思い出はどこへ行くのか? ― 2004.10.23 ―

討論


人生は二〇〇テラバイト

國頭 美崎さんが残されている記録は、静止画が多いのですね。確かに視覚情報というのは人間が取り入れるときには一番大きなメインになる情報の入力手段だと思うんですけれども、デバイスが今は視覚情報を入力するものしかないということですよね。もし新たなデバイスが出てきたら、匂いとか味とかそういったものも記録したいですか?
美崎 思いますね、それは。
國頭 それから、お聞きしていて、リンクを作るのがすごく大変な作業だなと思いました。日付のリンクを張るだけだったらわりと簡単に機械的にいけると思うんですけれども、先ほどの「あ、これと同じ絵があったよね」っていうのにリンクを張っていったりする作業っていうのはどういう風にされているんですか?
美崎 BTRONというのはマルチウィンドウの間でリンクを持って歩けるんですよ。
國頭 つまり結局は人の手でやってる?
美崎 人の手でやってます。
國頭 見つけたときに全部貼ってるんですか?
美崎 そうです。最初はなんでこんなクソ面倒くさいことをやるんだろうと感じていたんですが、ある時以降はすごく楽になった。それは体系ができたんですね。たとえば「脳」というキーワードだと「脳」に今までリンクしたものが一回リンクしただけで全部出てくるんですよ。その時点で「あ、すごく楽だ」っていう風に思いました。これを自動化したいとは当然思うし、自動の方が楽だと思うんだけど、自動化してゴミが出てくる率、SN比がどのくらいなのかっていうのを思うと、手でやったのは悪くはなかったかなと思っています。
久保 それは結局人間の脳細胞の中でやっていることをシミュレートした、外在化したんですよね?
美崎 そうですね。そうだと思います。
久保 映像なんかひょっとすると、アイカメラで全部撮っちゃうということもできて、それがひょっとするとメモリに入っちゃうなんてことも将来出てきますよね。
美崎 計算したことがあって、 mpeg2で今DVDで二時間で五ギガバイトとかじゃないですか。そのレートで計算していくと二〇〇テラバイトあると七〇年とか八〇年の一生分を記録できるんですよ。二〇〇テラって大きいように聞こえるけれど、ハードディスクが今のまま進化していけば二〇一七年には手のひらに乗るんですよ。手のひらに乗るのハードディスクに人生が全部映像として記録できるっていう時代もすぐだと思いますね。だからそれを視野に入れておくことがすごく大事だと思います。



記憶の単位

須永 今日の美崎さんのお話の中で一つのキーワードは「枚」ですよね。何枚っていう言葉が記憶の形式化を象徴的に表していると思うんですね。今は我々が記憶をカウントするのに「何枚」としか言えない時代なんだなと。じゃぁ次に「枚」じゃない、どういう単位で記憶を語るんだろうなと。「枚」はきっとまだまだ初歩段階の記憶の単位ですよね。
美崎 初歩ですね。そうだと思います。まだ匂いを数える単位がない。非常に冗談みたいな話で恐縮なんですが、最近一日一〇〇枚写真を撮るときの一〇〇枚は一ミサキとかいうそうです(笑)。
須永 記録されたものの単位と、もう一つは記録すべき対象、自分の生きている時間、経験ですよね。すごく浅い、あまり思い出の残らないような時間もあれば、すごい密度の時間もある。そのときの対象とするモチーフの方も、単位がないとなんか計れないんじゃないかという気がする。今日の六〇〇万枚っていうのは記録物の方の単位なんだけど。
美崎 僕はカメラで撮っているのは意識的に撮っている。意識的にシャッターを切っているつもりなんですね。ライフ・スライスっていうグループは首からカメラを提げて自動でシャッターを切るということをやられている。そうすると、意識的に撮っている場合は、たとえば自転車に乗っていてすごく危ないシチュエーションでは、写真を撮れないんですけれども、自動で撮っているとそこも撮れたりするというところがあって、そこは違いますね。
須永 そうですね、なるほど。
久保 心理学の方でエピソード記憶とかそういうのがありますよね。たぶんなにかエピソードを計るような単位が必要で、それは時間ではなくて伸縮自在なものということじゃないんでしょうかね。
美崎 そうだと思いますね。重要なのはエピソードといったときに一つのエピソードの中での小さいエピソードも語り始めるといくらでものびる可能性があって、それはちょっと単位としてどうなるのかな。
久保 エピソードの階層みたいになってる。
美崎 階層みたいな感じがするのかなっていう気がしますね。



生前の生と死後の生

佐藤 僕らは死んだらゴミになるという世界観しかたぶんもてないんだろうと思うんですが、二〇〇テラバイトあればその人の人生が全部記録できて、全ての人の人生がどこかにためられていて、誰でもいつでもそれにアクセスできちゃうという世の中が来たとしたら、なにかピグミー的な世界観に近づいてくるんじゃないかなという気が逆に僕はちょっとしているんですよ。そういう世界について、澤田さんはどんな考え方を持っていますか?
澤田 僕は死んだあとに全然別の世界に行くという風に思い続けるというのは、なんかあまり楽しくないなという気がしますね。ただ匂いとか風合いとかそういうものも全部記録に残せるようになったとして、生前の美崎さんなんかが三次元的にもし本当に出てくるとしたら、それはほとんど目の前を幽霊が歩いているのと一緒ですよね。この世の中にお化けがいるということの方が、死んだらどこかに行ってしまうということよりは、健全なんじゃないかなぁという気はしているんですけどね。
 さっきの森の中に死者がたまるというイメージもそうですけど、手のひらの上の箱に人間も何十人分の記録が入っている。しかしそうなったらもう誰も見ないんじゃないかなと思うんです。ピグミーの場合は便利なもので、忘れちゃう。先祖といったって、二代先になるともう忘れちゃうわけですよね。そういう点ではあまり森の中に死者がたまりすぎるということはないわけです。
野島 ピグミーの人たちは「思い出」というか、単に懐かしむことはあるんですか?
 たとえば話してると「そういえばそういうのがいたね」とか。
澤田 ありますよ。「昔こういう経験した」という話はいっぱい出てきます。その土地土地の大事件とか自分にとっての大事件をどういう風にして残すかといったら、子供の名前につけちゃうんですよね。たとえばスワヒリ語の名前で「ターブ」っていうのがあると、これはほとんど確実に母ちゃんがこの子を産んだときに死んでしまったという意味です。ターブというのはいわゆる災いなどを意味するスワヒリ語です。子供の名前を見るとだいたいどういうことがあったかというのわかるし、親にしたらその子供を呼ぶたびに、そういう事件があったというのが思い出されるわけです。
美崎 夢でインスピレーションを得るっていう話はすごく興味深い。僕も生きているのが夢なのか現実なのかよくわからない。本当に死ぬのかどうかも最近よくわからなくなってきていて、なんかエフェ的な感覚があるなと思うわけです。時間が流れているのかどうか、本当にわからなくなった感じがするんです。過去と未来が一致している気もするし。だから過去が甦ってくれば、夢の中で死者が教えてくれるのとそっくりな感じもする。
澤田 アピトコ君が小学校の五、六年生の頃に僕にいった言葉を紹介しましょう。向こうでは、よく人が死ぬんですよ。ある時一歳ぐらいの子供の首の横、リンパのあたりが腫れて、一歳の子供に抗生物質をやるわけにもいかないからタイガーバームを塗ってごまかしておいたら、翌日死にましてね。「困ったなぁ」と思いました。そのとき一〇歳そこそこのアピトコ君に二〇代後半の僕が「いやぁ人間簡単に死ぬんだなぁ。たまらないなぁ」ってな愚痴をこぼしたら、そのアピトコ君は「まぁそんなもんだ」というんですよ。「そんなこというけどお前だって明日死ぬかもわからへんぞ」っていったら「そうですよ」っていってました。そういう感じで子どもでも生きているんだなぁという気がします。



キャッシュの有効期限

須永 ピグミーの人たちは、もちろんテレビとかないでしょうし新聞とか見ないでしょう。まさしく美崎さんのやられていることとピグミーの人たちは非常に正反対のように思える。しかし夢で見ていることは、たとえば今我々が様々な作られた情報をメディアで見ているのときっと同じ状況じゃないかな。つまり夢が仮想世界、概念世界と出会う場ですね。夢という装置で見ているのはその人たちが過去に経験したことや、あるいは話に聞いたこと。だから美崎さんとほとんど同じものがそのコンテンツだと思うんですよ。美崎さんのあのパッパッパッっていうのはそれを機械仕掛けでやっている。
 ピグミーは記憶なりその人が生きた世界を物語る様々なコンテンツが、夢というメディアでどんどんどんどん再現されて、それによって、まさに生を再構築、再構成している。ダンスを夢で習ったっていうけど、我々だったら「図書館で文献を読んで見つけたよ」とか、「こないだのコンサートで見たダンスを今度取り入れてみようよ」というのと同じで、彼らはクリエイトしているんだと思うんですよね。
國頭 美崎さんの試みというのは全てを記憶して忘れないことだと思うんですよ。で、ある友達と「思い出ってなんだろうね」って話をしたときに、「ものを捨てられる人はうまく思い出を整理できる人なんじゃないの」っていうことをいっていて「あ、なるほどそうだ」と思ったんです。忘却っていうことを使って整理しているという場合もあるわけですよね。ピグミーの場合はまさにそれで、二世代先っていうのが一種のキャッシュの有効期限みたいになっているんですけれども、それを使ってうまく取捨選択した上で残している。夢と脳の働きは密接に関連しているとおもうのですが、ピグミーの場合には脳の中で、みんなの脳の中で整理して取捨選択した結果が次の世代に残っていくっていう形で伝わって整理されている。
澤田 それはありますね。結構夢に見たことを話しあっているんですよね、朝起きて。「人が死んだ夢見ちゃった」「それじゃぁ足に水かけなきゃ」とか、いわゆる呪い返しみたいなものをしている。「ちょっと物語り聞かしてくれや」っていったらいろいろ変な物語をいっぱい聞かせてくれるんですけれど、そのうち自分の夢の話をしだすんですよ。もしかしたら、いわゆる物語というのは、夢の中で荒唐無稽のものを見たのを、みんなで喋っているうちに共有されて残ってきたものかなぁという気もします。
國頭 ここで僕らが考えなくちゃいけないのは、さっき美崎さんがいっぱい写真に撮れば選択の幅が広がるでしょっていうお話をされたんですけど、それはそうだと僕も思うんですけど、でもそれってある閾値のところまでで、ユビキタスの世界っていったときに、いろんなものが玉石混淆で様々なものが混ざっているという面と、もう一つは量が膨大で人の手に負えないという面もあると思うんですよ。たぶん人間が取捨選択できるレベルというのはある一定のところまでで、それより先は、たぶん手に負えないと思うんですね。
美崎 ちなみに、僕は最初は写真が一〇万枚まではサムネイルでやっていたんですよ。でも一〇万枚を超えたときにサムネイルを開く・閉じるっていうのをやっているのに耐えられなくなって、スライドショーに変えてうまくいっった。それはやっぱりスケーラビリティがどこかであるんだと思う。
國頭 まず蓄積する技術が進んでその容量が増えていく。それに従って見る方、人間能力もある程度トレーニングで伸びるところあると思うんですが、あるところまでいったらたぶん追いつかなくなりますよね。そこをなんとか技術で支えてあげることをしないといけないなあとは思っていて、それをピグミーの人は二世代先は消えていくという原則でうまくやっているような気がする。そういう選び方というのを技術で支えてあげないと、たぶんみんなが記録を始めたときに、常に見たいけど見れないシンドロームみたいなことが起きちゃう。



オリジナルより語りが大事

黒石 私は娘がいるんですよ。その娘が小さいときから昔のアルバムを見るのがすごく好きで、ほおっておくと自分の好きなのだけ抜き出して、順番を変えて自分のアルバムを作ってということを繰り返しやっているんです。それで話を聞くと、だんだん過去の話というのが変化していっている、自分の中で変えているんですね。作り話を作っている。そういう自分の過去を、一回一回リプレイしながら積み上げていっている時というのは解釈して変形が絶対加わっているわけですよね。美咲さんは、それって意識的にやっているんですか? それともそういう自分の解釈とか認識の編成っていうのを楽しんでいるというか、そういうことはあるんですか?
美崎 はい。記憶が変わるという話は非常に有名な話で、アーリック・ナイサーという研究者がスペースシャトルのチャレンジャー号が落っこちたときに「あなたはどこで何しててどういう環境で見ましたか?」っていうのを学生に調査したそうなんです。一年半後にもう一回同じアンケートをしたら全然答えが違っていた。面白いのは二回目の間違っているはずの答えの方に回答者が固執したっていう研究があるんですね。そういうことからいうと記憶っていうのは思い出すたびに作られているのであって、それは創造と想起の力とかといって湊千尋さんとかも本で書いているんですけれども、要するに現在というのがあって、過去と未来があるとしたら、想起と回想するものというのは実はベクトルが違うだけで同じものじゃないかというようなことをいっていて、「あ、本当にそうだなぁ」と僕自身が思います。思うたびに違う解釈というか、解釈が変わっていくことがあって。それを楽しんでいると思います。
黒石 自分自身の人生を作っているというか?
美崎 そういうところもすごくあると思います。だからさっき自分がいったことは客観的だと僕は全然思っていない。解釈が変わってきているなぁというのを楽しむしかないですよね。ただそれが今だと文字として残っていたり写真として残っていたりするので、それの違和感が当然出てくるんですよ。そのときにそれをどう処理したらよいのかっていうのがちょっとまだ自分の中でもわからなくて。
黒石 じゃぁそれも実験しているんですか?
美崎 そうそう、実験中。お子さんがやられていることと同じで、話してストーリーを作ることがたぶん人間にとってはものすごく重要なことで、それに比べたら記録が残っているかどうか、それがコンピュータであるかどうかってことは別に大したことじゃないことだと思いますね。
須永 ピグミーは自分のみた夢を喋るわけですよね。それは美崎さんと同じで自分の経験を番組化したものでしょう。それを語って人が聞くということですよね。だから人の見た夢をもらっているんじゃないんですよ。語りをもらっているんですよね。だから今日語りで見せてもらって七〇万枚を全部見たような気になったんだけど、これで僕は「美崎さんの話聞いたよ」と。「美崎さんの体験もう全部ゲットしたよ」みたいな感じで帰るわけですよ。
澤田 本当は五ヵ月かかるんでしょうけれどね。
須永 それで学生に美崎さんのことわかったようにいうわけですよ。でも、その語り合うというのは一つの技術かもしれないし、ピグミーの社会でもそうですよね。
野島 今インターネットだと、たとえばアマゾンとかでも書評が非常に重視されていますよね。
須永 そうですね。あれもある意味では語りですよね。
美崎 オリジナルよりも語りの方が実は大事な気がするんですよ。
久保 蓄積メディアがどんどん確立していくと、編集それからダイジェストが一番キーになってくる。語りもある意味ではダイジェストですよね。
須永 あと澤田さんの話で、誰が夢で見つけた踊りか歌かっていうのを、人の名前付きで話されているというのがおもしろい。
澤田 それも大昔のじゃないですよ。それまでは人の名前がわかっていますね。一世代前とかですね。「楽譜もないのでなんで同じ曲と言えるんだ?」と思いますよね。同じ曲でも聞こえている音が毎年変わるんですよ。本人たちも音が変わっているというのを知っているんです。だけど同じ曲名で呼ばれるのはなぜかといったら、そのオリジンがこれだという一点で同じ曲と呼ばれる。もう似ても似つかない曲になっていても実は同じ曲として認識されるのは、そのオリジンの問題なんです。ひとつの夢見から始まっている曲だという共通認識があるからということですね。
須永 そのオリジンを人間で特定し、非常に可変的にプラスティックな構造を持っているというのこそ、もしかすると語りの基本形かもしれないですね。だから語りのテクノロジーの方は、誰が語ったのかということが必ず残っていて、絶対同じであることを必要としない。そういうもののような気もするんですよね。
美崎 ものすごい差というわけですよね。オリジン持っているということは。



「記憶する住宅」は新しいゴミ屋敷か

佐藤 私は実は美崎さんの話聞いたのは三回目なんですね。最初はなんかとんでもないことやっている人がいると思っていたんですけど、三回聞いたら普通に見えてきました。普通というか美崎さんて非常に大衆的というか、大衆的という言葉が悪ければ社会をすごく信頼しているんだなという気がするんですよ。何でかというと今日出されたネタのうち、ほとんど私は知らないんだよね。漫画の話にしても。
美崎 そうですか(笑)。
佐藤 美崎さんが長生きしたとして、死ぬ直前、周りに昔のことを知らない人ばかりになった時に、新しい形のゴミ屋敷のゴミ老人になっちゃうのかなぁという気もちょっとしたんです(笑)。
美崎 ゴミ情報老人。
佐藤 ゴミ屋敷というのは、本人にとって大切なものなのに他の人が大切と思ってくれないというところからゴミ屋敷になるわけですよね。美崎さんの情報は今は皆さん共有できる性質のものだけど、自分しか共有できなくなると、それはやっぱりゴミになっちゃうんですよ。
黒石 でもね、不思議ですよ。人がそれをゴミと思うかどうかってすごく不確定なんですね。考現学の今和次郎に師事した小林孝子さんという人が自分のことをずっと記録していて、それが捨てられなくて、ゴミをため込んでいる変な老人ということで小林さんのことをそれまではみんなが評価していなかったんです。それが江戸東京博物館で展示したり日本女子大で展示したら「すごい素敵だ」とかいう人がいっぱい出てきて、その家ごと全部保存しようという佐藤さんばりの運動が起きているんですよ。
美崎 ちなみにこういうことをやっている人はまだ世界に一人しかいない。計算したらマイ・ライフ・ビッツの一八倍ぐらいの規模なんですよ。計算すると、七〇万枚って一〇年後にマイ・ライフ・ビッツがたどり着くぐらいの規模なんです。ということを思うと、たぶんどこかの博物館に僕のを入れてもらえるような気がしているんです。僕自身は死んだら自分のプライバシーは見られても平気だと思っているので是非入れてほしいなぁと思っています。人が生きていくということがものを見てなにかを感じてそれを書いていくということだとしたら、将来そのファイルを誰かが見てなにかを感じて書き加えていったら、もしかすると僕が生きているということになるのかもって思うんですよ。ちょっと謎なんですけど。
佐藤浩司 四〇年経ったらぜひ民博で美崎薫展をやりましょう(笑)。

(編集 小山茂樹@ブックポケット)





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