけど、大半が自分が写した写真じゃなくて自分が写っている写真なんですよ。自分が写っている写真って自分が写してないから人が撮った写真ですよね。で、その間の揺らぎがなんか面白いなと思ってますね。実例でいうと、そのウィーンの時にカメラを使い切ってしまって友達のを借りて撮っていたんですよ。そうしたら、そのとある1枚を僕は彼が撮ったと思ってる。彼はそれは僕が撮ったっていっているのが1枚あって、揺れているのがあって、「おーもう揺れてるなぁ」と思って。僕絶対違うと思っているんだけど。

[安村] うん、あるよね。

[佐藤浩司] 澤田さん、なんかない?

[澤田] いやぁーちょっと。僕の友達にもすごい記録魔の人がいますけど、その人は飛行機事故で黒こげになった死体の鑑定をする仕事を長年していまして、で、人間はこうなるんだっちゅうんで自分は一生懸命記録しているなんていっていましたけど、そんなの嘘で、彼は高校の時からそういう癖があったので。いろいろな理由はあるけれども、まぁ記録好きな人は技術といろんなものが出てくるとやるんだろうなと思ったんですが、そういう風に考えていると子規が亡くなる前の間に「墨汁一滴」とか「病牀六尺」で自分の布団からもう動けなくなった時の記録を延々ととっていますよね。絵を描いたり日記書いたり。僕はあれが日記文学としてすごく優れているなという風に思うんですが、まぁ美崎さんもやるのかなぁとちょっと思ったんです。で、事故でなくなると困るんですけど病気でちょっとづつ衰えていく姿というのを延々とその中で撮っていかれるのかなぁと。

[美崎] スライドショーやっているのは、その病気になって寝込んでも最後になんにもしなくても見られるからというところは当然あって。

[澤田] いや、そのときに写真撮るかなぁと思ってね。

[美崎] あぁ写真は撮れれば撮るでしょうね、きっとね。「日記を書いてる」って僕日記に書くタイプなんですよ。「写真を撮ってる」って写真を撮ったりもするのでネタ的に入れ子になっていくことはあるなぁと思いますね。いつからいつまでの日記を写真を見て今日は何を思いましたって日記に書いてあるので。ネタ的にどんどん重複になっていく感じはします。

[佐藤浩司] そろそろ。私は実は美崎さんの話聞くの3回目なんですよね。最初はなんかとんでもないことやっている人がいると思っていたんですけど、3回聞いたら普通に見えてきました。普通っていうか美崎さんって非常に大衆的というか、大衆的という言葉が悪ければ社会をすごく信頼しているんだなという気がするんですよ。何でかというと今日出されたネタのうち、ほとんど僕知らないんだよね。漫画の話にしても。

[美崎] あぁあぁあぁ。

[佐藤浩司] で、美崎さんはやっぱりそういうのを信じていられるから、自分、一人共同体っていう言葉が前回出ていましたけれども、一人共同体入っていても心配なく生きていられるんだなと。それがなかったらとてもそんなことやっていられないんじゃないかっていう気が一方ですね。それで黒石さんが先ほどちょっと話したけど、小林孝子さんという人が自分のことをずっと記録していて、今はそれ捨てられないってたぶん持っているんですよね。ゴミ老人なんだよね。美崎さんも死ぬ直前、まぁ長生きしたとしてですよ、で、周りに誰もこんな万博のことを知らない人ばっかりいなくて美崎さんの図録ぐらいでしか知らないってなった時に、自分だけ対象にしていても誰もそれはついてくれなかったら[?][167'34]ゴミ老人。新しい形のゴミ老人になっちゃうのかなぁという気もちょっとして期待してみてます。[笑]ゴミ情報老人。

[美崎] ゴミ情報老人。きっとみんなやるだろうと思って。やりませんか?どうですかね。

[佐藤浩司] いやぁ、ちょっとやっかいすぎるんじゃない。

[黒石] ゴミ老人っていうか、その人は羽仁もと子がとにかく捨てろ捨てろっていうのがすごく嫌だったっていうのがモチベーションにあって。で、お母さんが家政の先生だったからすごくきれい好きでそれがすごく嫌だっていうのがあって。だからすごいなんかアンチのあれがどっかにあるのかな[168'17]、ずっと今まで生きていてもなんの違和感も[聞き取れない][168'22]。だから美崎さん自身がこうやっていることのモチベーションがやっぱり何かあるんだっていうのはすごい感じるので、きっと幸せに亡くなるんでしょうね。[笑]

[会場笑]

[佐藤浩司] そうなんだけど、だけどゴミ老人って本人にとって大切なものが他の人にとって大切と思ってくれないというところからゴミになるわけですよね。美崎さんの情報は今皆さん共有できる体質のものだけど、自分しか共有できなくなるとそれはやっぱりゴミになっちゃうんですよ。

[黒石] いや、でもね、不思議ですよ。人ってそれをゴミと思うかどうかってすごくそれも不確定で、小林さんのことをそれまではみんなが評価していなかったんですが、東京江戸博物館[169'02]で展示やったり日本女子大で展示やったりしたら「すごい素敵だ」とかいう人がいっぱい出てきて、その家後と全部保存しようって佐藤さんばりのそういう運動が起きているんですよ。 [佐藤浩司] 40年経ったらここで美崎薫展やりますから。

[久保隅] すみません、久保隅ですが、最後に今美崎さん、皆さんやるんじゃないですかっておっしゃっていたんですけど、

[美崎] ええ、やりますよ。

[久保隅] どうしてそういう風に思われるのかっていうのが非常に興味あるんですよね[169'34]、写真もいろいろ調べてみるとわりと男性って記録マニアの方が多くて、DVDとか時系列のラベルを付けて見なくてもとっておく方って結構多いんですよね。女性はわりとそういうのは面倒くさくてやらないけれども、見るのは楽しむんですよ。なのでそういうモチベーションがわりと分離しているから全部記録することというのと活用することっていうのができない方が多いというか、できない状態にあるのかなぁという気もしてはいるんですが、美崎さんはなぜみんながそうやって楽しめるという風に、楽しむ未来がやってくるとお考えなんでしょうか?

[美崎] まず技術がだってすごく敷居が低くなっているっていうのがあって。もうみんなやり始めってるって。だからデジカメでいっぱい撮るとか、携帯で撮り始めているとか。プログで日記書いてるとかミクシーやってるとか。だから全員が全員やるとは思わないけど、そういうのをやり始めているという兆候はあって。僕はだってさっき自己紹介聞いていたらみんな記録好きですとか捨てられませんとかいう人ばっかりだった。これだけいればきっとみんなやるだろうという。

[久保隅] 実際この中で同じようにやられている方はいらっしゃるんでしょうか?

[美崎] 初めて聞くとそんなにすぐにはやらないと思うんですけど、野島さんとか絶対やる。

[野島] 僕ならやりますね。

[美崎] ですよね。あと、この話をしていてやり始めましたっていう人はちらほら出てきているんですよ。

[久保隅] それは記録をすることとそれを見て活用すること両方やってる?

[美崎] 見て活用する。そうそうそう。なのでそういう文化を作っていけばやるだろうなぁ。

[野島] ただ例の、何年くらいは辛い時代があったんでしょ?

[美崎] そうですね。

[野島] リンクがつながるまで。

[美崎] そうそうそう。

[野島] そこまで行かないでやめちゃう人が多いんでしょうね。

[美崎] だと思います。

[野島] ウェブの場合もそうですけどね。ウェブページ作る場合。

[美崎] だからそこの敷居をもうちょっと下げることができさえすればみんなやると思います。

[佐藤浩司] 時間がそろそろ参りました。

[久保隅] あ、はい、すみません。

[佐藤浩司] ここで15分間だけ休みたいと思います。

[野島] じゃぁ3時10分、あ、4時10分。

[佐藤浩司] 4時10分から始めます。[171'46][懇親会の話][172'33][終わり]




夢のなかで死者と出会う

[佐藤浩司] じゃぁ時間になりましたので後半始めます。 「エフェピグミーの死生観」ということで澤田昌人さんにお願いします。 じゃあよろしく。

[澤田] 初めまして、澤田です。 ここにおられる方のうちシィー・ディー・アイの加藤さんとあと久保さんだけは、「初めまして」ではないのですが・・・。

[加藤] お世話になりました。

[澤田] あと佐藤さんぐらいですか、存じ上げているのは。 京都精華大学の澤田と申します。 お手元にある「森の死者と家の精」という私が1998年に書いたものは、佐藤さんの『住まいをつむぐ』の中に書かせて頂いたものです。これが出たその年の夏に、この調査地に行ったんですが、1998年の8月に行ったんですが、調査を行おうと思ったら戦争が始まってほうほうの体で逃げてきました。それ以降治安がよくなってないのでまだ出かけられないという状態です。 これ表紙のところに致命的なミスがありまして、 「キンサシャコンゴ」ってなってるんですが、これ「サ」と「シャ」が逆で「キンシャサコンゴ」だったのです。

[佐藤浩司] 付箋が貼ってあって、再版する時には直すんだけれど再版ないんですよね。

[澤田] アフリカ中央部のコンゴ民主共和国というところに1985年から行きまして、都合前後7回ぐらい行きました。 98年まで7回ぐらい行って、それから2004年に至るまでなかなか行けていません。 今も行くために経由するところの治安が悪いので行けていないです。 まぁ現地に行けば何とかなるんですが、現地に行くまでがちょっとしんどいという状態でなかなか行けていません。

私はそもそも理学部にいまして、理学部にいてピグミーのところに行ったら歌と踊りがあまりにも素敵なので、歌と踊りをやってしまって、それで歌と踊りの話を調べていくうちにだんだんエフェピグミーの、いわゆるなんていうんですか、生きていたり死んでいたりするということは一体どういうことなのかというような世界に惹かれていって、佐藤さんの本なんかにもいろいろ書かせて頂いたというような経歴があります。 なんで思い出の研究会でこういう話をするのかというのは、一番最後になったらなんとなくわかって頂けるかもわかりません。

アフリカのピグミーの歌と踊りというのはたいへん有名なんです。 最近はもう収集してませんけれども、一時期は1年に1枚か2枚ぐらいは必ずCDが出ていました。 まぁいわゆる現地録音と称していろいろCD出しているんですけど、ほとんどがクソみたいな録音で。 僕が装備さえあればもう決定版とってやるのにと思っていたんですが、と思っている間に戦争が始まってとれなくなっちゃって。

ビデオでご覧になって頂く歌と踊りが何種類もあって、私は「これは何々という歌です」って言いますけれども、ほとんど全ての歌と踊りはその起源が知られています。起源というのはこの歌が始まったというのはどういう経緯であったか、というのが言い伝えられていたり、あるいはこの歌を始めた本人そのものがビデオの中にも出てくるのがありますが、「この歌はこういうこういう風にして始まったんだ」というのが明らかになっているわけです。 いわゆる伝統音楽で名も知れぬ人が始めて、ずっとそのまんまやっているということではなくて、何十年か前であっても歌と踊りを始めた個人が特定されている場合が多い。もっと大昔のヤツは個人が特定されていないものもまれにはありますけれども、そういうものはほとんど現在では歌い踊られるということはない。 なぜかというと次から次へと新しいレパートリーが誕生し続けていて、現在もおそらく誕生し続けていると思います。

[8'09]その誕生の仕方というのは、ほとんどの場合は亡くなった人たちが夢の中に出てきて歌と踊りを踊ってくれて、それで目が覚めて、その夢の中で見た歌と踊りをみんなに教えて、それでやりますよという仕組みになっているわけです。 で、夢の中で見ていないというものもまれにはありますけれども、それは大体森の中で一人で狩りかなにかしている時に、森を歩いている時に聞いたと。 死者が森の奥で歌と踊りを踊っているのを聞いたのだと言われます。まずビデオを簡単に見て頂いてどんな感じかという様子をご覧ください。

[佐藤浩司] 電気を。

[9'31][ビデオ始まり]

[澤田] 音こんなもんですか。

[佐藤浩司] これはこんなものですね。

[澤田] アフリカのピグミーは全体的に有名なのはこの濃密なポリフォニーでして、ここに大体、

[須永] これをそちらにもっていくと(マイク移動)[10'00]

[澤田] あぁ、なるほど。 あぁ、それ。 [ビデオの音声が大きくなる][「ウワラ」のビデオ]大体20人ぐらいいると、20通りの声を出しているんですよ。 はっきり言って同じ声を出している人は一人もいないです。 じゃぁレパートリーが全部分かれていて、それを分担してやっているかというとそんなことじゃなくて、次の人が入ってきたら自分がどういう声を出すかというのはもうわかってるわけです。

そんなことが人間本当にできるのか。 他の人の声を全部聞いて、自分がどこにどの音を入れるのかということをこの人達は本当にやっているのかということについては、やっているとしかいいようがないです。 こういうのを小さい頃から聞いているわけですから。 ここら辺にもいますでしょ?ね?歩けない乳児のうちから背中に負ぶわれてこういう濃密なポリフォニーを聞いているわけですね。

これは現地では「ウワラ」と呼ばれている曲ですけれども、僕が調査していた頃は大人気曲でしょっちゅうやってました。 これは夢の中じゃなく、森の中でこういう歌が聞こえてきたというので伝えられた曲ですね。 森の中で聞いた本人は亡くなっていますけれども、この息子さんにインタビューしてそういう話を教えてもらったことがあります。 まぁいろんな声が出ているというのがわかってもらえると思います。

[12'53][「オベロチ」のビデオ]これが「オベロチ」。 「オベロチ」っていうのは夢に見た歌という意味なんですけれども、ここにいるおじさんは夢に見た本人です。じっと音だけ聞いて頂ければ、一人一人全然違う声を出しているというのがわかると思うんです。[14'33][ビデオ止まる]ピグミーの説明もせずにこういうのを出すとまずかったかもしれませんが、時間もあまりないので簡単に言いますと、アフリカの熱帯森林でこういうキャンプを作って[15'05][再びビデオ始まる]、主に狩猟の最中とか、あるいは小さな畑を作ったりして暮らしている人たちなんです。 家は、ここの奥に見えますけれども、葉っぱでドーム型の家を造っているんです。 [15'33][ビデオ止まる]どうも。 電気をお願いします。

それで私は1985年からピグミーさんのところに出かけてキャンプに一緒に住んだりして、歌と踊りとか、様々なインタビューとか、生活、生業活動の記録とかを続けてきたわけですけれども、歌と踊りというものがこの人達の生活の中心のひとつなんですね。 一体何をやっているかというと、寝る、起きる、ご飯食べる、狩猟採集に行く、歌い踊る、ですね。 何が一番楽しいかというとこれが一番楽しい。

歌と踊りはなにかのお祭りの時にやるんですか?と聞かれるんですが、お祭りの時にやるというわけじゃなくて、やりたいからやるというのでしょっちゅうやっています。どこかで太鼓が鳴って歌と踊りが聞こえてくると近隣のキャンプから暗い夜、新月の夜でもほとほとと森の中を数人ずつ連れだって集まってきてだんだん声が大きくなって盛り上がってきます。そうするとまたもっと遠くから人が来るという具合で夜を徹してやることもあります。 じゃぁそれなんでやってるの?っていったら、娯楽でやってるということで。 それがたとえば、場合によったら夕方から翌日の明け方までやってるということは珍しいことでもなんでもない。 特別の機会だからそれだけ力を入れてやっているというわけじゃなくて、普通にそれぐらい一生懸命やっているということです。

で、先ほど言いました「死者にどのように教えられたのか」ということで事例を2つほどあげたいんです。事例1というところに「シンバの乱」というのがありますが、 これは60年のコンゴ独立直後から始まったコンゴ動乱の中で、もっとも大きな反乱の一つに シンバの乱というのがありました。 そのちょっと後のことだから1965年か66年ぐらいのことではないかなぁと思いますが、アビオンという男の兄弟であるパムカバというのが死んだ。 そのとき喪に服して、喪に服するということは小屋の外で寝るということなんですが、小屋の外で寝ていて、その喪に服す期間が終わって小屋の中で寝るようになった時に、夢の中にパムカバとそれ以外の死んだ人が出てきたのです。 これらの人々がオベというものを歌い踊っていました。 で、アビオンは夜中にそういう夢を見たということをキャンプの人に伝えて「イエレ」というオベを始めましたということですね。 これはアビオンの息子か娘に聞いた話です。

[19'38]事例の2は、だいぶ最近のことで、これは本人に聞きました。 本人はマタロールというピグミーの女の人ですけれども、もう亡くなりました。ちょうど1985年の頃だそうです。 僕がそこに行きだした頃だといっていました。あるキャンプで夜寝ている時にマタロールが夢を見たんですね。 夢の中で色の薄い女達のいるキャンプにいたけど、男も女も子供もいる大きなキャンプだったそうです。 彼らは自分を見てびっくりしたような声を出して歓迎してくれたと。 ところがその歓迎してくれている人たちの中に、亡くなった父の姉であるとか、もう亡くなっていたが夫の母方の叔父もいたと。 で、彼ら死者が目の前で歌と踊りを踊り出しましたということですね。それで起きてからマタロールはこの夢で見た歌をすぐ歌い出して、夫もこれには驚いたそうです。このインタビューしている時に夫は横にいて「それはびっくりしました」といってましたから、まぁそうなんでしょう。 夜キャンプで寝ていたら嫁さんがすくっと座って手を叩いて歌い出しちゃったといっていました。

この2例しか出していませんが、基本的に、ある歌を聴いてその歌の題名を聞いて、そしてそれを始めた人というのが特定される場合には特定して、その人のところに出かけていって、その人が亡くなっている場合には親戚なんかに聞いたら、ほとんどもう百発百中こういうパターンで歌というのが始まるわけです。つまりこの世で、この世でっていうのはいわゆる我々が見たり聞いたりできる世界での歌と踊りはほとんど全て死んだ人から教えられたものであって、今その歌を歌い踊るということは結局夢の中で自分が見た死者というものが歌い踊っている、その歌と踊りをなぞっているということになるわけですね。 [22'52]現在やっている歌と踊りというのは死者もやっている。 実はそのオリジナルは死者の方にあって、現在の我々の方はそのコピーをやっているということになるわけです。踊っている人たちは、もちろんそれが誰それが夢の中で見て、その夢の中では死者が歌い踊っていたんだということもわかって歌い踊っているわけです。

そういうことの一つの理想型としては、死んだ人と生きている人が想像の中で一緒に踊っているということがあるのかも知れないと思っていました。すると次の事例3のような夢を聞きました。夢の中でその女性はある歌と踊りを別の村に伝えるために森の中を歩いていました。 そうしたらその途中森の中で死者達に出会いました。死者達はみんなエフェピグミーの女の人たちでした。死者は自分が行くはずの村で私と一緒に踊りたいと頼んできたので一緒に出かけました。 で、村について歓迎を受けて、私は歌い始めました。 死者達はまず村はずれの森の中に待機していて、私の歌に応唱したわけですね。 3回歌って彼らが3回応唱し、いよいよ死者達が村の広場に出てきました。 そして歌と踊りはたいそう盛り上がった。 この時点でどういう状況になっているかというと、その村に住んでいるのは別に死んだ人たちが住んでいるんじゃなくて、基本的には生きた人たちが住んでいるということです。 この村というのは実際にある村のことであって、そこに行った夢を見たわけですからそこの土地の人と一緒に、死者が混じって踊っていたという状況なんですね。 で、「すごく盛り上がりましたよ」というんですが、この夢には実は続きがあって、へんてこな話ですが、この歌と踊りをやっている最中にその村で人が死んでしまったんですね。 人が死んでしまったって、死者が出てきているのに人が死ぬというのも変な話ですが、まぁいいんです、夢ですから。 人が死んでという話が続きます。

ところが、一緒に踊っていた死者が「よっしゃ」っていうのでこの死んだ人間を薬を用いて生き返らせて、歌と踊りがますます盛り上がったというのです。 なんか深読みしたい心理学者の人にはすっごく面白そうな話ですが、まぁ僕はどうせ夢だからそれ以上は解釈しないでおこうと思って放ってあります。まぁいずれにしろ死者と生者が一緒に歌い踊るということも夢の中では出てくるんですよということです。

じゃぁ死んだ人はどこにいるんでしょうか?ということなんですが、実は死んだ人は遠い世界にいるのではなくて、実はそんなに遠いところには住んでいない。 大体死んだらどこに行くんだ?という風に聞くと、森の奥に住んでるというわけです。 森の奥というのはなかなか人間が行くところではありませんが、それでも森というのは人間が利用する世界であって、実は森の中で時々知らない人、あるいは死んだ人とばったりと出会うことがときどきある。 そういうことがあるので、なおさら森の奥に死者が住んでいるんだと、死んだらそこに行くんだということを確信する根拠となっているんですね。

事例の4ですけれども、ある男が結婚前の若者だった頃にサルを毒矢でしとめるために朝早く森に出かけたら、目の前を知らない男が通り過ぎた。 「あれ?」と思ったら、もうその姿は木々の間に消えてしまったという話です。 誰だか見覚えはなかったと言います。本人は森の奥に住むという死者と偶然出会ったのだと考えています。 [28'14]実際、見えないものが急に現れて見えるようになったという風に語られてない点に注意して頂きたいんですが、実際にいるということになっているんですよね。森の奥に必ずいて、それが普段見えなくて出てくるんじゃなくて、いるけど出会わないだけなんですよ、基本的には。

事例5というのは、これは夢の中に出てくる死者のイメージですが、死者が全然別のところに住んでいるという感覚がよく出ているので出しました。アピトコ君っていうのは私の無二の親友ですが、これはエフェじゃないんですけれども、エフェと共存している焼畑農耕民ですが、「バレセ」っていう民族の青年です。 ただアピトコ君のお父さんのお母さんはピグミーさんつまりエフェなんですね。 アピトコ君の母方の叔父が亡くなったんです。夢の中でアピトコは叔父夫婦と一緒にヤシ酒を飲みに行きました。叔父さんの奥さんは当時健在でした。飲み終わったあとアピトコ君と自分の妻におじさんは、「君たちは戻りなさい」と言うわけです。 「私も戻るから」といったんですね。 「どこへ戻るんですか?一緒に村へ戻りましょう」といったら「ずいぶん前に村を出たので、そこには私の家はない」と。 「今の私の村は別にある」といって自分たちを村近くまで送っていった。 で、そのままどこかいってしまって、目が覚めてアピトコ君は夜中さめざめと泣きました。

結局森の中で死者はどのように暮らしているのだろうかということのイメージを聞くと、森の中でも生前と同じ暮らしていると答えます。森の奥にある山のいくつかはその山の上に死者の村があるといわれています。 人々の話し声や、飼っている鶏の鳴き声が上から聞こえるといわれています。 下を通りかかった時に上から声がかかる時もあるという風にもいわれていますし、「そのような声を聞いた」という人はそこら辺にたくさんいるわけです。

夢の中で死者の村やキャンプを訪れる例もしばしばあるので、もう人々にとって死んだら死者っていうのが森の中に暮らしているということについては、ほぼ疑いなく受けとられていると考えていいのではないかと私は思います。

また死者はいろんなことを教えてくれます。 いろいろな生活技術を夢の中で教えてくれます。 事例6は矢毒の製法を教えてくれたという話です。 矢毒っていうのはサルを撃つ時に使うんですが、サルは木の上にいますのでなかなか弓矢があたりません。 そういうものを打つ時に高価な貴重な鉄製の鏃を使うのではもったいないので、毒矢を使います。実は新しい毒矢の作り方、毒の作り方っていうのは次から次と開発されているんです。いろいろな植物とかいろいろな動物の部位なんかを次から次と試していますが、そういうものの作り方というのは実は秘伝のものでありまして他人には教えない。その製法を知るには2通りの方法しかなくて、1つはすでに知っている人から鶏とかかなり価値のあるものと交換に教えられる方法が一つ。 もう1つは夢に見る方法です。 夢に見て、それは大体死者によって教えられるんですが、この2通りしかない。 ということは、もともとは全部夢に見たということになるわけですよね。 [34'45]知ってるのは全部夢から来るわけですから。 もともとは全部夢の中で死者から教えられたということになります。 こういう例は実は矢毒だけじゃなくてほかにもいろいろあるんですけれども、まぁこの場合は矢毒で。 お父さんが夢の中に出てきて教えてくれたという例ですね。 お父さんが生きている時には教えてくれなかったんですね。 死後だいぶ経ってから夢の中で教えてくれたんだといってました。

事例7はまたアピトコ君が出てくるわけですが、ヤシ酒を長持ちさせるには呪薬を使います。ヤシ酒を作るにはヤシの成長点を切りますので2週間ぐらい経つとヤシそのものが枯れてしまって、ヤシ酒が出なくなるんですね。 ヤシの木1本それでパーになるわけですよ。そこら中にみんなヤシを植えているんですけど、樹液がよく出るようになるまでにはやっぱり5年とか、どれだけ条件がよくても3年とかかかるんですね。 ですからヤシ酒、つまりヤシの樹液(自然に発酵してヤシ酒となる)をちょっとでも長くのばすような呪薬というのがあって、それを知っている人にわざわざお願いしてヤシ酒を作るために上のところを切ってもらうんですね。 それを知っている人は当然報酬を要求しまして、お金じゃなく毎回ヤシ酒をしこたま飲ませてもらうということなんです。 だからそれを知っていると、はっきり言ってヤシ酒に不足することはないわけですね。 そこら中からお声かかりますから。

というのでアピトコ君は夢の中でヤシ酒の呪薬を教えてもらったんです。 夢の中で寝ていたら起こされたというんですが、「おまえがマボンド、つまりヤシ酒の下準備するという男か」と死者がアピトコ君に言って、「そうです、私はマボンドをヤシ酒が出るように先端を切る技術を持っています」と彼が答えると「教えに来たぞ」というので「薬はどこにあるんだ?」と聞いたら「ここにあるからおいで、一緒に行こう」といって村はずれに入っていった。 この村はずれというのは自分の家の近くの村はずれなんですね。 で、夢の中で村のはずれに実際ある道をたどっているわけですよ。 彼らは薬となる植物を私に示して「これだ。 これをヤシの根元に打ち込みなさい」と教えたそうです。 「この木を打ち込んだならばおまえのヤシの木はほかのどのヤシの木よりも長くヤシ酒を出すだろう」。「どうもありがとうございました」というと彼らは行ってしまった。 で、二人の男が教えてくれたんですが、そのうち一人は死んだ人でした。 一人はまだ生きている人でしたけれども。夢から覚めてから夢の中で出かけた場所に行ったんです。本人が夢の中で出かけた場所に行くと夢の中で教えられた場所に、その夢の中で見た通りの蔓植物があったっていうんですね。 自分はその蔓植物がそこにあるのは今までは知らなかった、記憶になかったという風に主張していました。で、そういう蔓の植物が本当に効くのかどうかというのは確かめてみるつもりだという風にいっていました。 そのあと、僕は聞いたんですよね。 「君、前言っていた夢の中で男達に教えられたヤツ、効いたか?」って聞いてみたことがあるんですよね。 そうしたら「効きました」ということでした。 「最初のうちは効いたけど、そのうち効かないようになりました」といっていましたね。 まぁ薬っていうのはそういうもので、矢毒にしてもそうなんですが、効く時もあるけれども効かない時もあるという程度です。

ほかにも小さな川で魚を捕るための魚毒っていうものがありますけれども、これを作るにもいろいろな方法があって、ほとんど全部秘伝で誰にも教えませんので、製法については私たちはほとんど知ることがありません。 なんか言ってくれたら大体それはおそらく嘘でしょう。実際に自分の子供にも教えないというのが普通ですから。このようにして死者は生活の様々な技術というのも教えます。 歌と踊りだけではない。

ほかに生きている人間の生活態度がけしからんといって死者が怒ることがあります。 その場合は必ず現在の生活が正統的な伝統的な生活から逸脱しているという点を指摘して、指弾するわけですね。 事例8はあるエフェの男の夢で亡くなった彼のお父さんが出てきた。「クシマンブ」っていう樹皮布のふんどしをつけて亡父が一人で出てきたっていうんです。 近年では樹皮布のふんどしをつけている人はほとんどいません。 だいたいカトリックミッションだのなんだのが短パンを配っていますので、ぼろぼろの短パンですがそういうものを履いている人たちが多いです。 で、樹皮布のふんどしっていうのは、いわば伝統的な衣装です。亡くなったお父さんは「私たちのキャンプ」、つまりアンディリという地域にいるアンダンジというキャンプに来たんですけれども、キャンプのアンダンジのピグミー達みんなにこういったのです。 「なんでおまえ達は最近森の中に行かないんだ」。 つまり「狩りに行かないのだ」と問いつめたわけです。「お金を手に入れるために私たちエフェの生活の道というのは森へ行くことしかない。 おまえ達キャンプの子供らは森を歩くことなくいつもぶらぶらこんなところにいる」というので、そう言われたキャンプの連中は夢の中で狩りに出かけたわけです。

[43'46]エフェだけじゃなくて、付近に住む焼畑農耕民のバレセも同じような夢を見ることがあります。身近な親族の男が夢の中に出てきたという話があります。マスキーニっていうおじさんに「おまえはなんの仕事しているのか?」と聞く。 バレセは焼畑農耕民ですから「畑の仕事をしている」と答えると「畑の仕事道具なんて持ってないじゃないか」といわれたということですね。つまりもうちょっとまじめに畑の仕事せんかいといわれていたんだとマスキーニさんは解釈しているのです。 死んだ人が夢の中に出てきて、生きている人間に「こんな生活しとったらいかん。 まじめに焼畑農耕なら焼畑農耕の仕事をして、狩猟採集民は狩猟採集に出かけろ」というわけです。

ちょっとレジュメから離れて話はちょっと変わりますが、夢占いというのもあります。 夢占いというのはあるんですが、どうしてそれがそういう解釈になるのかということについては誰も説明できないんですね。

たとえば夢の中で、蜂蜜だとかミツバチ。蜂蜜はエフェの大好物ですけれども、蜂蜜とかミツバチというものを夢に見たら誰か死ぬとか死んだとか、そういう意味だといいます。夢の中で魚を見たというと、人が死ぬということになってるんですね。 なんで魚を夢の中で見たら人が死ぬことになるのかというのはわかりません。 もしかしたら正夢かもと思う時もあるんですね。エフェ自身が。 たとえば夢の中で森の中のバッファローをしとめた夢を見たというので、それから数日経って、そのキャンプの人たちみんな森の中に入っちゃってるんですね。 どうして入ったのかなーと思って他の人に聞いたら、夢に見たのでもしかしたらとれるかもしれないというのでみんなで森の中に行きましたといってました。 1週間ぐらい入っていたんですが全然とれなくて帰ってきました。 「夢で見たのにとれなかったね」っていいましたら「まぁ夢だし」というこたえ。 「まぁ夢はそういう時もあるし」っていってましたね。 [47'20]健全な感覚を持ってると思います。

ピグミー達は死んだら森の奥にいって先祖達と一緒に住むんだという風に考えています。 そう考えているけど、だんだん森の中で先祖がたまってきたらどうなるんだ?と。 そこら中死者だらけでということになりますが、まぁそんな計算まではしてない。で、もうちょっと言うと、死んだ人間がもういっぺん赤ん坊としてメタモルフォーゼするという感覚もどこかにあるという気もするんですがちょっとまだきっちりと調べ切れていないです。 で、森の奥にいって先祖達と一緒に住むのだとほぼそういう風に考えています。

キリスト教徒を自称するエフェも多いのですが、彼らと真剣にその辺りのところを議論したことはない。キリスト教徒の場合どこに行くんでしょうか。 天国に行くのか、森に行くのか、それとも森の中が天国だと言い張るのか。 あるいは森の中に神様がいると言い張るのか、まぁその辺りは議論したことはないですが、基本的に天国と森の奥というのは別々のものだと、キリスト教の宣教師たちはいっています。 つまり不信心者が死んだら森の中に行くのであって、信仰の深い者はみんな天国に行くんだと。森の中にいって、「シェターニ」っていうんですが、シェターニって言うのはスワヒリ語で「サタン」のことですけれども、森の中の死者のことをキリスト教のミッションの人たちはサタンといっているわけですが、ああいう連中と一緒に暮らすということになっては困るから信じなさいという風にいっているわけです。

事例10のバレセのおじさんは敢然とそれを拒否しているわけですね。「わしは死んだあとキリスト教の神様のところには行かないね」といいだしたんですね。 「行きたくないんだ」と。 「なぜかって?人間生まれた時は無垢だが、2,3歳になるともう嘘をつくことを覚えたりして罪深い身になってしまう。 大人になったらなおさらだ。 他人の女房を見て情欲を感じたことのない男なんているか」。 「いるか」と問いかけられたので、「うぅ~」という感じになりましたが。 「これはキリストによれば罪だという。 あんたもそうだろうが」といわれて「そうやそうや」という風に思いましたけれども。 「わしも罪だらけの人間さ」と言うのです。 「ところが神様は完全でまったくよき存在だというじゃないか」と。 「そんな立派な方のそばにこのわしのような罪深い人間は恥ずかしくて行けやしないよ。 わしは死んだら森の中で暮らし、歩き回るんだ。 天国になんか行かないよ」というんですが、この老人はキリスト教の教えを知らないわけじゃないんですね。 彼は若い頃カトリックミッションでボーイとしてかわいがられていて、有名な神父さんにかわいがられていて、当然教会なんかにもちゃんと行っていたりなんかするんですよね。 行ってたりするんですが僕にはこういうことを言う。 教会では当然「天国に行きたい」なんて言っていたんでしょうけれども。 僕にはこういうことを言うんですね。

いろいろな話のついでに、「じゃぁ僕(澤田)が死んだらどこに行くんだ?」という話になったことがあります。「当然おまえは死んだら森の中だ」と。 「死者が住むという有名なあのなんとか山の上におまえは行くに決まってるんだ」と言われました。別に世界中のどの人間もみんな森の奥に行くなんていう、いわゆるキリスト教徒以外のすべての人間が森の奥に行くと考えているのではなくて、毎日共に暮らしているというか、同じキャンプに家作ってそこに暮らしている相手(澤田のこと)は死んだらどうせ皆と同じ場所に行くと想定しているということなのでしょう。死体が地中で骨になることは当然知られていますので、「死体が地中で骨になっているが、死者は五体満足な人間の姿で森を歩いているって一体どうなってるんだ?」と尋ねますと、骨は地面の中にあるけど自分自身というのは森の奥に行くんだと答えます。

最後にまとめとして、私が今まで彼らの死生観について考えてきたことを書いてみました。 今までお話ししたように、エフェの生き方には先祖、すなわち死者と同じ生活への強い指向性が見られるんですね。 歌と踊りも死者に教えられる。 生活の様々な技術も死者から教えられる。 で、死者から「おまえはちゃんと生きてない」といわれる。 だからちゃんと生きないといけないなぁという風に一応反省はする。死者、あるいは先祖というところから現在の生活というものが導き出されるという説明の仕方を彼らはするわけです。 ご想像の通りこの地域のカトリックミッションとかプロテスタントミッションの人たちというのは、ピグミーたちをなんとかキリスト教化しようと何十年も前から多大な努力をしてきましたけれども、非常に限定された形での成功しかしてないですね。 [56'28]説教の形ではなかなかキリスト教化しない。 説教だけではなかなかキリスト教化しなくて、どういう場合にキリスト教に一気になだれ込んでいくかというと、たとえば地域で金の鉱脈が発見されてピグミーたちが狩猟採集を全部やめて砂金採りが生業になってしまった場合とかですね。砂金採りが生業になって、ほかの地域から人が入ってくるのでそこら中の森の獣を取り尽くしちゃって、もう狩猟採集なんて全然できなくなって砂金採りばかりやって、それで手に入れたお金によって自分の食べものを市場で購入するという、生活様式がまったく変わった状況になった地域では非常に急速にキリスト教化していくということが見られます。しかし私の調査地は残念ながら砂金も出ないしダイアモンドも出ないし、なんにも出ないのでいくら努力してもなかなかキリスト教を受け入れてもらえないですね。

人は死んだら天にまします神のもとへ行く、あるいは「人は死んだらゴミになる」という考え方はまったく共通点がないように、正反対の考え方のように見えますけれども、エフェやバレセの死生観と対比させれば2つともよく似ています。 どこがよく似ているかというと、いずれも死んだらこの世での生活とはまったく無縁になるという主張をしているところが似ている。 エフェの場合は死んでもこの世に住んでいて同じようなことをしている、ということが考え方としてあるわけです。 ですから、生きている人間と離れたところに死者の世界があるという風にはエフェは考えないのです。ゴミになるにしても神のもとに行くにしても、この世の生活と切り離されたところにいってしまうという風に考えてしまっているわけですね。 これに対してエフェやバレセは死んでも同じ森に住み生前と同じ生活を営むということになっています。 だから死んでも死者の世界に移ったところで、自分の生活は変わらない。 変わるという風には想像していない。 同じことをやっていると想像している。 歌も踊りもある。 どうせ喧嘩もある。 こういう世界観を世代を超えて持ち続けるためには何が必要かといいますと、ある世代がその生活様式を劇的に変えるということがあってはならないはずなんですね。

先ほど言いましたように、金鉱が発見されて獣が取り尽くされて、自分たちも砂金掘りにならなければいけないような状況になったピグミーさんたちが自分たちの世界観というのを完全に捨てて、キリスト教に雪崩をうって移行していったという話をしましたけれども、こういう世界観というものが維持されるためには、世代世代が前の世代とほぼ同様のことをやっていかなければ維持できない。 しかも自分たちが狩猟採集をやっているということの意味というのか根拠というのは以前の世代にあるという風に思い続けなければならないわけです。 当然近代というものはそういう世界というものを前提にはしておりません。しかしきつい言い方をすれば、子供の世代によって親の世代を否定するということをずっと繰り返していくというのが近代の世代のあり方であって、自分の世代がその子供の世代によって否定されるということも前提にしている、そういう社会だと思います。 ですから近代の社会に於いては、自分の生き方の普遍性に確信を持つということは、これはあり得ないわけで、自分の生き方を後の世代がなぞってくれるということを期待することはほぼできない。 期待できるのはおそらく政治家であるとか、タレントといった非常に限られた人たちじゃないと親と同じようなことをしないということです。 [63'23]

死んでゴミになると思っているんだったら、本当にそれを確信しているんだったら、最終的にはゴミになるんだったら、この世の中で倫理というものがそもそも成り立つのか。 なんでもありでええやないかということになりはしないでしょうか。 なんでもありであっても死んでゴミになるんだったら構わないはずだと。 ところが死んだあと先祖と共に伝統的な暮らしをするということになってますと、死ぬ前に今まで言いたかったこと、大げんかをしてやれと思ってやったら、死んだらまたその相手と一緒に暮らすわけですからね。こんなたまらないことはない。 基本的にこの世の生き方というのも、最初から決まっているわけだし、死後も先祖と一緒に生きるということになっているわけですから、自分のやるべきことについての不安というものに陥りにくい。更にもっといえば超越神のところに行ったりゴミになったりしてこの世とのつながりが切れてしまうということは、基本的にこの世界の社会とか環境に対して生きている人間の責任が決定的には問われないという世界観にもつながります。 死後の世界がすぐ近くにあって、森であるということを思っているエフェやバレセが、自分たちの手で森をなくしてしまうということはあり得ないわけです。 死んで行くところがなくなりますので。

ところが超越神のところに行く、あるいはゴミになるという風な世界観を持っている場合に、今ある環境とか社会関係、これを基本的に大事にしなければいけない根拠というのは死に近づけば近づくほどなくなってきますね。 いわゆる年齢が行けば行くほど我々はそういう責任というものについての感覚がなくなっていくということが想定されます。超越神の所に行く、あるいは死んだらゴミになるという思想というのは、論理的な帰結としてそういう危険性を持っているということをここで指摘したいと思います。 これは近代というものが現在の環境、社会関係というものについて無頓着である大きな理由だと思っています。 ただそれに棹さすような動きというのは当然いろいろあるわけですね。 いわゆる環境保全運動とかなんとかいろいろありますけれども、こういうものは基本的には僕は、いわゆる超越神の世界観から出てくるものではないと思っています。

簡単にまとめさせて頂くならば、エフェピグミーという人たちは自分たちの生きている世界というものが、基本的になぞっている世界であって、これは死者の世界をなぞっている。 なぞっているのを言い換えたら、思い出しているといってもいいですけれども、なぞっているというイメージで暮らしていると考えるのが一番わかりやすいかなと思います。「夢の中で見る歌というのは、実は我々が」、我々というのはこれは死者も生者も同じ遠い昔の話です。 「遠い昔我々が歌い踊っていたものを死者がずっと覚えていて、我々の方はたまたまそれを忘れてしまっていた。 そこで死者のキャンプからそれが伝わってきてここでやっているんだ」というような言い方をするわけですね。別の言い方をする人は、「昔我々には死というものはなかったんだ」と。 [69'41]ずーっと同じ人間が同じ世界で同じことをやり続けて、まぁ無時間ですよね。 時間というものも世代というものも基本的にはなかったというイメージを語る人もいます。 結局ずっと死というものがなくて、ただ死というものができてしまったが、その死というものによって分けられているはずの先祖と我々というのは実は今でも交流している。 なぜかというとそれはもともとこの世界には死というものがなかったのであって、たまたま死というものがあって生者と死者が離れているように見えるけれども、元来はやっぱり一つなんだというようなイメージで語れるのではないかなと思います。[70'31]




討論2

[佐藤浩司] 最初に僕が聞いてしまいますけど。 人は死んだらゴミになるって、ちょっと調べたら、なんか宗教による教義とか、その[聞き取れない][70'45]を否定しているだけで、別に本人がそういう、むしろ虚飾を廃するとかそういう方向の人のような気もするんですが。 [?][70'55][聞き取れない]は質問なんです。 それでこのピグミー達が死んだ人たちが同じ世界に思っているのは、これは宗教って我々呼びがちだけど、宗教じゃないんですよね?それは、たとえば夢を見るというけど、我々が夢っていっているのは現実とはまた違う世界の話で、「あぁ夢でよかった」ってそういうことが成り立つ世界だけど、彼らが「夢を見る」っていうのかどうかわかりませんけど、彼らが見る夢は、夢と現実の夢じゃなくて、ある意味きわめて現実的な[71'30]ものですよね?ものなんですよね、きっと。 想像するに。 [71'36]それでだから僕らはもう死んだらゴミになるという世界観しかたぶんもてないんだろうと思うんですが、[聞き取れない][71'46]。 美崎さんがやっているようなこととか、さっき美崎さんもいいましたけれども、200テラバイトあればその人の人生なんか全部記録できちゃうんだけどそういう世界が現実に起きつつあるとして、皆さん全ての人の人生がどこかにためられて、人生というか記録したことが。 記録したことがためられていて誰でもいつでもそれをアクセスできて[聞き取れない][72'11]できちゃうという世の中が来たとしたら、そのとき過去を塗り替えて次々新しいことをやっていくのではなくて、なにかピグミー的な世界観がそこについてくるんじゃないかなという気が逆に僕はちょっとしているんですよ。 それで澤田さんにお声掛けたんだけど。 そういう世界について、澤田さんとしてはどんな考え方を持っています?

[澤田] 僕は死んだあとに全然別の世界に行くというのを、もうそうなんだという風に押し切って思い続けるというのは、なんかあまり楽しくないなぁという気がしますね。 ただ匂いとか風合いとかそういうものも全部記録に残せるようになったとして、それが3次元的に生前の、美崎さんなんかぽっと出てきたりして「これが何歳の頃」とか「何年の何月何日頃」というのがもし本当に出てくるとしたら、それはもうほとんど目の前を幽霊が歩いているのと一緒ですよね。この世の中にお化けがいるということの方が、先ほども言ったように死んだらどこかに行ってしまうということよりは、健全なんじゃないかなぁという気はしているんですけどね。

[佐藤浩司] ITお化けっていうものですね。

[澤田] そうそうそう。 ITお化けの場合はデータがなくなっちゃうと消えちゃうんじゃ困るんですけど。

[佐藤浩司] それはいくらでもできる。

[澤田] いやぁ、そうですけど同じ人間がいっぱい出てきたら困る。 [74'49]

[不明] ちょっとそういうときはどうするんですかね。

[澤田] だからやっぱりさっきの森の中に死者がたまるというイメージもそうですけど、これぐらいのところに人間の一生の見たものが大体入るとして、で、手のひらの上の箱に人間も何十人分の記録が入っているわけでしょ。 そうなったらもう誰も見ないんじゃないかなと思うんです。 ただピグミーさんの場合は便利なもので、忘れちゃうから。 先祖っていったって。

[佐藤浩司] 一人目ですよね。

[澤田] そう。 2代先ぐらいで。 3代目ぐらいからもう忘れちゃうわけですよね。 そういう点ではあまり森の中に死者がたまりすぎるということはないわけですよ。 忘れるというのでいうと、あるお婆さんがいて、まず名前を聞こうと思って、名前を聞いたんですね。 「お婆さん、名前なんていうの?」 お婆さんもスワヒリ語わからないですから、横にいた人が「お婆さん、名前なんていうの?」って翻訳して言ってくれた。 ずっと黙っているんで、「お婆さん恥ずかしがっているのか?」って横にいる人に尋ねたら「いや、違います」って言う。 「思い出してる」って言うんです。 それで「君らおばあさんの名前を知らないのか?」って言ったら「僕らも知りません」って言うんですよね。 なんでかっていったら、最初の子供が生まれたときから「誰々の(最初の子供の)お母ちゃん」という名前で呼ばれるわけですよ。 その人がいくら旦那変えても、男の場合は嫁さん変えたって、どんなに子供がいろんな人との間にできようが「最初に生まれた子供のお母ちゃん」という風にずっと呼ばれるので、とうとう自分が幼いころどういう名前で呼ばれていたかというのがわからなくなっちゃって忘れちゃったんですよね。 忘れちゃって途中で思い出してこうだという風に教えてくれましたけれども、それが本当かどうか誰にもわからないのです。

[野島] 野島ですけれども。 我々が考えている、たとえばここでの「思い出」と言ったときに、ただ単に懐かしむ。 なにか教えてくれるわけじゃないけど懐かしむみたいなそういうようなものはあるんですか?たとえば話してると「そういえばそういうのがいたね」とか。 逆に言うと、我々がなにか思い出すことというのが、きっとなにか理由があるから思い出しているんだから、もしかしたら違うのか同じなのかっていうのもよくわからないんですけれども。 ピグミー、エフェの人たちの中で、なにか夢を見てなんとかっていうんじゃなくて、ただ単に昔話をするというか昔のことをというようなことと言うのはあり得るんですか?そういうのが。 [78'31]

[澤田] いや、ありますよ。 昔の話でしょ?

[野島] ええ。

[澤田] 「昔こういう経験した」という話というのはいっぱい出てきますよね。 その土地土地の大事件とか自分にとっての大事件というのはどういう風にして残すかといったら、子供の名前につけちゃうんですよね。 たとえばスワヒリ語の名前で「ターブ」っていうのがあると、これはもうほとんど確実に母ちゃんがこの子を産んだときに死んでしまったという意味です。 ターブというのはいわゆる災いとかを意味するスワヒリ語です。 そういう名前が子供に付いているわけですよ。 子供の名前を見ると大体どういうことがあったかというのもわかるし、自分の親にしたらその子供を呼ぶたびにというか、そういう事件があったというのが思い出されるわけです。生まれた順番は、かなり正確に覚えています。 月単位で違っていても、必ずこっちが先だ、こっちが後だというのはわかっていますから、そういう点はきっちり正確です。 ただ絶対年代というのになるとちょっと曖昧になりますけど。

[美崎] 美崎ですが。 夢でインスピレーションを得るっていう話はすごく興味深くて。 僕もだから生きているのが夢なのか現実なのかよくわからないレベルですが。 死生観も本当に死ぬのかどうか最近よくわからなくなってきていて、なんかエフェ的な感覚があるなぁということを思うわけですけれども。 だからあの記録を見てもらって、時間が流れているのかどうか本当にわからなくなった感じがするんですよね。 過去と未来が一致している気もするし。 だから過去が甦ってくれば、夢の中で死者が教えてくれるのとそっくりな感じもするし。

[澤田] これはさっき出てきたアピトコ君っていうのが小学校の5、6年生の頃に僕にいった言葉を紹介しましょう。よく人が死ぬんですよ、向こうで。ある時1歳ぐらいの子供の首の横、リンパのあたりが腫れていて、1歳ぐらいの子供に抗生物質やるわけにもいかないからタイガーバームでも塗ってごまかしておいたら、翌日死にましてね。 「困ったなぁ」と思いました。 まぁタイガーバーム塗ったから死ぬということではないんですけど、困ったものだなと思って、その10歳そこそこのアピトコ君に20代後半の僕が「いやぁ人間簡単に死ぬんだなぁ。 たまらないなぁ」ってな愚痴をこぼしましたら、そのアピトコ君は「まぁそんなもんだ」というんですよ。 「そんなこというけどお前だって明日死ぬかもわからへんぞ」っていったら「そうですよ」っていってましたね。 そういう感じで子どもでも生きているんだなぁという気がします。

[野島] あと。 学校教育。 今小学校とかって、学校教育があるんですか?

[澤田] 学校教育はあります。 時々あって時々ないんですが。 つまり先生が見つかったときには学校があったりするんですけど、国がぐちゃぐちゃになったりしてなくなったり。 あるいは学校教育はあっても子どもによってはしばらく行くと行かなくなったり。

[野島] ほかので聞いたら、やっぱり学校教育のシステムに入るかどうかで、こういう時間とか空間の認識がすごく変わるという話がありますよね。 [84'00]

[澤田] そうですね。 学校の先生も大体同じ民族の人たちで、それほど子どもたちや父兄と考え方の変わった人ではありません。 中央から派遣された教師ではないので、今のところまだまだ学校教育の持っている力というのは貧弱ですね。

[安村] いいですか。 安村です。 非常に面白かったんですけれども。 簡単な質問とちょっと深い質問とあるんです。 簡単な方は、死んだらゴミになるっていうのは、そこに価値観が入っているか入っていないか。 つまり入ったヤツは、ただ単に無になるという。 塵埃というか、あまり意味がない意味で使っているのか、それともいわゆるゴミというか、一個下がったものになるという、どちらの意味なんですか?

[澤田] いや、塵埃になるということだと思います。

[安村] あぁ。でもそれは禅宗だと昔からまったくの無になって、魂が存在するとか来世があるとかいったことはそもそもないんだという考え方がありましたよね?

[澤田] ええ。

[安村] それはだから別に、わりかしそういうこともあり得る考えじゃないかなと思ったんです。

[澤田] あぁ。 まぁこれは主義主張の問題ですからあれですけど。 確かに禅宗に限らず仏教の基本的なところには、浄土というものがあって、いわゆるこの世とは基本的に離れたところに行くという考えがありますから。 僕の感じからいったら、エフェとは全然違う考え方のパターンに入ります。

[安村] うん。 それと絡めて、たぶん末世だとか非常に苦しいときには、たぶん来世があって、パライソっていうか天国に行けるという気持になり勝ちだというか、なる気持ちはわかるし、それから高度成長というか右肩上がりだとすると、まぁ亡くなったらその死者を悼むということはやると思うんですけど。 今みたいに不況が続いたりするとどうなるかというと、たぶん私が聞いた話では、昔みたいにちゃんと葬式があって墓を建ててというのをやめて、灰にして撒いてくれというのが最近増えているらしいんですけれども。 そういう現世のあれとどういう風に自分が弔われたいかということが関係あるのかどうかというのが一つと。 それからあとは死生観というのは、たぶん自分が死んだときの気持と、それから周りの遺族というか、死んだ人をどう扱いたいかって、結構2つ違うんじゃないかなと思っているので、さっきの「灰にしてくれ」というのは自分の方の意識でしてね。 周りの人が死者の気持ちを、さっきの美崎さんの話とか記憶の話と絡むんですけれども、どういう風に自分の気持ちを整理するかということの形として、たぶん死生観っていうのは出てくるんじゃないかなと思ったんですけれども。 [87'00]

[澤田] 皆さんと同じ「死んだらどうなるのかな」という問いにおののいている人間の一人として、私はそんな立派な返事ができるような気もしないんですが。 エフェの人たちとつきあった感想から出発しますと、死んでその死体をどうするかというような、非常に基本的なことについて、未だに人それぞれであったり、世代間で、葬る人と葬られる人の間の意見が一致しなかったりということ自体が、人間が生きているということについての心構えも混乱しているということにつながっているのではないのかなと感じます。 まぁ灰にして撒いてもらって大自然と一体になるんだというやり方は、人体の灰(という物質)のみにこだわりすぎのような気もします。先ほどの、バレセの少年もいいましたけど、自分が生きて死ぬということについて、もう子供のうちから腰が据わっている感じがしますですよ。 自分が何をやるべきかということについても、はっきりわかっているわけですよね。 何をやっちゃいけないのかということについてもわかっている。 つまり葬り方にとん着しない彼らのやり方は、生前の生と死後の生について確信を持っていること、と表裏の関係にあると思います。そういう点がはっきり決まっているというのは、逆に言えば進歩のない世界であって、エフェがいつか国民国家にインテグレートされていって近代というものに入ったときには、こういう死生観というのはもう残らないだろうと思います。 近代というのはどうしたって唯物論か、現世から離れたところに行くかの、この二つのうちの一つを、つまり死後は現世と完全に切れるのだということを前提にするしかないと思うんですよ。 エフェの死生観は近代とは相容れないものだと思うんです。 完全に破壊されないと近代には入らないだろうと。 日本の場合は非常に長い時間を掛けて徐々に移行しているという感じがしますけど、日本においても結局は2つのうちいずれか一方に落着くのじゃないのかなぁという気はします。 [90'33]

[山本] 山本ですけれども。 私はよく夢を見るときに、匂いとか色とかも感じる方なんですけれども、そのピグミー達は夢を見たときに色とか匂いとかも感じて、それも歌の中に組み込まれているんですか?

[澤田] 歌の中に、

[山本] 歌とか踊りとかに表現されている?

[澤田] あ、言葉ですか?

[山本] 言葉の中に色とか。

[澤田] あぁー。 すみません、言うの忘れましたけど、ほとんど歌詞がないんですよ、歌は。

[山本] あ、そうなんですか。

[澤田] ええ。 ただ複数の音が出ていますでしょ?ああいうのがちゃんと夢の中で聞こえているそうです。大体夢の中で歌なんて聴いたことないっていう人多いですよね。 エフェの場合は人によっては匂いとか手触りとか全部感じていると思います。

[山本] そこの鳴らす曲というか、踊りと歌がいくつもあるとおっしゃっていたんですけれども、それの中に意味があって、誰かがそれを夢で見て歌を作ってみんなに教えたり、音頭をとったりとか、指揮する人みたいなのはいたり?

[澤田] ええ。

[山本] さっき青いパンツはいていたおじさん?

[澤田] ええ。 青いパンツを履いていた人はああいう感じで踊って歌っているだけで、別に指揮しているわけじゃないんです。

[山本] じゃないんですか。

[澤田] ええ。

[山本] なんかバブルの頃だったか、「ディープ・フォレスト」というCDが出て、そこにピグミーのありましたよね。

[澤田] パクったんです、彼らは。 あのCDはもともとはターンブルルというアメリカの人類学者が録音したレコードに入っていたヤツをほとんどそのまま使ってましたよね。

[山本] すごい売れましたよね。

[澤田] そうですね。 そうなんです。

[不明] あったね。

[安村] 著作権どうなるんだとか。

[澤田] どうなるんや。

[久保] あの一つ。 ごめんなさい。 どうぞ。

[佐藤浩司] ちょっと加藤さんやって、久保さんやって。

[久保] はい。

[加藤] すみません。 安村先生が半分くらい私の質問をしてくださったので、葬送の話をちょっと基礎的な知識で。 私の関心は、澤田先生のお話は2度目で光栄なんですが。

[澤田] あぁ2度も聞かせてごめんなさい。

[加藤] 最初の時は象の脂とか蜂蜜のとかヤシ酒の話を聞いていて、今回は私は実は、ものはいつ人によってゴミにされるのかというのに関心があってここに来ているので、そちらのお話ですが。 死体の問題をちょっと考えたんですけど。 一つは、死体を葬る人もいればそうでない人もいるということで、かなりアバウトなんだなと思って、

[澤田] いやいや、それは日本の話をいっただけで。 [95'01]

[加藤] あ、そうなんですか。

[澤田] 基本的には葬ります。

[加藤] そうなんですか。 その葬る一つの場所が森に関係しているのかどうかっていう。 リアルに人が見えるということと、マテリアルとして骨なり肉なりが森というところと意味が関係しているのかというのが一つと、もう一つが私たちシィー・ディー・アイがやっていた生活財生態学の中で、メモリアル指向っていっているものがあって、それは賞状が捨てられないとかそういうものにかなり近いことをさして言うんですけれども、個人を特定するような、たとえば青いパンツを履いていたおじいさんがあれがお気に入りだったら、青いパンツを死体の横に一緒に置いたりするのか、あるいはそういう新しい化繊みたいなものを死体と共に埋葬するということは、そういうことは伝統的にはしない方がいいと考えるのか、好きだったから一緒にするのか、そんなことどっちでもいいのか。 死体に付属する装飾品とかそういうものについてなにか統一的な考えがあるのかという2点をお聞きしたいのですけれど。

[澤田] 死体を実際に葬る場所というのは見たことないんですよ。 だからはっきりしたことは言えませんが、人に聞いた話で言いますと、死体と一緒に服とかあるいはちょっとしたブレスレットみたいなものとかを葬るということはあるようです。 どこに葬るかということですけど、大体死んだときに、たとえば森の中で死ぬということありますよね。 死ぬということはありますが、まぁ大体はキャンプだのなんだのに連れてきて、そこで穴を掘って埋めるわけですよ。 それが森の中であることもあります。 森の奥深くでキャンプ作ってすんでいるときは、そこに埋める。 その場所を示すものは残りません。 残さない。 非常にまれな例で、いわゆる金属製のお椀を逆さまにしてそこにポカッと置いてあるので「あぁ、ここに人埋めてるな」というのがわかるんですが、それにしたってそんなものは半年経ったら草むらになってしまいますので、誰をどこら辺に埋めたかというのは、他人にはほとんど分からないのです。実際にそこを通りかかってもそれが墓だとかわからないんです。 だからその場所を覚えている人が亡くなってしまえば、

[加藤] 終わり。

[澤田] 終わり。 終わりだし、ほとんどの場合キャンプを転々としますから、誰それがどこら辺で死んだということは覚えていても、その墓にお参りするなんていうことはないんです。

[加藤] 逆に言うとそれはお墓みたいなものを物理的に残さないということで、うまく忘れていったりなくしていったりするとも言える?

[澤田] そういうことも言えますし、そもそも死体そのものに興味がないのだと思います。死んだ本人はどうせ森の中にいるんだし。

[加藤] はい。

[久保] 久保です。 先ほど野島さんの方から学校教育と世界観の違いという話があるので、もうそれらをおいての例を話すと、無文字社会かそうでないかというのでやっぱりちょっと変わってくるので、たとえばアボリジニの例を引きますと、基本的に無文字社会で非常にイメージ的な伝承をやるんですが。 学校教育が始まると結局文字を教えるんですね。 そうするとこんな統計があって、Eidetic Image といってました。 日本語で言うと直観像といっちゃう。 すごく長くイメージを記録するという力が、学校教育いかない子供達だったらかなりパーセンテージ高いんだけど、文字を教えられるとそのパーセンテージが減るという統計があってね。

[澤田] 頭悪くなると?

[久保] いや。 いやいやそうじゃなくて、右脳と左脳の話です。

[澤田] あぁ、はいはい。

[久保] だからたぶん、どっちだったっけ。 左脳が論理的だったかな。

[澤田] 左が言語脳ですよね。

[久保] そうですね。 だからたぶん左が優勢になると思わせるような統計があったという話があります。 ちょっとコメントです。

[安村] ちょっとすみません。 今のと関連あるので。 ユビキタスが進むと、今の話で美崎さんみたいなメディアだと夢はもっと見るようになるんでしょうけれども、実は死んだ人の。 それとも逆に見なくなるんでしょうかね。 特に亡くなった方に関してどうですか?

[美崎] 亡くなった方じゃないんですけど、スライドショー始めた直後はすごい夢を見ました。

[安村] それは自分のあれですよね。 一番知りたいのは、そんなことあまり例がないのかもしれないけど、亡くなった方の写真とかスライドあるはずですよね。

[美崎] はいはい。

[安村] 友人とか親戚の人とか。 その人なんかが出てきたときに、そういうことをやって夢に出やすくなるのか出にくくなるのか。 [100'25]

[美崎] 夢までは出てこないですけど、9.11(ナインイレブン)[100'28]で僕友人が死んでいるんですけど、出てくる。 よく出てくるんですよ、資料見ると。 生きてたなぁっていうか、こんな話したなぁっていうのは出てきますよね。

[安村] さっきのピグミーの話じゃないけど、そういうのを意識的に忘れた方がいいのか、お祈りして忘れた方がいいのか、それともむしろ逆に積極的に思い出したいのかとか、それはどうなんですか?

[美崎] でも出てくるたびに思い出して、なんか生きている気はしたりします。 彼からは実は100通ぐらいメールをもらっているんですけど、それが出てくるんですよ。 たまに検索したりすると、いろんなキーワードで出てきて。 で、メールだから読み飛ばしていたりするじゃないですか。 改めて読むと「あ、なんだ。 こんなこといっていた」っていうのを、時間差をおいて今受け取ったりしていて、そうすると彼とコミュニケーションしているような気もしたりするし。 だから時間とか死とかちょっと揺らぐ気はします。 あと直観像の話だけど、だから僕やっているのって機械的な直観像に近いんですよね。

[安村] そうですよね。

[須永] はい。 意見と質問を1つと、関連する意見を言いたいんですが。 ピグミーのあの人達の生活の中で、もちろんテレビとかないでしょうし新聞とか見ない?さっきのコミックみたいなのないんですよね?見るものは。 うん。 それで僕は思ったんだけれども、まさしく美崎さんのやられていることとピグミーの今日の話は非常に正反対というか、のように思えたんですね。 それはなにかというと、夢で見ていることは、仮にたとえば今我々がメディアで見ている様々な作られた情報を外からメディアで見ているのときっと同じ状況じゃないかな。 それはなにかというと、見ても森と踊りと生活以外にそういうコンテンツが提供されることというのは、ある意味夢って非常に大きくくくったときの、夢が仮想世界、概念世界と出会う場ですよね。 それでじゃぁ夢という装置で、テレビのブラウン管じゃなくて夢という装置で見るとすれば、見れるのはその人達が過去に経験したこと以外、あるいは話に聞いたこと、だから美崎さんとほとんど同じものがその中のコンテンツだと思うんですよ。 だからほとんど同じものを見ているんじゃないかと。 美崎さんのあのパッパッパッっていうのは、

[美崎] 機械仕掛けで。

[須永] 機械仕掛けで、ピグミーの、彼の夢と同じだなぁと。 そう考えてみると、今澤田先生のおっしゃっている、僕が大事だなと思ったのはやっぱり2世代ぐらい前しか覚えてないよと。 だから死者はいっぱいにならないんだよというのと、まったく正反対に美崎さんのはもうどんどんどんどん累積的にいっぱいになっていくんですよね。 そうすると同じ装置として、ある記憶なりコンテンツなりその世界、その人が生きた世界を物語る様々なコンテンツがああいう状況だとやっぱり夢というメディアでどんどんどんどん再現されてきて、それによって、さっきのまさに生を再構築している、再構成している。 だから死者の言葉を聞いた、あるいはダンスを夢で習ったっていうけど、夢としかいいようがないので、我々だったら「図書館で文献を読んで見つけたよ」とか、「こないだあのコンサート聞いて最高だったじゃない」とかいっているのとまったく同じことがあって、「じゃぁこないだのコンサート、今度我々取り入れてダンスしてみようよ」というのと同じで、これは夢というフレームワークしか持っていないからそこから持ってきて今度あれやろうこれやろうと。 彼らはクリエイトしているんだと思うんですよね。 [104'36]

[澤田] それはそうですよね。

[須永] ええ。 だからそこにすごく大きな、同じなのに違う構造があって。 だからデジタル技術。 僕が感じたのは、むしろピグミーがあるボリュームである社会を同じ形で維持していくのにその形がうまく機能しているとすれば、じゃぁデジタルテクノロジーが、今美崎さんがやられているようなことをポシィブルにして一体どんな社会を作る、いい意味で、我々が設計しなきゃいけないと考えれば、あのテクノロジーをいい意味でこの、まぁ唯物論とおっしゃっていたけれども、ある種変容していくということを前提にというか受入ながら、それでも普遍のものは残したいと思っている我々の感性に合うようにどう使ったらいいのかなと。 今の美崎さんのだともう忘れられない辛さって、質問にもあったけどね。 そこに我々が負けちゃう、最後には。 だから生物としては、彼ら、人間で非常にそういう形が温存されたピグミーの人たちの生活の中にはその仕組みが本能的にっていうか、もう生理学的生物学的に、忘れるということによってうまく機能していたものをもう一度見直さなきゃいけないんだなぁと。 さっきあったけどね。 アクセス中ったら消えていくとか。 でもそこまで俺らプログラムしなきゃいかんのかよっていう。 またそこが恐ろしいというかね。 それをまたとるヤツがいるんじゃないかと。 だから原理的に消えればいいって。 プログラマブルに消えればいいんじゃなくて、もっと原理的に考えなきゃいけない。 そういう、非常に対比的にお話を聞けたので。

[佐藤浩司] 次世代携帯もアイディアはそれですか?

[須永] いやいやいや。 そこまで。 今日今思いついたばっかりなので。

[國頭] いいですか。

[不明] 消える携帯。 [106'48]

[須永] 消える携帯。

[國頭] 國頭ですけれども。 僕まったく本当にすごく賛成で、ずっと今お話伺って、自分で何をもやもやしているのかわからなかったけど、だんだんやっとクリアになってきたんですけれども。 美崎さんの今の試みというのは本当に全てを記憶して忘れないことだと思うんですよ。 で、ある友達と「思い出ってなんだろうね」って話をしたときに、「ものを捨てられる人はうまく思い出を整理できる人なんじゃないの」っていうことをいっていて「あ、なるほどそうだ」。 忘却っていうことを使って整理しているという場合もあるわけですよね。 で、ピグミーの場合はまさにそれで、2世代先っていうのを一種のキャッシュの有効期限みたいになっているんですけれども、それを使ってうまく取捨選択した上で残しているわけですよね。 夢と脳の働きは密接に関連しているとおもうのですが、[107'47]そのときにまず美崎さんが映像を見始めて夢を見るようになったっていうのは、あれ絶対視覚野がすごく活性化されたということですよね、単純に。 単純にというのではなくて、明らかにそれが活性化されている状態だと思って。 でも夢に出てくるのっていうのは、その活性化した映像情報の中でも本人がすごく無意識下の中だけどほかとのリンクがすごく深いものが想起されているという考えるのが普通だと思うので、そうすると取捨選択されたものが出てくるわけですよね。 訳のわからないものが含まれているとは思うんですけれども、そういう意味でみんな、ピグミーの場合には脳の中で、みんなの脳の中で整理して取捨選択した結果が次の世代に残っていくっていう形で脳に伝わって整理されているのが一つ。 そうなのかなと僕は思ったんですけど。

[澤田] あぁ。 それはありますよ。 結構夢に見たことを話しあっているんですよね、朝起きて。 「人が死んだ夢見ちゃった」とか。 「それじゃぁ足に水かけなきゃ」とか。 そういう風にして、いわゆる呪い返しみたいなものをしている。 そういう厄をはらう方法があって、突然朝足に水かけているから、何しているのかなと思ったら、「誰それが死んだ夢見ちゃったから」と答えたりする。 夢の中で荒唐無稽な話がいろいろ出てくるんですが、それを紹介しあったり。 大きな川を飛んで渡りましたとか。 そういうのを聞いて「あはははは」とかいっている。 ほとんどの場合は「あははは」いっているだけですけれども。 ただ僕の感じでは「ちょっと物語り聞かしてくれや」っていったらいろいろ変な物語をいっぱい聞かせてくれるんですけれど、そのうち自分の夢の話をし出すんですよ。 もしかしたら、いわゆる物語というのは大体は夢の中で荒唐無稽のものを見たのを、みんなで喋っているうちに共有されて残ってきたものかなぁという気もします。

[國頭] [110'28]それでもうちょっとそこで。 ここで僕らがこれを考えなくちゃいけないのは、さっき美崎さんがいっぱい写真に撮れば選択の幅が広がるでしょっていうお話をされたと思うんですけど、それ僕「yes」だと思うんですけど、でもそれってあるしきい値のところまでで、これは僕よくいっているんですけれども、ユビキタスの世界っていったときに、いろんなものが玉石混淆で様々なものが混ざっているという面と、もう一つは数が膨大で人の手に負えないというところも一つあると思うんですよ。 たぶん人間が取捨選択できるレベルというのはある一定のところまでいったところでそれより先っていうのは、たぶん手に負えないと思うんですよね。 これからたとえば「デジタル放送200チャンネル」とかっていっていますけど、「20000チャンネルありました。 はい、あなたの好きなチャンネル選んでいいですよ」っていわれて適切なのを選べる人ってたぶんいないと思うんですよ。 たぶんさっきおっしゃったのに、可視化の技術によっていっぺんに見るのが20000チャンネルのうちに24とか12になれば人間は選べるかもしれない。 でも20000チャンネルいっぺんに見られる技術が、バーッとフラッシュバックで見せたとしても選べるのはたぶん普通の人間じゃない。

[須永] そうだねぇ。

[美崎] ちなみに、僕最初は写真が10万枚まではサムネイルでやっていたんですよ。 でも10万枚を超えたときにサムネイル開く・開く・閉じるっていうのをやっているのに耐えられなくなって、スライドショーに変えてうまくいって、70万枚をスライドショーだとうまくいったよね。 それはやっぱりスケーラビリティがどこかであって。

[國頭] どこかあるんだと思うんですよね。 [111'56]

[美崎] だと思う。

[國頭] これから僕が考えているのは、これからのテクノロジーで支えてあげる。 たぶんまずためることができる技術が増えていくのは、僕もそれはまさにその通りだと思って。 で、見る方、人間能力もある程度トレーニングやって伸びるところあると思うんですが、あるところまでいったらたぶん追いつかなくなりますよね。 そこをなんとか支えてあげることをしないといけないなぁというのは思っていて、それがさっきの、ピグミーの人は2世代先は消えていくという原則の部分でうまくやっているような気がしたので、そういう選び方というのを支えてあげないと、たぶんみんなが記録を始めたときに、常に見たいけど見れないシンドロームみたいなものが出てきてしまってということが起こっちゃう。

[須永] そうね。 ただ美崎さんとピグミーの非常に共通点は、ピグミーも自分の夢しか見られない。 美崎さんも自分の経験しか見ていない。 これが他人の夢を見るような構造を、まぁテクノロジー的に可能なのでやれたらなとおっしゃってるけれども、そこにすごく大きなハードルがね。 我々が人類種の中で見ていない、他人の夢ですよね。 まあ、ただ僕らはテレビ番組みたいなものでいっぱい見ていますよね、そういうものを。 他人のものはね。 だからそっち世界なのかもしれない。

[野島] テレビといえば、最近若干オタク系の人たちが夢のデバイスというのはチャンネル6チャンネルぐらいが同時に一週間分全部というビデオがありましたね。

[美崎] 使いました使いました。 すごいですね、あれね。

[野島] だからやっぱりそれはある種夢なんですけど、それが本当にできたとき一体それをどういう風に使うの?っていう話があるわけですよね。

[須永] どうするんだろうね。

[野島] それに関して、テクノロジー的には現在は撮る方はサポートしているけれども使う方はまだまだうまくいっていなくて。 だからそれは、たとえばピグミーの話だとかあるいは美崎さんの経験みたいなものからなにか新しいものが得られていくと面白いなと思っています。

[安村] いいですか。 今の話の続きでいうと、今美崎さんのところではあまり整理されていない状態ですよね。 これかなり整理が進むと、たぶん亡くなった人のフォトアルバムがかなり整理されて、キーワードで出てくるわけですよね。 そうするとその人の世界がその人の写真で提示されることができるし、たぶん音声合成で、その人の声質で音声合成もできるんですね。 それから想定した質問である種のテキストを合成することもできるから、その人とインタラクティブに喋って、かつその人のイメージが写真で彷彿とするのは、たぶん技術的に10年とか15年くらいでできちゃうところです。 後はそれをみんながよしとするかどうか。 その死者と対話するというか、その人のイメージまで共有するのが。

[須永] それはITお化けってさっきいっていたやつですよね。

[安村] ええ、そうそう。 そんなことでね。

[澤田] 家の中で映写していたら怖いですね。

[不明] 怖いですかね。 [114'54]

[澤田] ずっと続けて映写していたら。

[安村] ITイタコですよね。 イタコの世界が。

[美崎] でも9.11で死んだ彼が描いた絵を僕はもらっていたことがあるんですよ。 それをこないだスキャンして出てきて「お!出てきた」と思って、それを彼の奥さんに見せたら「オリジナル返して」っていわれて、今取り寄せているんですけど。 それは甦ったと思いましたよ。

[須永] もう一つ僕気づいたことは、ピグミーの話聞いていて、それから澤田さんの話に出てきたんだけど。 ピグミーは自分の番組って気がしてきたんだけど、自分の番組を喋るわけですよね。 でもそれは美崎さんと同じで自分の番組、経験を番組化したものでしょ。 いけるかもしれないなと思ったのは、それを語って人が聞くということですよね。 うん。 だから人の番組をもらっているんじゃないんですよ。 語りをもらっているんですよね。 だからもしかすると20000チャンネルも、誰も20000チャンネルも見ないんだけど、誰かの語りを聞くっていう、非常に人間の圧縮技術で70万枚を今日語りで見せてもらって全部見たような気になったんだけど、でもこれで、しょうがないですよね。 これで僕は「あ、美崎さんの話聞いたよ」と。 「美崎さんのもう全部ゲットしたよ」みたいな感じで帰るわけですよ。

[澤田] 本当は5ヶ月かかるんでしょうけれどね。 [?][116'20]

[須永] で、学生に美崎さんのことわかったようにいうわけですよ。 でも、その語り合うというのは一つの技術かもしれないし、ピグミーの社会でもやられていて、すごく。 それで誰かの聞いた話で亀さんの話もしている。 誰かが一番最初は作ったんだけど。 そういう語り合いというのはさっきおっしゃっていたけど。 そうそう美崎さんおっしゃっていたね、語り合いの中に何かあるって。

[野島] 今インターネットだと、たとえばアマゾンとかでも書評が非常に重視されていますよね。

[須永] そうですね。 あれ、質がちょっと違う語りですよね、書評。

[美崎] 語りですよね。 オリジナルよりも語りの方が実は大事な気がするんですよ。

[須永] うん。 もしかすると、だからITはオリジナルだけ狙うんじゃなくて語りの方の姿を作り出すという方面のデザインも必要かもしれないですね。

[久保] 前ちょっと。 久保です。 書いた本にもいっているんですけど、蓄積メディアがどんどん確立していくと、編集それからダイジェストが一番キーになってくる。 語るもある意味ではダイジェストですよね。

[須永] そうですね。 あとその語りでもう1個だけ僕はいいなと思っていたのでいっておきたいんですけど。 誰が夢で見つけた踊りか歌かっていうのを、人の名前付きで話されているっていっていたんですよね?

[澤田] それも大昔のじゃないですよ。 1世代前とかですね。

[須永] 前のね。

[澤田] それまでは人の名前がわかっていますね。 「楽譜もないのでなんで同じ曲と言えるんだ?」と思いますよね。 同じ曲でも聞こえている音が毎年変わるんですよ。 本人達も音が変わっているというのを知っているんです。 だけど同じ曲名で呼ばれるのはなぜかといったら、そのオリジンがこれだという一点で同じ曲と呼ばれる。 もう似ても似つかない曲になっていても実は同じ曲として認識されるのは、そのオリジンの問題なんです。 ひとつの夢見から始まっている曲だという共通認識があるからということですね。 だから実は全然中味が違うんです。

[須永] そのオリジンを人間で特定し、非常に可変的にプラスティックな構造を持っているというのこそ、もしかすると語りの基本形かもしれないですね。 [119'03]だから語りのテクノロジーの方は、誰が語ったのかということが必ず残っていて、で、絶対同じであることを必要としない。 そういうもののような気もするんですよね。 だから非常に人間っぽいけれども。

[美崎] ものすごい差[?]というわけですよね。 [119'26]オリジン持っているということは。

[須永] そうそう、やっぱ。 そうなんですよ。 そこがくっついているというのが大事だと思う。

[佐藤浩司] 時間がないかな。 実は個人の記憶、個人の経験という言葉に僕はまだちょっと抵抗が実はあって。 ここにピグミーって個人の経験、その夢見たのが本当に独自であることが強調されているのか、実はそうじゃなくてすでに経験したことをただみんなと共有しているだけの個人[?][119'50]なのかなぁということは実は疑問ですけれども。 時間もそろそろですし、懇親会がありますので。 実は澤田さんがやられているピグミーは、ピグミーの中でも特別にへんぴなところなんですよね?

[澤田] そうですね。

[佐藤浩司] 一般にアフリカのピグミーってそこまで変なところないんですけど、国の情勢もあるし地域の関係もあるので特別おかしなところで、世界文化遺産になってもおかしくないような。 それと、美崎さんという臨床例として持ち上げられていましたけど、面白いお二人に来て頂いて今日はとても有意義な話ができたと思います。 どうもありがとうございました。 [120'32]

[一同拍手]

[120'35][事務連絡その他][123'05][終わり]





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